短編:【スマイル禁止】
人生には様々な出会いがあり、素敵な巡り合いもあれば、深い傷となることも…「言葉の呪縛」そんな縁の話。
その男性と仕事をするまで、私のポリシーは、現場が楽しく笑顔で、関わるスタッフ全員が良い物に仕上がるイメージを持って終われること。
それをモットーとしていた。
とある化粧品会社スキンケア商品の紹介動画制作。海外撮影でタレント出演のお仕事。商品に配合された主成分が、その現地でしか採ることのできない特殊なものだった。当然、日本国内でのシーンもあるのだが、海外では必要最低限のスタッフだけ現地に飛ぶこととなった。そんな時に限って、色々と噛み合わない。スケジュールも、スタッフも、予算も、いつもと違う条件の中で制作が始まった。
なかなか行くことのできない海外の場所。さらに必要最少人数4名で、数日前乗りをし、ロケ撮影の下見と準備、そして人物のいないインサートカットなどを撮影していた。天候にも恵まれ、順調に進行するように思われた。
後発のタレント、広告主のご担当者(その男性)、広告代理店担当者(営業・CRなど5名程)、制作プロデューサー、ヘアメイクが、現地入りをする日。ディレクター(私)、カメラマン、制作進行という前乗りの少数部隊は、カンペのスケッチブックにタレントの似顔絵と「お待ちしていました!」のメッセージを描いて空港でお出迎え。一日数便発着の飛行場で滅多に日本人が来ない。時間より遅れての到着。驚いたことに、最初に出てきたのは日本の超有名な方!つかつかと我々の近くに来て、「日本人がいるのは珍しいね!」と声をかけて来た。当然、こちらの仕事とは無関係だったので、ご挨拶だけしてお別れ。その後すぐに出てきたのが、我々の出演タレント。笑顔でご挨拶。さらにしばらくして、他のスタッフが合流。
笑顔で「長旅、ご苦労さまでした!」と声をかけた。
スタッフが揃って、まずはホテルに荷物を預けに行く。そこで一悶着が起きる。
「なにヘラヘラしてんだよ!」
広告主のご担当(その男性)が私に声を荒げる。
「遊びじゃないんだよ!安くない経費を使って撮影に来てるんだよ!笑ってんじゃねえよ!」
何が起きたかわからなかった。空港でのウエルカムボードを笑って持っていたことや、それまでの台本作成などでのやりとりで、どうやら広告主の上層部などからも相当プレッシャーをかけられて現地にやって来たらしい。
「アンタらが作る映像で、商品が売れるかどうか、かかってるんだよ!海外旅行じゃないんだから、笑いながら仕事すんなよ!」
当時、こんなことを言う人がいることに、本当に驚いた。そしてたぶん、その企業では、上層部からそう言った厳しい物言いが横行し、ひとり責任を背負ったご担当が、現地に入ってすぐ爆発したことを理解した。
スマイル禁止。負の連鎖。
到着した日の夕食も、翌日からの撮影も、スタッフ全員が笑うことなく、粛々とピリピリした空気の中、進行する。タレントにもその空気が伝わる。南国の素晴らしい景色の中、硬い表情のまま撮影が終わった。
実際、テレビなどを見ているとよくある。きっと最悪な道を辿って出来たであろう、気持ちの悪いギクシャク感。このタレントになんでこんな演出をしていて、何を伝えたいのか不明な、違和感のあるCM。
幸い、そんな背景があったとは思えない程、映像の仕上がりは好評だった。
この話には後日談がある。
そんなことがあって1年半以上経ったある夜のこと。渋谷の居酒屋で、友人とお酒を飲んでいた。
「あ、カントク!」
突然、隣のテーブルから声をかけられた。
「ご無沙汰しております!撮影では大変お世話になりました!」
なんと偶然にも、そのご担当者が隣で飲んでいた!
「あの時、ホント、すみませんでした…いや、あの後、あの化粧品会社退社しましてね…」
彼が言うには、会社もとてもブラックな状況で、毎日のように罵声を浴び、さすがに退職したという。憑き物が取れたように爽やかに笑っている。
「今度の企業でも映像媒体を扱っていますので、また宜しくお願いしますね!」
私はヘラヘラと愛想笑い。
そんな信じがたいことがあって、すっかり酔いも冷め、気分も悪かった。すぐに店を出て、別の店に行った。
私に言わせれば、企業がどうであれ、どんな日常だったとしても、一緒に仕事をする相手にあんな態度を取る人間を信じることはできなかった。
そして、そんなことがあってから、ほんの少し、現場での笑顔が減っていた。いま思えば貴重な体験の記憶として物語にできるのだが、残念ながら、それも私の人生の歪んだトラウマのひとつになっている。
「つづく」 作:スエナガ
蛇足。細田守監督『おおかみこどもの雨と雪』でも「笑うな」と注意されるシーンがある。確かに昭和はそうだった。真剣にやるなら…でも時代が違う。いや、違わないのか…