のぶ選手の思い出

先日JリーグYBCルヴァン・カップにフットサル系YouTuber・あしざるFCが出演すると知って、彼らがFリーグのチーム、広島エフ・ドゥに所属していた頃の記憶を書き残しておく。
https://f-sal.com/f-watch/50725/

私はスポーツ観戦が好きで、普段から地元である広島県内のスポーツチームの試合を数々観戦して回っていた。
その流れでフットサルのトップリーグであるFリーグ2部に所属する広島エフ・ドゥを知ったのが6年前のこと。
時々観戦に行くうちに、サッカーの試合で熱く応援する所謂「サポーター」のようなファンが誰もいない事に不満を抱いて、応援を1人で始めたのが5年前。SNSで選手にリクエストを募集して選手個人のチャント(応援歌)を製作したり、キャプテンから頼まれてスネアドラムを購入して試合で叩き始めたり、チームの為に何かを創るのは少し面倒だけど楽しかった。

その矢先にコロナ禍で声出し応援が出来なくなり鳴り物の使用も禁止され、スネアドラムを叩き始めて僅か2試合で従来の応援手法ができなくなって私は途方に暮れた。
そんな中で私が好きなJリーグ・サンフレッチェ広島の試合を観戦した時に、応援団体とそこに集まるサポーターが手拍子で応援する姿を見て「これなら私にも出来る!」と考えて、広島エフ・ドゥの試合でも手拍子応援をするようになった。
あくまで1人で勝手にしている事にも関わらず観戦していた多くのファンが私に合わせて手拍子をしてくれたり、試合MCがハーフタイムに「この人の手拍子に合わせて応援しましょう」と紹介してくれて、チームにパワーを伝えにくい状況でも多くの方々に支えられてスタンドからチームを後押しする雰囲気を、それなりに作り上げる事ができて嬉しかった。

Fリーグで鳴り物応援が復活して従来の応援手法が出来る環境に徐々に戻りつつあった3年前の冬、エフ・ドゥが1部への昇格争いで崖っぷち立っていた試合日の朝に私は持病の発作で起床出来ず、代役を任せられる人も見つからず、重要な試合で応援の主導者がいないという事態を引き起こしてしまった。
9年前に当時勤務していた企業を病気で退職して以来短時間のパートタイムで勤務しながら実家で療養している私にとって、持病が悪化して生活の糧を失う事はどうしても避けたかった。
エフ・ドゥの応援を取るか自身の人生を取るか悩んだ結果、協力してくれていた多くの方々に申し訳なく思いつつも勝手ながらエフ・ドゥの応援から身を引く事にした。

その旨をSNSに投稿してしばらく経ったある日の夜、私はあるエフ・ドゥファンがX(旧Twitter)で開催したスペースでエフ・ドゥのある選手と直接話す機会を頂いた。
初めて話す者同士というのもあって何をどう話せばいいのか手探りな中、その選手がゆっくりと言葉を選ぶように話してくれた。
「コロナ禍で今まで出来ていた活動が出来なくなって不安があった」
「でもホームゲームで観客席を見たら、あなたはいつも同じ場所に座っていて、いつもの応援を続けてくれていた」
「それが僕にとって、とても力になりました」
私はそれを聞いて「嬉しいお言葉です!」としか答えられなかったけど、彼が残したシンプルでも確かな言葉は今でも忘れない。
私の応援には色々足りない所があって多分不満もあったはずだけど、それに一切触れずに感謝の言葉をかけてくれた事が心に沁みた。

その後持病の診察で医師からエフドゥでの応援永久禁止という診断を告げられて彼らの応援が出来なくなった私は、紆余曲折あって今は新スタジアム初年度で沸き返るサンフレッチェ広島のゴール裏で応援を続けている。
試合がどんな展開になっても決して心を揺るがせずに、声と手拍子とジャンプで試合終了の笛が鳴り終わるまで目の前のチームを後押しし続けられるのは、あの時の彼の言葉に与えられた確かな自信に後押しされているからだと思う。

その彼、水田伸明(のぶくん)が率いるあしざるFCが明日のYBCルヴァン・カップ決勝でパフォーマンスを行うらしい。
広島エフ・ドゥ時代に「フットサルを日本一のスポーツにする」という目標を掲げて同僚のダンガンくん(佐々木諒)と共にドゥーチャンネルを設立し、つばさ(小島翼)、あしざるFCに改称した後は1年間活動を共にした鈴木雄大(ゆうた)と宮原勇哉(みや)を含めてフットサル選手とYouTuberの両立という休む間もない猛烈なキャリアを続けてきた姿に「その努力が報われて欲しい」と私は願い続けてきた。

諸事情で彼らもエフ・ドゥを去ったけど、エフ・ドゥで頑張ってきた日々を糧に、明日も魂を込めたパフォーマンスを見せてくれるはず。
長い人生の一時とはいえ共に戦った者同士、そこで培った自信を胸に、これからもそれぞれの場所で。

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