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#11これを知ると「千と千尋の神隠し」が3倍面白くなる!(言葉編)

とうとう最後になりました!ここまで読んでくださった方ありがとうございます。今までのはこちらにリンクを貼っておきますので、ご覧ください!

今回は言葉編です。千と千尋の世界では、言葉が壮絶な力を持っています。

湯老婆に仕事をもらう時、千尋は名前を取られてしまいます。それからは、千尋はこの異世界では、「千」という名前で生きていくことになるのです。

その後のハクとの会話がかなり大事です。

千「ちひろって・・・私の名だわ」

ハク「湯婆婆は、相手の名を奪って支配するんだ。いつもは千でいて、本当の名前はしっかり隠しておくんだよ」

千「私、もう取られかけてた。千になりかけてたもん」

ハク「名を奪われると、帰り道がわからなくなるんだよ。私はどうしても思い出せないんだ

千「ハクの本当の名前?」

ハク「でも不思議だね。千尋のことは覚えていた」

ここでいう帰り道ってなんでしょうか?
自分に立ち還る場所。つまり、自分自身のことなんじゃないかと思います。自分を忘れてしまっては、この世界にずっと残ってしまう。ハクは名前を思い出せないために、ずっと湯老婆の手先でいるのです。

この後、千はハクの名前を思い出し、見事ハクは解放されます。名前って本当に大切なんですね。

ここで対照的に描かれているのが、カオナシの存在です、宮崎駿さんは、カオナシをこのように話しています。

「現代の若者」
自我をもたない、誰かとくっつきたいけど自分がない人。言葉をもたない。人間誰もがカオナシを抱えて生きている。

千尋にくっつきたくて、お金や食べ物で釣ろうとしますが、千尋は何も反応せず、最後には暴走してしまいます。そこで出てきた言葉は

「寂しい。」

心の声が聞こえた気がします。名前もない、顔もない、自分自身の言葉で話せない。カオナシになっている人が現代では何人いるんでしょうか??

舞台で再び「千と千尋の神隠し」が今行われていることに大きな意味を感じます。

「千と千尋の神隠し」が上映されたころ小学生だった人たちは今では20~30の大人になっています。再びこの作品を見た時、何を感じるのでしょうか?

自分は改めて見てみて、子供の可能性と成長、また言葉のもつ力を感じました。

ぜひ、またご覧になってみて、感想を教えていただけたら嬉しいです。
今日も読んでいただきありがとうございました。

素敵な1日になりますように!

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