見出し画像

12月の速度と彩度が違う

 こんにちは。丁_スエキチです。

 ついこの間、土曜も実験のために大学に行って、日曜に鉄棒のある公園に行って懸垂をし、月曜にエグい筋肉痛になり、火曜は先輩とご飯を食べに行って、水曜木曜は実験に勤しみ、金曜にようやく筋肉痛が治ったばかりなのに、もう土日が終わって月曜になってしまいました。速い。速すぎる。師走どころか師☆超絶爆速大暴走くらいある。ちなみに、今週の土曜もまた大学に行き、日曜は懸垂をしました。月曜の今日は筋肉痛ですが、先週ほど酷く痛まないのでループした時間軸に閉じ込められたわけではないようです。

 2020年はこんな情勢だったので、ステイホームしているうちにあっという間に過ぎた印象がありますが、とりわけ12月は体感速度がおかしい気がします。そもそも、この文を書いているのが22時ちょうどなのですが、19時半には家に帰ってきて、20時半にはご飯を食べ始めたはずなのに、1時間半ドコへ消えたっけ? という疑問が浮かんできます。
 ……まぁソシャゲをしていたのが悪いんですが。

 どうしてここ最近は日常の体感速度が著しく大きいのでしょうか。僕は光速に比べたら無視できる程度のスピードでしか動いていないので、時間の流れ方が物理的に変わってしまったわけではないでしょう。
 だとすれば、結局は気の持ちようというしかありません。時間経過に対して悪い意味で無頓着になってしまったとか、そういうことなんでしょう。ちなみに、今この文を書いているのが22時13分です。頭の回転が遅くなったのかもしれませんね。うかうかしていると時間は超絶爆速大暴走でサヨナラしていってしまいそうなので、僕も思考速度をフルスロットルで上げていかなくては、と思います。

画像2

 さて、話は変わりますが、上の写真は大学構内で本日撮影したものです。だいぶ葉が散ったとはいえ落葉樹はまだまだ鮮やかに色づいており、常緑樹は青々とコントラストを与えています。夕方の空が相まって、ザ・晩秋という感じがします。

 青森に生まれた僕にとって、「12月がまだ秋であること」というのは非常に違和感があります。東京に来て4年目ですが、霙も雪も降らず、自転車に乗り放題で、エアコン程度の暖房で寒さをしのげてしまうことに、まだ慣れていないのです。12月だというのに、晴れやかな空が続き、木々の彩りは失われておらず、カラフルな街並みが見られることが不思議でなりません。

 12月というのは、どこに出しても恥ずかしくないくらいに「冬」で、湿ったグレーの空が街一面をモノクロに染めてしまう季節の序章の月。アホほど雪が降る街で生まれ育った僕は、そんなイメージを師走に投影してしまうのです。

 ちなみに下の写真が青森の冬のイメージです。彩度が低い。

 
画像1

 これは2月に撮影された写真なので12月を表現するには相応しくないですが、市街地でも建物が低くてだだっ広い空が、ひたすらに曇った灰色一色になっていて、世界が画用紙に描かれたものであるかのように思えてしまう、それが「冬」だと思っているのです。

 いくら多くの人がコートを着てマフラーをしていても、ハンドクリームをつけないと手がガッサガサになっても、味噌鍋が美味しくても、街の彩度が落ちないうちは「冬が来たなぁ」と思えない。トナカイさえ欠航するような吹雪が街をグレースケールに塗り替えていって、「あ、雪……!」なんて言うようなドラマの中の白い聖夜の理想を吹き飛ばす、そうしてようやく冬がやってくる。青森から東京に来て4年間、そんな感性をずっと持っているし、これからも持ち続けていくんだろうな、と思います。

 今年も残すところあと1ヶ月を切りましたが、速度と彩度が違う12月を全力投球で頑張っていこうと思います。



 パソコンを漁っていたら、6年前の今日の青森の写真を見つけました。

画像3

 いやめっちゃ鮮やかな青空やんけ!!!!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?