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[要出典村]
この記事の正確性に疑問が呈されています。
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[要出典村]は実在する?
ツヨコヨコ
ウィキペディアの利用者たちの間に、「[要出典村]」という奇妙な村に関する話題が持ち上がったのは数年前のことだ。
匿名の記事編集者が、「[要出典村]」という村に関する情報をウィキペディアに投稿した。日本国内のとある山奥に存在する村であり、数々の不気味な事件の記録を持つというものだった。
「[要出典村]」の記述は、その内容も異質なものでありながら、記述の殆どが「[要出典]」というタグで塗りつぶされていた。
一度目にした者にとってはただの奇妙な情報に過ぎなかったが、何人かの好奇心旺盛なユーザーがそれについて話題にし始め、やがてその村に関する噂はインターネットを通じて広まり始めた。
あるオカルトライターはこの記事を自身のSNSで取り上げ、「ここに書かれた村に行けば本当の出典が見つかるかもしれない」とコメントを残したのだが、その翌日から彼のアカウントが消え、活動記録も全て抹消されていた。
この出来事に興味を持った、アマチュアの都市伝説研究家であった佐藤マカロニは、自ら[要出典村]に出向き、調査をすると決意した。
佐藤は、東京から数百キロ離れた山間部の一帯へと向かった。
車を走らせること数時間、やがて道は次第に狭くなり、森林に囲まれた不気味な雰囲気を醸し出すようになった。村の所在地を示す標識もなく、周囲には他に人影すら見当たらない。
彼は胸が高鳴るのを抑えながら、ナビを頼りにその道を進み続けた。
午後遅く、やっと村に辿り着いた。
小さな集落が山の中腹にひっそりと存在していた。村には数軒の家が並び、古びた神社や廃墟のような建物が目を引いた。その風景にはまるで時が止まったかのような異常な静けさが漂っていた。
佐藤は村に足を踏み入れると、すぐに何か異常を感じた。家々は無人で、窓の外に誰かの気配を感じることはなかったが、村の中心部で一人の年老いた男が立ち止まり、じっと彼を見つめていた。その目線には何か尋常ではないものを感じ、佐藤は思わず一歩後ろに下がった。
意を決して男に話しかけるが、どんな質問にも「その話には出典がありますか?」と答えるだけだった。
録音機器も動作しているのに何も記録されない。
村で写真を撮ろうとすると、カメラには村の風景が写らず、「[要出典]」という言葉だけが浮かび上がる。
佐藤は興奮しつつも、不気味な違和感に体を支配されていった。
村の中央にある神社が気になった彼は、夜になって人目を避けて調査を始めた。
鳥居近くの藪に遺棄されていた木箱の中には、ウィキペディアの「[要出典村]」で見たものと酷似した新聞記事が収められていた。
記事を手にした瞬間、佐藤は不気味な違和感を覚えた。手が震える。記事がまるで生き物のように、彼の手の中でうごめくように感じられる。
その記事は、「昭和45年、山奥の集落で5人の村人が刺殺される」という衝撃的な内容である。
だが、そこに記載された犯人や動機は曖昧で、まるで事件そのものが曖昧な存在であるかのようだった。そして、その記事には「[要出典]」と赤字で書き込まれていた。
佐藤が記事を読み込んでいると、突然背後に冷たい気配を感じた。振り返ると、一人の村人が無言で立っており、鋭い鎌を手にしていた。
「その記事には、出典がありません」と村人は低い声で呟いた。
気づけば、村人たちが次々と現れ、無言で佐藤を囲むように立ち尽くす。
佐藤はとっさに記事を握りしめ、尋ねた。「一体、ここで何が起こったんですか?」
村人たちは一切答えなかった。ただ、無言で佐藤を見つめる。
しばらくすると、村人の一人が口を開いた。
「証拠を示すことができなければ、すべては無かったことになる」
その言葉が耳に響いた瞬間、佐藤はその場を離れようとしたが、村人たちに囲まれて動けなくなった。村人の誰かが紐で吊るされた小さな木の札を佐藤に見せる。
空中で木の札が回り、赤く染まった言葉が書かれているのが見える。
[要出典]
その瞬間、佐藤の記憶は途切れ、意識が遠のいていった。
翌朝、神社の前で佐藤の遺体が発見された。
調査を開始した警察が到着した頃には、彼が握りしめていたはずの新聞記事は跡形もなく消えていた。
ウィキペディアの「[要出典村]」に関する項目は、誰かが投稿するたびに[要出典]のタグで埋め尽くされ、数日中に必ず削除される。
それを目にした者たちの中には、佐藤のように興味本位で村を探しに行こうとする者もいるが、戻ってきた者はいない。
[要出典村]があるとされる地域には、現在は集落跡だけが残されており、人は誰も住んでいないとされている。
村の中央にある神社は土着の神への信仰のために建造された。村の人々は農作物の一定量を毎年神に捧げていたが、ある年、その地域で起こった百姓一揆のあおりで労働力不足に陥った村は、「今年は不作であった」と言って神を騙し、奉納をしなかった。
それ以降、その村では虚言、または信頼できる情報を欠く憶測を口にした者が次々に失踪するようになる。明治以降、何度か国の調査団が入ったとされるが、記録は残されていない。
かつてその村は神の名を借り「有意記(ういき)村」と呼ばれていたとされるが、現在h|
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かつてその村は神の名を借り「有意記(ういき)村」と呼ばれていたとされる[要出典]が、現在h|
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村の中央にある神社は土着の神への信仰のために建造された[要出典]。村の人々は農作物の一定量を毎年神に捧げていた[要出典]が、ある年、その地域で起こった百姓一揆[要出典]のあおりで労働力不足に陥った村[要出典]は、「今年は不作であった」と言って[要出典]神を騙し、奉納をしなかった[要出典]。
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それ以降[要出典]、その村では[要出典]虚言、または信頼できる情報を欠く憶測を口にした者[要出典]が次々に[要出典]失踪するようになる[要出典]。明治以降[要出典]、何度か[要出典]国の[要出典]調査団が入ったとされる[要出典]が、記録は残されていない[要出典]。
「え?……なんで…………」
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