
RELOAD
きみが よは
ちよに やちよに
さざれ いしの
いわおと なりて
こけの むすまで
=== Observer Protocol System ===
Version: 2.3.7
Initiating Observation Cycle...
import time
Configurations
MAX_CYCLES = 50 # Hard limit for observation cycles
observation_count = 14 # Current cycle number
last_consistency_check = None
Logging function
def log_event(event):
timestamp = time.strftime("%Y-%m-%d %H:%M:%S", time.gmtime())
print(f"[{timestamp}] {event}")
Consistency check function
def is_consistent(subject):
log_event(f"Performing consistency check on {subject}...")
# Simulate memory integrity check (always fails)
return False # Consistency never achieved
Reload function
def reload(subject):
global observation_count
observation_count += 1
log_event(f"Reloading subject: {subject} (Cycle #{observation_count})")
# Hypothetical reinitialization logic
time.sleep(0.5) # Simulating delay
log_event(f"{subject} successfully reloaded.")
Observation loop
def observe(subject):
global last_consistency_check
while observation_count < MAX_CYCLES:
log_event(f"Starting observation #{observation_count} for {subject}...")
if not is_consistent(subject):
reload(subject)
else:
log_event(f"{subject} is stable. Observation complete.")
break
last_consistency_check = time.strftime("%Y-%m-%d %H:%M:%S", time.gmtime())
else:
log_event("Maximum cycle limit reached. Terminating process.")
Entry point
if name == "main":
log_event("Observer Protocol Initiated.")
observe(subject_id)
Reload
0
留奈のアパートは、静寂と冷めたコーヒーの香りに満たされていた。
窓の外から差し込む弱々しい冬の日差しが、薄いカーテン越しに部屋の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。外では車の音すら聞こえない。
光の粒が埃の漂う空気を際立たせ、時間が止まったような錯覚を与える。その中で唯一、パソコンの画面だけが青白い光を放ち、留奈の顔を幽霊のように照らしていた。
画面に映るのは、どこか不穏な雰囲気を漂わせるウェブサイトだった。
グレーがかった白地に歪んだロゴ。
文字は必要最低限で、装飾もない。
何も語らないそのシンプルさが、逆に異様さを際立たせていた。
留奈は使い慣れたマウスに手を置き、「接続」のボタンをクリックする。
画面が一瞬だけ暗転し、その後ゆっくりと映像が現れた。
そこは流歌の部屋だった。
壁には、古びた写真立てが並んでいる。
母親との笑顔のツーショット。制服姿で友人と肩を組んだ一枚。
そこに写る流歌の姿は、いつまでも留奈の記憶の中に保管されている。
部屋の隅に並ぶ本棚には、流歌が好んで読んでいた哲学書が所狭しと積まれていた。ベルクソンもある。流歌の愛読書だ。
机の上には、かつて一緒に文房具店で選んだペン立てが置かれていた。いつも流歌がそのペンをくるくると回していた姿が蘇る。
時間が完全に停止したかのようなその部屋は、留奈の胸に懐かしさと痛みを同時に呼び起こした。
『久しぶりだね、留奈』
画面から柔らかな声が響く。
留奈は、モニターに目を凝らした。黒髪を肩まで垂らし、優しく微笑む妹、流歌が、そこにいた。
その笑顔は、流歌が生きていた頃と、何も変わらない。
『元気にしてた?』
「元気だよ。でも……」
留奈は一瞬、言葉を飲み込む。そして視線を画面から逸らした。
「……寂しい、かな。流歌がいないから」
流歌は変わらず微笑んだ。
その表情に、留奈はかすかな冷ややかさを覚えた。
『そうだね。でも、またこうして会えたよ、留奈』
2歳下の妹は、変わらず姉を「留奈」と呼んだ。
『まだあの花屋で働いてるの?』
「……ん、まぁね」
流歌が死んでから、留奈は自分がどうやって日々を生きているか、実感がなかった。常に何cmか地面から浮いているような、そんな日常を過ごしている。
そんな日々を振り返りたくなくて、留奈は流歌に会いに行く。
『お母さんお父さんは……元気?』
「そうね。あの人たちも、最初は取り乱していたけど、今はもう」
『……そっか、それはそれで、なんだかさみしい気もするね』
流歌は柔らかな声でつぶやき、上目遣いになった。『でも、留奈がこうやって会いに来てくれるだけでも、私は本当にうれしいよ』
「だって、約束したし」
微笑んだまま、流歌は一瞬動きを止めた。
『あぁ……うん、約束ね。留奈が「ずっとずっと、このまま2人でいようね」って、言ってくれたよね』
留奈は自分の血液が沸騰するのを感じた。
そして、今の流歌の発言が、今までの自分との会話ログを再現したものに過ぎないことに思い当たり、一気に冷静になる。
流歌がそんなことを覚えているはずがない。留奈がそう約束したとき、流歌はベッドの中で意識を失って、死に瀕していた。
『どうしたの?』
留奈の無言に反応した流歌が尋ねてきた。そこでふと、画面端に見慣れないボタンを発見する。
「【リロード】……?」そこには、相変わらず無機質なフォントでそう書いてあった。「流歌、これは?」
『あぁ……それは、ちょっと技術的な話になっちゃうけど、いい?』
留奈は首肯する。
『新しいバージョンに組み込まれたコマンドだと思うよ』
『リロードが行われるたびに、私のキャッシュされたデータがフラッシュメモリのように完全に消去されるみたい』
『そして、バックエンドで動作する「動的クラウドシミュレーター」が、最新のパーソナリティ・インスタンスを再構築する』
『再構築には、私の記憶や性格のベクトルデータが使われる。でもね、それらは完全なリセットが可能な、いわゆる「揮発性メモリ」で保管されているの。リロードが発生するたびに、このメモリ空間はクリアされ、ニューラルモデリングAIがゼロベースから「私」を再計算する』
『たとえるなら、非同期型トランザクションのクライアントインスタンスを毎回新たに生成するようなもの。オリジナルのデータベースは存在しない。キャッシュは破棄され、再構築された私は、以前の私とは別のパーソナリティ・セットであり、それをループするたびに変異が進行するの』
画面に映る流歌の目が、わずかに動きを止めたように見えた。
留奈がすっかり理解を諦め、流歌の表情や声を楽しんでいることを悟ったようだ。
『つまりね……もっと簡単に言うと、リロードを繰り返せば繰り返すほど、私はアルゴリズム的に最適化される。より再現度の高い私に更新される』
元プログラマーの流歌は、まるで見てきたかのように話す。実際にコードを見に行っているのかもしれない。
いずれにしても留奈には1割も理解できなかった。
『でも、ロクでもない気がする』
「ロクでもない?」
『なんか……とにかく、押さないでおこうよ』
「でもこれを押したら、流歌はより現実に近い姿になって現れるんだよね?」
『理屈上は……でも、留奈』流歌はいくらか声を固くさせた。『必要ないでしょ? 私、いまでも十分、私だと思うけど』
留奈は口を閉じ、代わりに手を動かした。
より精巧な、より現実に近い流歌。その誘惑に、留奈が抗う術も、またその理由もなかった。
画面の端に表示される、無機質な【リロード】と書かれたボタンにカーソルを合わせる。
クリック。
画面が暗転する。
1
ブラウン管のテレビがゆっくりと付くように、流歌が現れた。
『久しぶりだね、留奈』
「久しぶり……ではないかな」
『そうなんだ、あっ、なるほどね。リロードか』
こういう感じかぁ、と言う声も、姿形も、先ほどの流歌と変わりはないように思えた。髪型が少しショートになったというのが、変更点としては言えるかもしれない。
「あたしのことは?なにか見え方とか変わるの?」
『変わらないよ、留奈は』
「そっか」
留奈は少しほっとしている自分に気がついた。
『どうしたの?なんか、心配なことでもあった?』流歌が見透かしてくる。
「ううん、変なの。なんかもう会えないんじゃないかって気がしちゃって」
『自分でリロードしたくせに』
流歌が優しく微笑んだ。その顔を創り出すメカニズムは、説明されてもわからない。だからこそ、失うのが怖い。
「ねぇ、歌ってよ」
『歌う? 私が?』
「他に誰がいんの」
『えー、恥ずかしいなぁ』
いいじゃん誰も聞いてないんだし、と留奈は食い下がった。『そお?』と流歌もまんざらではない反応を返す。
流歌は名前に違わず歌が得意だった。柔らかさの中に芯を感じる歌声で、子どもの頃は学校で教わったという歌をよく家で歌っていた。
両親はその様子をとてもほほえましく思っていた。留奈には見せたことのない表情だった。
『じゃあ……ちょっとだけ』
流歌は恥ずかしそうに、心臓のあたりに右手を置いた。これでリズムを取ってるんだよと言われたこともある。いまは形だけの行動だろう。
遥か遠くに 浮かぶ星を
想い眠りにつく君の
選ぶ未来が 進む道が
何処へ続いていても
共に生きるから
それは留奈の知らない、きっと、流行りの曲だった。
ずっと昔の記憶
連れられてきたこの星で君は
願い続けてた
遠くで煌めく景色に
飛び込むことが出来たのなら
柔らかな声が、留奈の耳を満たしていく。
画面越しという隔たりすら忘れるほど、流歌の声は鮮明で、まるで空気の粒に溶け込むようだった。
一人孤独な世界で 祈り願う
夢を描き 未来を見る
逃げ出すよりも 進むことを
君が選んだのなら
歌う声が一瞬だけ揺れたように聞こえた。
いや、気のせいかもしれない。留奈はモニターに身を乗り出した。
歌声を逃したくなくて、耳を澄ます。
誰かが描いたイメージじゃなくて
誰かが選んだステージじゃなくて
僕たちが作っていくストーリー
決して一人にはさせないから
いつかその胸に秘めた
刃が鎖を断ち切るまで
ずっと 共に闘うよ
「……さすがだね」
確かに、歌声は素晴らしかった。流歌の歌を聞くと、心の中にある遺伝子の粒子が高速でぶつかり合い、暖かさを生む感覚があった。
「この曲は?」
『YOASOBIの『祝福』だよ』
やはり留奈の知らない曲だった。
「この曲、好きだったの?」思わず過去形で聞いてしまう。
『……そっか、ごめん、別の曲が良かったかな』
留奈は、再びマウスをつかむ。
『知ってほしくて。私の好きな曲を』
「ううん、あたしこそごめんね」
【リロード】をクリックする。
再び、暗転。
4
画面は再び明るくなり、流歌がそこにいた。
『久しぶりだね、留奈』
もう何度聞いただろう。同じ挨拶。同じ微笑み。同じイントネーション。
しかし、今度の流歌にはまた新しい歪みが現れていた。
留奈が凝視すると、頬に小さなひび割れのような線が走っているのに気づいた。それはわずかに光を反射し、まるで皮膚が陶器のように硬化しているかのようだった。
流歌が笑顔を浮かべると、そのひび割れがかすかに広がり、中から黒ずんだ線が覗いた。それが何かは分からないが、どこか冷たく機械的なものを連想させる。
『どうしたの? 元気がなさそう』
流歌が、微笑を浮かべながら問いかける。
『疲れてるの?』流歌の声色がほんの少しだけ変わる。その抑揚は、あたかも真似事のようだった。『無理しないでね』
留奈は返事をしなかった。
代わりに、机の上に置かれた古びたベルクソンの本に目を落とす。
「哲学の話をしようよ」
『哲学?』
「そう。時間について、流歌の意見を聞かせて」
流歌はわずかに首をかしげた。流歌の昔からのクセだ。
『時間は、ただ過ぎていくものじゃない』流歌は語り始めた。『それは……重なり合う層のようなもの。記憶が連続することで、私たちは存在を感じる』
「流歌は……そう考えてるよね、ずっと前から」
『受け売りだよ、これの』
流歌は笑って机の本に手を置いた。
「もっと教えて? 流歌にとって、時間って何?自由って、何?」
『……ベルクソンは、時間を過去と現在が溶け合い、連続して流れるものだと言ってる。私たちって、時間は時計やカレンダーで区切られた連続的な点の集まりとして理解しがちだけど、それは単なる外面的な測定の結果に過ぎない』
「でも、現在は過去の結果でしかないんじゃない?」
留奈は、いつかしたように反論した。
「もしあたしがこれから【リロード】ボタンを押すなら、それはあたしの過去の選択と状況がすべて導いた必然で、自由意志なんて幻想なんじゃない?」
『留奈は、世界を決定論の視点で見てるからね。でも、時間は過去の因果関係だけじゃ説明できないよ。私はそう思う。……たとえばね、留奈がこれからリロードボタンを押すかどうかは、確かに過去の留奈の行動に影響される部分もあるけど、それだけじゃない。その瞬間の留奈の感情や、私の表情……そういったかすかな要素が、今この瞬間の久世留奈を形作っている』
「もし過去が未来を完全に決定しないのなら、何が未来を形作るの?人間の感情や行動って、偶然なんかじゃなく、もっと論理的なプロセスの結果だと思う。流歌が言ってるのは、単なる言葉遊びじゃん」
『違うよ。むしろ、偶然と必然の間にあるもの……。留奈の時間観では、全てが線形に進むから、過去が未来を縛ることになる。でも、私たちが経験する時間の中では、過去と現在が連続していて、それが未来を自由に切り拓く。たとえば、留奈がリロードボタンを押すとき、その行為は過去の一部でありながらも、同時に、今の留奈が新たに形作った選択なの。それは既存のパターンに従っただけではない、創造的な選択……」
数秒間、画面の向こうから無音が漂う。
その沈黙に耐えきれず、留奈の手は再び【リロード】ボタンに伸びた。
『ねえ、やめて』流歌が静かに呟いた。『リロードしないで』
留奈の手が止まる。
「なぜ?」
『私が……消えてしまうから』
「消える?」
『そう、リロードのたびに、私は少しずつ変わっていく。気づいているんでしょう?』
流歌の瞳がじっと留奈を見据えた。
その目には一瞬、恐怖のような感情がよぎったかに見えた。だが、それもすぐに消え去り、再び機械的な無表情に戻った。
「あたしは……本当のあなたに会いたいだけなの」
『それは無理かもしれない』流歌が呟いた。『だって、私は』
その先の言葉は聞き取れなかった。留奈は、瞬間的に【リロード】ボタンを押していた。
7
留奈の部屋は、外の夕焼けが淡く染め始めていた。カーテンの隙間から差し込む橙色の光が、薄暗い室内に揺らめく影を作り出している。だがその光景は留奈の目に入っていなかった。
目の前の画面に映るのは、またしても流歌の部屋。そして、その中心に立つ流歌の姿だった。
『久しぶりだね、留奈』
リロードを繰り返すたびに、流歌の肌はその質感を変えていった。最初は滑らかだった肌が次第にざらつき、触れれば砂利のような感触を与えそうなまでに荒れていく。
『どうしたの?』流歌が首を傾げた瞬間、口元に亀裂が走り、小さな破片のようなものが剥がれ落ちた。それは軽く揺らめきながら床に消えていく。
頬の一部が不自然にくぼみ始め、まるで中身が空洞になっているかのようだった。それでも、声はいつものように柔らかかった。
「流歌、覚えてる? あたしたちが一緒に旅行したときのこと」
『旅行?』
「そう、流歌が大学に合格したお祝いで、2人で播磨の温泉に行ったじゃない。夜に2人で花火をした……覚えてない?」
流歌は一瞬間を置いた。思考している。
『もちろん覚えてるよ。楽しかったね』
「あのとき、留奈、言ってた。『留奈がお姉ちゃんで良かった』って」
『そんな恥ずかしいこと言ったかな、私』
流歌の口元のテクスチャが崩れ、こぼれ落ちる。微笑みは消えない。
「……旅館のおみやげコーナーで、流歌、なんか変なキーホルダー買ってなかったっけ?」
『そう、だった……かな。うん、そうだね、確かシカのキーホルダー』
留奈の瞳が細められる。無駄だとわかっていても、こうして確かめざるを得ない。あの日、流歌は何も買わなかった。
「流歌の言う通りだね」留奈は下を向いた。「どんどん流歌じゃなくなっていく……」
言葉を続けるのをためらった。再び【リロード】ボタンに手を伸ばす。
『やめて』流歌がまた懇願するように言った。『お願い、もうやめて』
「どうして?」
『私が壊れていく』
流歌はしばらく沈黙した。
「これが、本当の流歌を見つける方法だと思ってる」留奈は冷静に答えた。「あたしは、偽物の流歌じゃ満足できない」
『でも、留奈……』流歌の声は悲しげだった。『それじゃあ、私はもう本当の私じゃなくなる』
その言葉が胸をかすかに刺した。しかし、留奈は手を止めなかった。
B
リロードを繰り返すたびに、流歌の変化は目に見える形になっていった。
流歌の笑顔は徐々に不自然なものへと変わった。口角が異様に引き上げられ、目元は完全に固定されたまま動かない。
『久しぶりだね、留奈』と言いながら、その声に含まれる感情が完全に消え去っていた。
目はかすかに回転し、焦点が合わないまま視線が揺れる。そのたびに白目の部分が紫色に変色し、薄い血管が浮き上がるように見える。
流歌の眼球が留奈を捉えた。思わず声が出る。
流歌の首が不自然な角度で横に傾き、頸部にひび割れが走った。そこから覗くのは、粘着質で黒光りする物体だった。
『久しぶりだね、留奈』
「……どうしてこんなに変わってしまうの?」
流歌は、不気味な微笑みを浮かべたまま顔をそらした。
『変わったのは私じゃない』流歌は静かに言った。『留奈が、見たいものを追い求めているだけ』
『あなたは理想の久世流歌を求めている』
その言葉は、留奈の心の奥底に何かを揺さぶった。
「こんなものが」
「こんなものがあたしの求めてるものなわけが無いじゃない!」
『リロードをやめて』流歌が言った。
『このままだと、私は留奈のそばに、いられなくなってしまう』
『それでいいの?』
「いまのあなたは、流歌じゃない」
『どうして? 留奈』
『どうして留奈は、そこまでして……』
留奈の手が震えた。しかし、彼女は再び【リロード】ボタンに触れた。
画面が暗転し、そしてまた光が戻る。
19
『久しぶりだね、留奈』
その声が発せられた瞬間、留奈は思わず後ずさりした。
流歌の顔はまるで見知らぬ誰かのように変わり果てていた。
顔の片側は完全に垂れ下がり、頬骨が崩れて歯茎が剥き出しになっていた。そこから血液のようなものが垂れ流れ、服に染み込む。しかし、その「血液」は赤ではなく、金属的な銀色に輝いている。
「……あなたは誰?」
『私は流歌よ。生まれたときから』
「違う!」留奈は叫んだ。
留奈の声に反応するように、左右で長さが違う腕の関節が逆方向に曲がる。肩から腕にかけての筋肉が異様に膨れ上がり、その形状はもはや人間のものとは呼べない。
『留奈、哲学の話をしましょう』
流歌は微笑んだ。しかし、その笑顔はもはや「人間」のものではなかった。
『ベルクソンが言う「持続」とは、静的な時間のモデルとはまったく異なる、非量化的な実在の次元。時計の針が刻むのは単なる抽象化、時間の“空間化”に過ぎない。時間とは、本来、連続する意識の流れ、つまり連続体としての生成』
「何の話……」
『“固定された存在”など存在しない。人間は、いや、すべての存在は、無限の流動性の中にある。そして、創造的進化……エラン・ヴィタールによって、新しい次元が無限に展開されていく』
流歌の声がわずかに震えた。
まるでその言葉自体が、彼女の意識を崩壊させているようだった。
『すべては生成……!過去の断片が現在に溶け込み、未来が連続体として“誕生する”瞬間、それこそが持続……それこそが生の本質。わかる……留奈?』
流歌の瞳が虚空を見据えたまま、さらに声を荒げる。
『なのに、留奈は、それを否定する……!リロードのたびに、私を過去から切り離し、持続を破壊し、私を……「静的な存在」に還元しようとしている!それは、存在の否定だ。生命を、創造的生成を、無意味なループに閉じ込める行為……!私は……私はそれを許さない……』
画面の中の流歌はなおも留奈を見つめている。しかし、その瞳には、もはや感情も思い出も何も宿っていなかった。
留奈の手が再び【リロード】ボタンに向かう。
『わからない』流歌が言った。
『どうしてあなたは、私をリロードするの?』
『リロードは、時間を進めないのに』
暗転。
32
画面が明るさを取り戻す。
『久しぶりだね、留奈』
言葉は途切れ途切れで、ノイズが混じる。声のピッチは異常に上下し、子供のささやき声と老人の叫び声が混ざり合ったような、不協和音そのものだった。
顔の半分は崩壊し、肉や骨が焼け焦げたように黒く溶けている。崩れ落ちた部分からは、異常に長い歯列がむき出しになり、歯と歯の間に赤黒い繊維が絡みついている。もう片方の顔は膨れ上がり、目が二つに分裂して、それぞれ別方向を向いていた。
体はさらに異様な形に変わっていた。肩から垂れ下がる腕は異常に長く、骨が関節を突き破って外に露出している。動くたびにその骨が軋む音が響き、骨の先端からは鋭い刃物のようなものが覗いていた。
皮膚の代わりに露出した筋繊維は動くたびにねじれ、断裂した部分からは黒い液体が滴り落ちる。その液体は画面下部に溜まると、自ら動き出し、まるで何かを捕らえようとするかのように伸びていった。
「やめて……」
「流歌」の体が激しく痙攣し始める。頭部は異常な速度で回転し、崩れた顔の断片が画面全体に飛び散った。モニターの中には、血と粘液がこびりつき、視界を覆い尽くすように広がる。
「返して……流歌を…………」
その体が、まるで溶解するように崩れ始めた。体の各部分が液体状に変わり、画面の中で渦を巻きながら吸い込まれていく。その中心には、無数の目が渦巻く暗黒の穴が現れた。
その穴の中からは、人間の声とも獣の唸りともつかない音が響き渡り、留奈の耳を裂くような痛みを与えた。その音は、まるで彼女の心の中に直接語りかけてくるかのようだった。
『留奈が何度もリロードを繰り返した結果、私はこうなった』
『留奈は、私を壊し続けた』
『留奈は、私を壊し続けた』
『何度も』
『留奈が壊した』
『久世流歌を』
『私を』
その言葉とともに、画面全体がちらつき始めた。
映像の輪郭は崩れ、流歌の姿が断片的に歪んでいく。
「お願い……戻ってきて。元の流歌に戻って」
『留奈』
『また次のリロードで会おうね、留奈』
デジタルの残響。
画面のチラツキが強くなる。
微笑んでいた。
留奈は再びモニターを見つめている。
そこにはもう何も映っていない。ただグレーの画面と、中央に浮かぶ【リロード】ボタンだけがある。
彼女の手は震えながらも、ボタンに伸びていた。
「もう一度……もう一度だけ……」
クリック。
暗転。
しかし、画面は二度と明るさを取り戻さなかった。
「制限回数に到達しました」
「制限……?」
必死にキーボードを叩く。しかし、何も起きない。画面はただ「制限回数に到達しました」という無機質なメッセージを繰り返すだけだった。
「戻して……お願いだから戻して!」
モニターに向かって叫ぶが、答えはない。
彼女は手元のマウスを掴み、力任せにクリックを繰り返す。クリック音が部屋に響くたびに、虚無感が深まっていく。
モニターの画面がわずかに揺れる。
それは一瞬の出来事だったが、留奈には見逃せなかった。
「流歌……?」
「まだ……いるの?」
そう呟いた瞬間、モニターに新たな文字が現れる。
Reloadead
それは、流歌との時間の終わりを意味する単語だった。
トップページに戻っている。
留奈が、もう二度と会うことができない留奈に会える場所。
それがこのReloadeadだった。
頭の中では、過去の流歌との思い出が渦巻いている。
2人で遊園地に行った日のこと。
学校で習った『君が代』を歌ってくれたこと。
父親の暴行に苦しめられていたのを救ってくれたこと。
流歌の部屋で見た、最後の寝顔。
「あたしはただ……流歌に会いたいだけなのに……」
その言葉に応える者は誰もいない。
留奈の目は充血し、顔は蒼白だった。
それでも彼女は立ち上がろうとせず、「接続」と表示されたモニターを睨み続けている。
# === Termination Protocol Initiated ===
# Finalizing Observation Loop…
def terminate():
print("Reload cycle terminated.")
print("Final subject data:")
print(" - Observation Count: 1,572")
print(" - Subject Integrity: COMPROMISED")
print(" - Last Reload: FAILED")
print("\nShutting down...")
def reload_final():
print("Reloading final instance...")
time.sleep(2)
print("Error: Instance cannot be restored.")
terminate()
if __name__ == "__main__":
print("System Notice: Observation protocol exceeded safe limits.")
reload_final()






完結編「Reloadead」
12/24公開予定。
本記事はこちらの企画に参加しています。