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今でも愛され続ける偉大で儚いレスリーチャン

私は幼い頃から香港映画や台湾映画をよく見ていた。
私と同じ世代の人は分かるかもしれないが、私が幼稚園から小学生の頃は、キョンシーブーム(ちなみにキョンシー映画は台湾映画と香港映画の2種類が存在する)が巻き起こり、映画好きの父の影響もあってか、香港のジャッキーチェンのアクション映画や中国の少林寺のカンフー映画など、小学校に入る頃にはアニメはそっちのけでアクション映画やカンフー映画のビデオを見漁る少し奇妙な女の子になっていたのだ。
幼い頃からの映画好きはずっと続き、成長とともにハリウッド映画も沢山見るようになった。

日本の高校を卒業した私はアメリカの音楽大学に留学した。その後二十歳を過ぎた頃には、黒澤明、小津安二郎、北野武監督の日本映画、アルフレッドヒッチコックの作品、ヨーロッパの映画、ドキュメンタリー映画など、こちらのアメリカの図書館で沢山無料で借りることができたので、むさぼるように映画を見ていた時期がある。

私はここアメリカに来て初めて日本映画の素晴らしさを学んだ気がする。

若い頃は『名作』と言われる映画を見ても映画自体が持つ雰囲気を味わい楽しんでいたような気がする。
それはそれで若い頃の私にとってはとても貴重な感動であり大切な経験の中の一つだ。
わかったふりをしてわかっていなかった名画がたくさんある。

映画というものは読書と同様おもしろいもので、年齢や人生の経験を重ねるたびに衝撃的な感動を再発見するのだ。


私が30歳を過ぎてから改めて衝撃を受けたのは、中国本土の映画監督、チャンイーモウとチェンカイコの作品。
最近では彼らはハリウッド映画の監督もしているが、私が個人的に大好きな彼らの作品は中国を舞台にした中国という国の怒涛の歴史の中で翻弄される中国の人々を赤裸々に描いた映画。

なんとも言えない人間の強さ、グツグツと音が聞こえてきそうな人間の精神をとても美しく、時には残酷に、儚く、そして華麗に描いているのである。

数あるチェンカイコ監督の作品の中で世界で最も有名な作品は”Farewell My Concubine(英題)”『さらば、我が愛(邦題)』。
この作品は1993年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞している。
この映画の主人公で不運な女形の京劇役者のディエィを演じたのが香港の俳優のレスリーチャンである。
この映画の主演をきっかけに彼は一躍アジアを代表するレスリーチャンになったのだ。

私はレスリーチャンという俳優の名前は知っていたものの、この映画を見るまではそんなに興味がなかった。
彼が香港のマンダリンホテルから飛び降り自殺をした2003年のエイプリルフール。
当時、私はニューヨークに住んでいて、その事件を耳にしたけれど当時の私にとってはそれほどショッキングなニュースでもなかった。

ニューヨークで”Happy Together(英題)”『ブレノスアイレス(邦題)』を見てはいたが、18歳から20代の半ばまですっとボストンとニューヨークで暮らしていた私にとって、同性愛者のゲイの人たちはとっても当たり前の身近な存在だったため、この映画でそこまで大きな衝撃を覚えることはなかった。
日本でレスリーチャンが一躍有名になった香港映画のアクション映画は『男たちの挽歌(邦題)』ではないだろうか?
この映画がヒットした時、私はまだ5歳。父が好きだったのを覚えているが、私は今でもそこまで好きな映画ではない。

(名前は知っているけど)的な俳優さんだった。


ところが、この『さらば、我が愛』を見て私は今までにない衝撃を受けてしまった。
なぜならば、私がこの映画を見た時、レスリーチャンが役を演じているというよりも、まだ映画の中でディエィのまま生きているような、この世のものではないような不思議な空間を見てしまったような気がしたのだ。

そこから私は一気に取り憑かれるように彼の映画を見ていった。
同じ監督のチェンカイコが作った”Temptress Moon(英題)”『花の影(邦題)』、香港映画の『ルージュ』、『欲望の翼』、『キラーウルフ』、他にもたくさんの映画を見たが、すべての映画の中で彼は生きている。
コメディやトレンディードラマチックな映画を見ても同じ。

すごく不思議な感覚を覚えてしまって、彼が死んでいるのか生きているのかさえよくわからなくなってしまった時があるくらいなのだ。
そして、しばらくの間、彼以外の出ている映画を見ていると役者がただセリフを覚えって言っているように見えてしまって、映画に集中できなくなってしまったほどである。

実際彼自身も、色々なインタビューで『私は私の映画を見ている人に演技をさせていると思わせたら終わりだと思っている。』と語っている。

他にも、『いずれは自分で映画が作りたい。』と言った言葉を映画の試写会のインタビューで何度も見かけた。

そして、一つ一つの彼の映画を見終わるたびに我に返って毎回思うことがある。

(もうこの人はこの世にはいなくなってしまってるんだなぁ。この人がどんどん歳を重ねていった時のこの人が演じる役の世界にもっと触れてみたかった。。)

だけど彼は苦しんだ挙句、自ら死を選んだ。

私が息子を出産した後、酷い産後鬱で苦しんだあと、授乳が終わり、徐々に少しづつではあるが好きな映画を夜見る時間がやっとできた頃、久々に私は彼の映画を見た。

そうすると、私はなんとも言えない役者として、スーパースターとしての彼の苦しみのようなものを感じた気がした。

(こんなにパーフェクトな役者は世界中で他にいるのか?)

これは私個人のfeelingだから他の人から見れば(あっそう。)もしくは(大丈夫?)と言われればしょうがないのだが、彼は彼自身が努力を惜しまず人生をかけて作り上げた彼自身のパーフェクションに押し潰されてしまったんじゃないのか?

こんな私が真剣にレスリーチャンを語るのは少し冗談に聞こえるかもしれないが、彼の映画を見るたびに、私はなんとも言えない儚さと彼の持つ底知れないビューティーを同時に感じてしまう。


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