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芸を追いかけるのに、「遅い」なんて事は無い  柳家喜多八・笑福亭鶴志

この時代に「お笑い」を、「演芸」を好きで良かったと思う事がある。

録音、映像媒体の発達は勿論の事、今やインターネットを使って、自分が見たいと思う芸を容易に探せて、簡単に楽しめる。実際にその場所に赴いたり、その時代に生きていなければ本来出会うはずのなかった芸が、媒体を購入したり、ネットを繋げるだけでいとも容易く眼前に映り、笑いや感動は勿論、時には予期せぬきっかけや産物をも与えてくれる。

「芸は、LIVEが一番。映像や録音は、その良さが10分の1も伝わらない。」ごもっとも、異議なしの意見だし、そこについて反論しようという気は毛頭ない。だが、その大義名分を都合よく用いて、下品なマウントや初心者を排斥しようとする好事家気取りの莫迦連中には反吐が出る。

熱量に任せて、だらだらと前置きが長くなり、どんどん論点がズレるのが自分の悪い癖なので単刀直入に言うと、今回はとある二人の落語家について書いておきたい。自分がその芸に惚れた時には、お二方ともすでに鬼籍に入られており、生でその芸を見届ける事は叶わなかった。本、CD、そしてネットといった媒体を通じてその存在に知り、その芸に惚れ、今現在必死で追いかける日々を過ごしている。現代の発展した媒体があるからこそ、時間を超えて、至芸に巡り会い、惚れる事が出来た。

「芸」は披露した瞬間、その場から消えてゆく儚い宿命。それを媒体に録り残しておくという事は「野暮」「不粋」という意見もある。しかし、その「野暮」「不粋」のおかげで、新しい世界が開けている人間も確かに存在する。少なくとも、ここに一人。

この時代、芸を追いかけるのに、「遅い」なんて事は無い。つくづく、そう思う。

これから書くのは、そんな「遅れた」ファンが一方的に書く、届くはずの無いで、自己満足で歪なファンレター、のようなものである。


柳家喜多八

柳家喜多八①

正確に言うと、この師匠の存在・芸を知るタイミングは、まだ師匠が存命中の頃だ。亡くなる2~3年前といったところか。そう言った意味では、ギリギリ間に合ったと言えるのかもしれない。しかし、その当時知る事ができたのは、本当に上澄みの部分だった。

10年以上前に刊行されていた『落語ファンクラブ』(白夜書房)という落語ファン向けの雑誌での「よくわかる落語家カタログ123名」という特集回で知ったのが、根底のきっかけである。

活躍中の東西の落語家123名の特徴・芸風・得意ネタまでを、まるで「ウルトラ怪獣大百科」よろしく1冊まるごと網羅した特集で、当時落語ファンになったばかり自分にとっては、まさに「夢のような本」だった。
大ベテランから、若手人気真打まで幅広く網羅されている中に、渋くて、でもどこか陰気で、ひねている印象を感じる写真と説明文がぽつねんと掲載されていた。それを読んで、自分のアンテナに無意識にゾクゾクとした反応を受けている事に気付いた。
どうも自分は昔から「陰」な芸人に惹かれる。そういう性分の人間らしい。

ネットで検索をしてみると、音源や動画がヒットしたので聞いてみると、文面から読み取りイメージしていた芸の印象とは、大きくかけ離れていた芸の凄さに一瞬で惚れこんでしまった。

出囃子「梅の栄」が流れる中、とぼとぼと高座へと向かっていく。高座に座ると、文字通り「気怠そう」な感じでマクラをぽつぽつと紡ぎ始める。陽な雰囲気の、はす向かい辺りにあるような陰の雰囲気。でも見ていて、そんなに不愉快な感じはしない。気怠そうに、その日の会場の雰囲気や自身の虚弱体質を織り交ぜた自虐も入るマクラは確かに暗いが、独特のトボけた味わいと本質を容赦なく突く切れ味が同居していて、聞きこむほどにじわじわと惹きつけられてゆく。さらに、持ち前の低音ボイスの実に聞き心地の良い事。決して気取らず張り上げない自然体でラフな感じ喋りに、聞く側の無意識な緊張感もほぐれてゆくような感覚。

「本題もこんなトーンで描かれるのかな」と、水彩画あるいは水墨画のような芸をイメージしていたが、本題に入ると展開が進むに連れて、段々と登場人物達に赤く熱い血の気がさしてくる。テンポもギアチェンジされ、描かれる情景に風を切るようなスピード感を帯びてくる。併せて、人物達も段々とエネルギッシュでクレイジーに変貌を遂げてゆき、噺の中を縦横無尽に暴れ倒してゆく。最初の陰気で気怠い印象は、どこへやら。

水彩画あるいは水墨画が描き上がるのかと思って見ていたら、最終的に強烈なハイテンションとナンセンスが入り混じる劇画が描き上がった。それも水彩画・水墨画の良さをしっかりと残した。

「何なんだ、この人」

落語家に対して、こんな放心した感想を持ったのは初めてだった。

「陰気」で言うと、自分は八代目三笑亭可楽師の落語が好きだが、あの可楽師のグラグラと煮詰めたようなドス黒い陰気さと舌足らずな早口で聞く側を翻弄する芸とは違い、陰気は陰気でもドス黒いものではなく、時折「陽」も入り混じった「灰色の陰気」といったような印象を喜多八師に受けた。いや、可楽師も聞く側の印象でドス黒いと思っていただけで、本人は自分なりの「陽」という物も使いこなしていたのかもしれない。こういう事を考えだすと、また袋小路に入って無駄に長くなる…

この人の芸に本格的に惚れたきっかけは、「小言念仏」という噺だった。

この落語、他の落語と違って登場人物はたった一人(正確に言うと、3人なのだが、実質一人。興味ある方は聞いていただきたい)。それも、映画やドラマで言う場面転換も一切無し。定点カメラを固定した状態で繰り広げられる、まさに究極の「一人芝居」。

朝のお勤めとして仏壇の前で、あるご隠居がお経を唱えてる。そのお経の合間に周囲で色々起こる事象に対して、ご隠居がお経の合間に小言を言い続ける。ただ、それだけの噺。

古くは三代目三遊亭金馬師の音が残るが、近年でこの噺を自家薬籠中の物としていたのが、喜多八師の師匠である十代目柳家小三治師だった。小三治師の淡々とながらも秘めた熱量を感じさせる「小言念仏」の面白さを知っていただけに、どこか冷静な心持で喜多八師のを聞いた時、前者2名には感じなかったその予想外の鋭すぎる切れ味に度肝を抜かされ爆笑した。恐縮の極みだが、この噺に関しては「金馬・小三治を超えている」と純粋に思った。
聞き終えた瞬間「あ、自分はこの師匠の落語が好きだ」と真っ直ぐに思った。

兎角、喜多八師はネタの守備範囲が広い。先述した「小言念仏」、「鈴ヶ森」、「目黒の秋刀魚」、「親子酒」、「噺家の夢」、「近日息子」のような寄席サイズの短い滑稽噺から、「居残り佐平次」「死神」「らくだ」といった大ネタ。さらに「たけのこ」、「おすわどん」、「盃の殿様」のような演じ手の少ない噺に、「いかけや」、「七度狐」などの上方落語まで演ってしまう。さらには浪曲でお馴染みの「清水次郎長伝より石松三十石船」の落語バージョンというネタまでも持ち合わせていた。

落語だけでなく、柳家喬太郎師・三遊亭歌武蔵師とのユニット「落語教育委員会」ではコントを演じたり、宝塚歌劇のファンが高じて羽根付き衣装に身を包み『すみれの花咲く頃』を熱唱したりと、陰気な芸風に見えて実は、芸の面では、情熱家でアバンギャルドな感覚を持ち合せ、なによりも自身の芸における「ダンディズム」という物をとても大切している芸人なのだと思った。

落語家としては黄金期といえる60代に突入し、これからますますの円熟した芸を愉しめると誰もが信じていた2016年5月。がんのため66歳という若さで逝去。「ギャグだと思っていたら、本当に虚弱体質だったのか」という喪失感に、演芸ファンになって初めて「落語家の死」という得体の知れない何かに、心がどこかへ引っ張られていかれそうな感覚を味わった。

好きになり始めていたのに、肝心の本人がもうこの世にいない。この喪失感そして、そこから発展する虚無感。
「辛い」なんて一言で、言え尽くせない。

早い物でそんな喪失から5年が経ち、気づけばまた日常的に喜多八師の落語を聞いているが、その気怠くて、ひねてて、なのにバカ真面目なくらい熱くて、楽しすぎる落語は全く新鮮さが落ちる気配が無い。

喜多八師が、常日頃から掲げていたモットーがある。

「清く、気だるく、美しく」

この落語家を言い表すのに、これ以上の言葉は無い。

柳家喜多八。怠惰と情熱の狭間を自在に行き来する孤高の落語家。


笑福亭鶴志

笑福亭鶴志①

2021年に観に行った映画の中で、一番印象的だった映画が『バケモン』だった。
落語家・笑福亭鶴瓶に2004年から17年間密着したドキュメンタリー映画。このドキュメンタリーの主軸に置かれているのが、上方落語の大ネタにして笑福亭一門のお家芸「らくだ」。鶴瓶師は2004年の初演から研鑽を重ねて、2007年には歌舞伎座で開催した自身の独演会で、斬新で大胆な演出を施した「らくだ」を披露したが、それから実に13年間、この大ネタを客前でかける事は無かった。しかし2020年、それまで封印していた「らくだ」を突如解禁すると宣言した。その瞬間をカメラが押さえていたのだが、鶴瓶師は「らくだ」を再演する理由をこう語った。

「鶴志が死んでん。松喬の兄貴も死んで、おやっさん(六代目笑福亭松鶴)の匂いがする落語家が次々といなくなってる。残していきたい。」

松鶴師は勿論の事、松喬師についても何度か芸を見ているので存在は認知できたが、恥ずかしながら、自分は「笑福亭鶴志」という落語家に関しては存在すら知らなかった。どのような風体で、どのような芸をするのか。勿論高座など一遍も見た事も聞いた事も無い。

鶴瓶師のインタビューの後、鶴志師について簡単な注釈と写真が流れた。香盤で言うと、鶴瓶師の一つ下の弟弟子に当たるが、その高座は六代目松鶴を色濃く受け継いでいるとの事。さらに写真が写されたが、いかにも六代目松鶴に通じる強烈な圧とアクだけでなく、どことなく茶目を感じさせる風貌に、自分の興味がこの落語家に流れていくのが感じた。

映画を見終わった後、ダメ元でYouTubeを探ってみたところ、事務所か身内の方が運営しているかは分からないが、鶴志師の高座の、それも映像を集めたチャンネルに当たった。「これ幸い」と思い、早速その高座を見漁った。

出囃子は、十代目金原亭馬生師や現代だと立川談春師でお馴染みの「鞍馬」。だが、普段聞くより上方落語らしいド派手で、けたたましさがある曲調は、師である松鶴師の出囃子「舟行き」を彷彿とさせる。

そんな豪快な出囃子に送られて、のっそのっそと高座に現れる鶴志師。スキンヘッドで、でっぷりと肥えた体はまさしく「巨漢」という表現が相応しい。見台の前に座ったが、その巨体は見台からはみ出すんじゃないかと思うほど。そんな体格がちょこんと高座に座るアンバランスな形が、妙に可笑しい。

がなり声で、伝法な物言いで繰り広げるマクラは、豪快で泥臭くて、いい加減。それでいて何とも言えない茶目っ気がある。特に、長い事内弟子をしていた事もあってか、松鶴師に関する逸話を話す時の生き生きとした感じが楽しい。内容のクレイジーさと相まって、本題とは別に落語一席分の爆笑を余裕で攫らっていく。

そして、本芸のその「系譜の濃度」に驚かされた。「らくだ」や「天王寺詣り」と松鶴十八番を演じる、その豪放磊落で、アクと押しの強いストロングスタイルの高座は、まさしく笑福亭松鶴の芸の系譜のメインストリートを大手を振って堂々と突き進んでいるが如く。松鶴師の映像や音源を聞いた事はあるものの、どれも全盛を過ぎた物しか見た事聞いた事がない自分にとっては「全盛の頃の松鶴師の高座って、こういう感じだったのかしら?」と果てない想像を、鶴志師の高座に置き換えて見ていた。

自分が上方落語で好きな点は、江戸とは一味違う「華やかさ」と、ドロッとゴテッとした「人間味」が味わえるという点だ。※抽象的な擬音でしか表現できないのがムズ痒くて仕方がないが、現時点での自分の表現力では、これが限界である。

「華やかさ」という点は、米朝、五代目文枝、三代目春団治といった大家とその系譜が担っていたが、後者の「ドロッとゴテっとした人間味」は松鶴師が完全に一手に引き受けていたように思う。芸だけでなく、その強烈でめちゃくちゃな逸話を聞いていると、特にそんな事を感じる。鶴志師の高座はそんな松鶴師の芸の系譜の道を、先陣を切って堂々とど真ん中を歩いているように映った。

「らくだ」「天王寺詣り」「高津の富」「平の陰」といった松鶴十八番、「地獄八景」のような笑福亭以外の大ネタもガンガンこなし、「時うどん」「近日息子」といった軽い噺も良い。「火焔太鼓」「死神」「かんしゃく」といった江戸のイメージが強い噺も柔軟に演じる。兎角なんとネタ数の膨大な事。威圧感のある風格に不器用な印象を最初は受けたが、それとは裏腹に、芸に対するフットワークの軽さにワクワク感をそそらせた。

その豪快な人柄は、落語ファン、落語家だけでなく、所属する松竹芸能の芸人からも大いに慕われたという。

『上方落語家名鑑 第二版』(出版文化社)に、鶴志師の項にて、最後本人のコメントで、こう締めくくられている。

「僕は自分の好きな落語をして好きな酒を飲めたら言うことはない」

好事家を初め、内野外野はあれこれ論をこねくり回して芸を語る世。言うは易しだが、結句ここの境地に辿り着ける落語家は果たしてどれだけいるのだろう。

笑福亭鶴志。ひょっとしたら、古き良き大阪を生きた市井の人々を真正面から描ききれる最後の世代の落語家なのかもしれない。

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今回は、ひたすら自分が好きになった落語家2名の事を、いつもの如く脈絡なく「好き」という気持ち一点で書いてきたが、書き進めれば書き進めるほど、「もうこの2人はこの世にはいない」「最新の、今の芸を見る機会は現世ではもう無い」という容赦のない現実が、心に重くのしかかってくる。どれだけ「観に行きたい」と思っていても、もう見に行けないのだ。どうして、もっと早くにその存在を、その芸を知らなかったのか。慚愧に堪えない。兎角、慚愧に堪えない。

だが、「生きている間に知れなかった後悔」よりも、「その至芸の存在をも知らずに、のんべんだらりと生きていく日常」の方が、演芸ファンの自分にとっては恐怖である。だから、どれだけ「不粋」「野暮」と言われようが、自分はこれからも媒体に救われていく演芸ファン人生を送り続ける。

この体が命を全うし、冥界に寄席があるとするならば、今度こそ2人の芸の眼前に心に焼き付けようと思う。



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