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続・白い履歴書
人というものは人生の岐路に差し掛かると、筆を取りたくなるものらしい。
約一年半前、就活真っ只中だった私は「白い履歴書」というタイトルの記事をはてなブログにしたためていた。
こういった文章だ。
履歴書を生まれて初めて書いたのは、大学入学後にアルバイト先に提出するときだった。
そのアルバイトはサークル関係で入った、いわゆる「コネバイト」だったので履歴書も形式的なもののため特段の自己アピールも必要ないものだった。
それでも、封筒とセットになっている履歴書を購入して記入するときはいささか緊張した。
書き終えると同時に、書けることのあまりの少なさに愕然とした。
私は中学卒業後に高校に進学せず、高校卒業程度認定試験(通称高認。旧大検)を取得してから大学受験を経て入学したクチだ。
なので、中学校卒業のあとに高校入学と卒業がまるっとスキップされて大学入学と書くしか無かった。
形式的なものなので大学入学のところだけで良いと聞いてはいたが、白紙の部分があまりに多くなるのが寂しくて中学校入学と卒業の部分をわざわざ書いた覚えがある。
次に資格欄。高認を記入。あとは必修で受けている授業の中にTOEICの受験が課されているので、そのスコアを記入するくらい。
他に埋められるそうな資格は大学入学前に取得した漢検2級くらい。迷った末それは書かなかった。大学に入ってから取得したものや、実務的な例えばFPや簿記以外は書いてはいけない気がなんとなくした。
その末に出来上がったのが、やけに余白が目立つ履歴書で、漠然と「これからの数年間で何かを埋めていかなきゃ」と焦った。
というわけで、就活がんばるぞ!8年生の就活記録残すぞ!(そのうち書くかもしれないが、筆者は大学の学部に8年在籍していた)と言いつつ、この記事のみでブログは放置されていた。
今読むと、それなりの不安とそれなりの焦りがプライドというオブラートに包まれており、なんとも気恥ずかしさを覚えてしまう。
まあ、わかるよ。不安だよな。
というかめっちゃ不安だった。
いま一年半前の自分にかける言葉があるとするならば、
「残念ながら、内定を取っても卒業をしても働き始めても不安というものは付き物なのだよ」
そして
「だいたいの不安というものは杞憂なものだ。気楽に構えて、ただ行動に移すだけでいい。大丈夫だよ」
という、安楽死宣告みたいなものしかない。
だから、行動するしかないのだよ。
就職活動をしていれば内定は出るし、勉強をすれば卒業できるし、朝起きれば会社には気がついたら着いているものだ。
もちろん「自分自身」という主語は必要だが。
履歴書もしょせん、自分という多面体の一部を切り取ったものにすぎない。
何をやるか、どうやるかを精査するステージではあるがろうが、今やってみるしかないのだろう。
淡々と続けていれば、白い履歴書とやらも埋まっていることだろう。
というバトンを半年後か、一年後か、それよりも先の自分に投げておこうと思う。少なくとも、未来の自分は今の自分よりもなにかを得ていてくれることを期待して。