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繰り返せないのならば、行ったことがない場所にいこう|LIGHT HOUSE感想文

星野源とオードリー若林によるLIGHT HOUSEという番組がNetflixで配信を開始した。

源さんも若さまも、学生時代から好きでラジオもよく聞いているくらい。その2人がトーク番組をするだと、、?しかも佐久間さんだと、、??海外でも…観られる!!と、アフリカからから信じられないくらいの熱量で配信を心待ちにしていた。

今私のいるジンバブエは選挙真っ只中で、私たち地方隊員は首都退避中。電波がいいホテルにいて、視聴できる環境も整っていたので、1日1話ずつ大事に見させていただいた。

毎回ちゃんとメッセージ付きの槍を心臓に撃ち込まれる気分だったけれど、そのなかで一番刺さったのが第3回のクリスマス会だった。


若林が星野源に「どうやってモノづくりの炎を維持するのか」問うと、源さんはこう答えた。

「自分が驚いたり楽しんだりしたい」

まずここは、若さまもいい反応をしていたように、とても良いヒントをもらった気がした。彼らの仕事がモノづくりであるだけで、これは「仕事」もしくは「生きること」へのモチベーションの話だと思った。

わたしも、次の仕事をどうするか、このあとどう生きていくのかを最近ずっと考えているのだけれど、どうも想像するどの道もしっくり来ず、ううむと唸る毎日だった。でもそれって、仕事によって喜ばせる視点が自分ではなかったからかもしれない、と、道が一気に開けた感じがしたのである。

「途上国の人のために」というところに戻ってきたい、ということを軸にして今後の道を作ろうとしていたけれど、それは今の軸ではなくて遠い先のゴールなだけなのだということに気づいた感じ。あくまで軸は「自分がワクワクしたい」とか、「自分の好奇心を満たしたい」というところにおけば、自ずと仕事も楽しめて毎日を生きていける気がした。


若さまの「幸せは幸せなんですよ。でも毎日がつまらないんですよねぇ」という一言も衝撃的だった。若林くらいメディアに出て大成功していると思われていてもそうなのか、という衝撃。それ、Netflixで言っちゃうんだ!という衝撃。

そしてその後の源さんの分析。
「一言で言うと、若林さん、飽きたんじゃないかな、と思って。」

痺れた。今のテレビに飽きたってことを、Netflixで言うということは、かなりのことなはずだ。大勢のスタッフと番組を作っているトップの人が飽きたなんて、彼らの仕事への冒涜と取られてしまうかもしれない。こんなに売れていて幸せはずなのに、飽きた、だなんて。

でもここの何が痺れたかって、おこがましいけれど、本当に少しだと思うけれど、この2人の気持ちがちょっとわかるような気がするのだ。

わたしもたぶん、見る人から見たらうらやましい立場なのだと思う。行きたかった分野で大学院を出ていて、IT界のトップを走る企業で少しではあるが働いて。その後、ずっとやりたかった途上国関係の仕事として協力隊を選び、自分で選んでここに来た。

でもたぶん今、わたしは「飽きた」のと近い状態にある。さすがに彼らほど「やりきってしまった」というところまでは行っていないのだけれど、ずっと来たかった途上国というところにきて、こんなもんか、と思ってしまって、毎日が毎日面白くはないし、面白いと思える未来が見えない。

この原因が、また源さんが解説してくれていて、とっても素晴らしかったのでご紹介しよう。

「同じことをずっと繰り返せる人と繰り返せない人がいて、僕は行ったことがない場所に行かないと生きていけない。ずっとループだと壊れちゃう」

「行ったことがない場所に行きたい」というのは、まさに近年わたしが生きるモチベーションとして掲げているもので、ここでやられた。ここが自分と似ていることが本能的に知っていたから、この二人が大好きだったんだと思った。行ったことがないところに行き続けないと酸素が足りなくて死んでしまう。まるで泳ぎ続けないと死んでしまうマグロのよう。

そしてこのモチベーションがあるからわたしは旅が好きだし、自分の知らない世界に連れていってくれる映画や本などエンタメが好きだし、悪く言えば仕事が長く続かなかったんだと思っている。わたしはできるだけ早く、階段の上からの景色(=仕事のステップアップ)が見てみたいし、川の向こう岸からの景色(=キャリアチェンジ)が見てみたい人間なのである。

周りの「繰り返せる人」と比較するから辛かった、というのも発見した。若さまにとっての春日や山ちゃんのように、私の周りにももちろん繰り返せる人がいる。繰り返すのが苦でないというのが本当にすごいと思う。やっぱり、そういう人たちの方が物事を熟達していくのが早いから。

ただ、これからは、違う人種だと考えて比べることを減らせそうだ。私には私にしかできないことがある。

でもこの「行ったことがない場所に行きたい」という欲求をどんどんみたしていくと刺激中毒になって、今までより大きいスリルみたいなものをどんどん求めるようになってしまう。ジンバブエというヤバい土地に1年住んだ今、これ以上の刺激ってどうやって手にするんだ、、?と途方に暮れているという話でもある。


ここで、LIGHT HOUSEの議論は続いていく。

若さまは、源さんとのラップレコーディングという彼にとって初めての新しい仕事に向かうときに、それはもう久しぶりにワクワクしたのだという。その出来事を通して、こう言うのだ。

「行きたいところは自分で作れるなあと思ったんすよ」

なんて素敵な話か!!人生の先輩がこういうことを本気で話してくれると、本当に涙が出そうなくらいうれしくなるのだ。同じ人種だと感じるわたしの、自分の未来が明るく感じるのだ。

こうなってくると、たしかに星野源「喜劇」という曲の歌詞で "私の居場所は作るものだった" という歌詞も響く。わたしはたぶん、このあたりは源さんとは逆で、人の輪に入ることは昔からそんなに難しくなかったけれど、その代わりに自分のことを理解するということをやってこなかったのかもしれないなあと思う。それは、居場所がしっくり来ないわけだ。何に幸せを感じるかわからないまま、探し続けていたのだから。

自分をあらためて見つめ直して、私の本当の居場所をこれから作っていきたい。そしてそれは、一緒に新しい景色をたくさんみていけるチームだったら一番いいなあと、ぼんやり考えている。この私がいうチームの具体は、家族なのかもしれないし、会社なのかもしれない。

行きたいところが似ていて、行きたいところにいけるチーム。これが今私が一番欲しいと思うもので、探しているときが一番わくわくするのである。


そしてまた議論は続いていく。

源さんによると、「行ったことがない場所に行きたい」というのは、ドーパミン的幸せを欲しがっているのだという。わかる。そしてドーパミンは「期待物質」、つまり未来への期待、「このあとどうなるんだろう?(という期待)」によって出る。まさに、刺激中毒を引き起こすのがこちら。

対して、「今の幸せ」はセロトニンやそういった物質によるものなのだという。家族と過ごす幸せや、今の人生に幸福感を感じられること。

未来への期待と今の幸せのバランスを両輪でとっていく方が良い人生になるんじゃないか、と源さんは言う。

今ほしかった言葉をもらえた気がした。今と未来を分けて考えて、その幸せの総量を上げたり、維持したりしていけばいいだけなんだなあと、スッキリしたのである。

特に今のわたしのように、転職のことを考えたり、婚活のことを考えると、この辺りがごちゃごちゃとしがちなのだと思う。仕事も結婚も、言い方が難しいけれど、未来という線の上の現在という一点を想像して考える必要がありそうで、ここが難しい。現在のセロトニン的幸せと未来のドーパミン的幸せを分けて考えて、そのどちらもをうまく満たす選択がどうすればできるのか、を考えてみようと思った。


ここまで書いてようやく気がついたけれど、これはまさにウェルビーイングの話だ。幸せをどうやって手に入れるか、また今ある状況でどう考えたら幸せになれるかの話だ。

源さんと若さまの幸せを願いながら、わたしも「繰り返せない側」の一員として、このどうしようもない海で見たことのない景色を求めて泳ぎ続けていこうと思う。


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