「やりたいことをやっている」わたしから、「やりたいことがない」人へ贈る言葉
昨日、POOLOで「自分たちにとって豊かな2025 or 2030年の世界の理想と今のギャップを教えて下さい」というテーマのチーム発表があった。
そこで他の班の発表とそのフィードバックを聞いて、実はモヤッと思ったことがあった。そのときには言葉にならなくて話せなかったので、一度書きおこしてみようと思う。
豊かな世界ってなんだろう
発表の班ごとに「豊かな世界」の定義が少しずつ異なっていたが、「豊かな世界を作るためには自分が豊かな状態でいなければならない(by Mチーム)という話があって、ただただ同意だった。
ここ数年でわたしも実感したけれど、自分が整わなければ、周りになんて目が向けられない。POOLOでも幸福学の観点で「利他」という言葉が度々キーワードになる。けれど、特に20代のうちなんて、「利己」で精一杯なんじゃないだろうか、と30歳を目の前にして思う。
わたしも社会人1年目のとき、仕事では全くといっていいほど成長しているという実感がなく、上司はひどいし、内容は生涯やりたいことというわけでもないので将来性がなかった。住んでいる場所も気に入らなかった。
その結果、ストレス解消のためにもダイビングに行きまくって、お金がずっとないような状態が続いた。
ダイビングは楽しくて一生の趣味が手に入ったとは思う。けれど、決して総合的に豊かな状態ではなかった気がする。ずっと、「なんか違う…気がする…!」と思っていた。
そこからいろんな人に出会い、話を聞いてもらった。なんやかんやあり、会社を1年で辞めて転職し、ひとり暮らしを始め、経済的にも安定してきた。今はやっと、ずっとどこかでやりたいと思っていた「途上国の人たちの生活を豊かにする」という仕事の方向に身体を向けることができた。スタート地点にやっと立てた気分である。
つまり、まず「自分」を豊かにして、そこからやっと、「人の生活」の心配ができるのだ。
わずか2年で、徐々に好転させることができたのは、心配してくれたいろんな周りの人のおかげが大きい。
また、わたしの「幸せになりたい!」という向上心や、「こっちに行ったら何があるだろう?どんな豊かな体験ができるかな」という好奇心によるものなのかもしれない。
やりたいことがないなんて、ありえなくないか?
ここで、最初の話に戻る。
Mチームの発表の中で、チームメンバー各々の、2025・2030に実現したいことが書かれたスライドがあった。その1枚を受けて、「やりたいことがないとき、どう見つけましたか?」という質問がでてきた。
わたしは「やりたいことがない」なんてことは、人生でありえないと思っている。「自分はもうこの状態で最上級に幸せだと思うので、これ以上やりたいことはないです」というならわかるけれど、人生やりきって突き抜けたおばあちゃんならともかく、20代や30代でそうなっている人なんて見たことがない。だいたいの人は、自分は今なんとなくしんどいからどうにかしたいけど、実際どうなりたいかはよくわからない、という感じに見える。
わたしにはやりたい仕事・積み重ねたいキャリアがある。けれどやりたいこととの出会いは偶然に過ぎないし、なんとなく勉強し続けていたらなんとなくやってみたいだけかもしれないと、最近は考えている。
なんとなく、AとBを比べたら、こっちのほうが気になる、ということで突き詰めたら、そうなってしまっただけのことだ。
具体的に言うと、日本のIT企業で自分たちだけの利潤を追い求める仕事にモヤっとして、それよりはもうちょっと多くの人のためになる仕事がしたいということがわかった。そしてどこの人のためになりたいかというと、十分便利な日本よりも世界の困っている人のためになる仕事がしたい、気がする、というだけの話。
やりたいことがない人のためのアドバイス
あなたに本当にやりたいことがないというなら、有効な考え方は2通りあると思っている。
やりたくないことを探す
例えば、普通に考えて、週5も働きたくなくない?(やりたくもない仕事をしている場合に限るかもしれないが…?)
でも「働きたくない」とか、マイナスに思える言葉も、十分豊かになるために必要な欲求なんじゃないだろうか。
そこでやるべきことは、「働きたくない」という言葉をプラスの言葉に変換すること。「もっと楽にお金がほしい」「働く時間を減らして趣味の時間をとりたい」「場所の自由がほしい」「やっていてストレスレスな仕事がしたい」。すると、そのためにどうすればいいか、道筋が見えてくるはず。
ちなみにわたしなんかは、仕事から得られる達成感は大好きなタイプなので全く仕事をしない人生は考えられない。けれど週休3日くらいあってもいいのになあと思うときもある。
なので、今、日本で社会人をするなら、週4日働いて月収40万(そして家賃の安い地方か郊外に住む)くらいの生活が一番幸せそうだなあなどと妄想している。
時間とお金の制約がないとき、なにがしたいか考える
「3億円の年末ジャンボがあたって、時間も無限にあるとしたら、何がしたいですか?」
妄想力が試される質問だ。でも、よく聞くだけあって大事なQuestionだと思う。
自分のやりたいことを制限しているのって、結局時間とお金がないことが大半なのではないか。もちろん、各々他にもいろんな事情があるだろうけれど。
やりたいことがないという人たちは、よくよく聞くと、やりたいことがないのではなくて、勝手に現実で自分をブロックしているだけな気がしている。「大丈夫だよ!」といつも言いたくなる。ここはいうて日本。本当に困ったら国や自治体や誰かが助けてくれる優しい世界。素晴らしいこの世界にいるんだから、ちょっとでもやりたいことをやらねば損だよ…!と思うのはわたしだけだろうか。
まぁ結局、実際には3億円あるわけでも、時間が無限にあるわけでもない。だから、やりたいことができる世界に自分がFITするように少しずつ頑張るということはどうしても必要そう。それはそれで、苦しいかもしれないけれど楽しい作業だと思う。なぜなら、「やりたいこと」に近づいている実感があるから!
わたしも、本当にやりたい、実現したいこととなると、途上国の人のためになる仕事をしながら、自分や自分の家族がやりたいことができるくらいのお金を稼ぐことだと思っている。
協力隊はボランティアなので、年収がガクッと下がった。現状は、収入的にも実現したいレベルにはまだまだ到達していない。
ただ、協力隊に行くことで人生の軌道修正ができたイメージ。
まだまだ人生は長いのだ、ここからいくらでも実現できる、そんな気はしないだろうか?
やりたいことをやっているわたしから最後に一言
結局わたしも、好きなように生きているだけで、褒められたもんではないのかもなあと思うこともある。協力隊に行くことを親には相談しなかった(どうせ止められるから)ので、自分はハッピーだけれど、人に心配をかけているのも事実。
他にも、例えば家族の事情で海外協力隊に行けなかったという人の話も聞いているし、その人からしたら自由でいいなあと思うこともあるかもしれない。
それでも、自分を生きるのは自分だけ。自分を豊かにするのもの自分であり、世界を豊かにしたいと思うのもまた自分なのだ。
ここでわたしと同じように悩んだ後輩に一言言うとするならば。
「意外と大丈夫だから、やってみ??」
ということに尽きるのかもしれない。
たぶん、わたしくらいの人間がひとり、何か大それたチャレンジしたとて、世界はあまり変わらないのだ。
だったら、自分が豊かになる方に向いていくべきじゃない?と、最近特に、強く思う。