【エッセイ】"I'm from TOKYO."の凄みと、求める住環境について
東京出身ということの凄まじさは、大学に入ってからわかった気がする。
大学は全国から人が集まる総合大学。東京出身というと「すご!シティガール!」と言われたものだった。その時は正直ピンときていなかった。東京出身といったって、新宿のビル街で生まれたわけじゃない。私が生きていたのは大田区の東急沿線。住宅街で、周りには本当に家しかないのだ。シティガールというけれど、みんながイメージする東京じゃないしなあと思っていた。
周りには表参道出身という超都会っ子もいれば、港区に実家がある人もいた。みんなが描くのはそっちでしょう?と、思い込んでいた。
けれど、今住んでいる実家のあたりも、よくよく考えたら渋谷まで車で30分の距離。十分便利で、都会である。これは、なかなかに凄まじいことなんだろう。
ジンバブエで、東京出身だと言うのが楽しみでさえある。ジンバブエ人はTOKYOを知っているのだろうか。2020(2021だったけれど)のオリンピック開催地だよ、と言えば、多少は伝わるだろうか。
今のうちに、東京の写真もたくさん撮っておこう。おそらく、ジンバブエ人は東京と上海との見分けがつかないと思うから。
「東京出身」という言葉の重み
東京出身だとわからない、東京にいる東京出身の少なさ。この人口の多さは、いろんなところから東京に人が来ているんだなあということが本当に実感できたのは最近だった。
会社に入ってからも実はびっくりしていた。こんなに人がいるのに、全然いないじゃん、東京出身。。協力隊も、東京人の割合こそ他より多少は多かったけれど、北海道から沖縄まで、同世代でもみんなの実家の場所は多岐にわたっていた。
私だって、ルーツを辿れば、母は東京の人だけれど、父が三重県から東京に出てきている。大田区の駅は遠いがそれなりな場所に実家があるのは、本当に幸運で、ラッキーとしか言いようがないんだと思う。
ふるさとコンプレックス
SUPER BEAVERのボーカルの渋谷さんは、新宿歌舞伎町出身らしい。彼が関ジャムという音楽番組で「ふるさとコンプレックス」があるというような話をしていてものすごく共感してしまった。
東京出身者にはふるさとがない。厳密に言えばあるけれども、それはみんなが描くふるさと像とはやっぱりちょっと違う気がするのである。実家に帰っても、家の近くの友人と会うことなんて滅多にない。親戚も親とおばあちゃんがいるだけで、ふるさとに帰ってきた、という感じまではしない。
でも確実に、東京はわたしの生まれ故郷で、離れたら懐かしく思い出す場所なんだと思う(大学で離れたときにはたぶん必死だったからか、何も思わなかったけれど、大人になったら流石に何かしら思いそうである)。
SUPER BEAVERの「東京」という歌に、東京という歌詞は出てこない。心の中の故郷を表すのに、彼らの出身がたまたま東京だっただけ。誰もがふるさとを当てはめられるようにという作曲者の思いがある気がして、いい歌だなぁと思う。
東京のすきなところ
今も、出国までの短い時間を東京の実家で過ごさせてもらっている。東京が実家というのは何かと便利だ。なんせ大体のものに実家から容易にアクセスできるし、大体どこでも行けてしまう。病院もいろんなサービスも選び放題。海外に行くのに必要なワクチンなども、東京だとトラベルクリニックなるものが近くにたくさんあるので、割と予約してすぐに打てる。田舎ではこうはいかない。選択肢が少ない。
東京は好きだと思う。生まれ育った場所というだけだけれど、ちょっとは好きだ。不思議な気分である。日本中から東京に憧れて東京に住む人たちがいるのだけれど、そういった見上げる感じではなく、東京にいることが自然で、当たり前。みんなが抱く憧れ、みたいなものは正直よくわからないけれど、生まれ故郷としてまあまあ好きだ。人が多すぎるという点でしんどいところもあるけれど、良いところもたくさん知っている。
1年くらい離れるだけで、東京の街はどんどん変わっていく。日本の流行の最先端をいく街だ。また2年後帰ってきたらお店も様変わりしていることだろう。そこに「安心」という言葉は似つかわしくないけれど、常に刺激があって、飽きない。毎日変わる街を眺めているのも悪くない。
また、無関心で冷たい街と言って仕舞えばそうなのかもしれない。けれどその無関心さも嫌いではない。無関心の中にしばしば生まれる関心、その化学反応が好きだ。なんせ兎にも角にも人が多い。東京では自分のリソース的にも、全員に関心を振りまいてはいられなくて、自分の興味のある範囲だけを突き詰めていく。その結果、いろんな面白い人とも結構簡単に繋がれて、仕事なんかも作り放題…。
東京で生きるのは楽だ。一人でも街に娯楽は溢れていて、趣味さえなくても十分に土日を充実感を持って過ごすことができる。それが良いか悪いかは置いておいて、楽に楽しめるというのはポイントは高い。
東京という言葉に入る郷愁みたいなものも嫌いではない。いろんな「東京」というタイトルの歌があるけれど、どれも非東京出身者が東京への思いを歌った歌だけれど、それだけパワーがある街なんだと思う。
私が東京の歌でトップに思い浮かぶ曲を紹介しておく。小田和正の「東京の空」という歌である。私は東京出身なのに、なんだか胸がキューっと締め付けられる。
この曲を聴いて東京で狭い空を見上げるとき、わたしもここで働いて戦っていたんだなぁと不思議な気持ちになる。
多くの人にとって、東京は働く場所なんだろうと思う。戦場である。みんな必死で戦っている。そう思うと、戦場であることももはやエモく感じてくるのである。
都会VS田舎
この半年、田舎に住んでいた。熊本県の人吉に3ヶ月、その後は福島二本松の山奥に2ヶ月弱。田舎に住んでわかる東京との差。東京に戻って、こんなところに住んでいたのかと驚いた。半年田舎暮らしをするだけで、東京には人が溢れていた。
田舎は狭い。いや、土地は広いけれど、人間関係が狭い。大体街を歩いていると知り合いに出会う。東京ではあり得ない頻度で。人間関係がうまくいけばこんなに狭くて楽しい世界はないだろう。打てば響く、そんな世界だ。
けれど、基本的に何もかもサボれない。衆人環視がすごい。そんなことまで?とびっくりするようなプライベートのことを近所のおばちゃんが知っていたりするのだ。
都会と田舎どっちが好きかと聞かれると難しい。どっちも好きだし、どっちも嫌いなところもある。できれば真ん中くらいの街に住みたい。ジンバブエのど田舎に2年間住んで、帰ってきたら感覚も変わるのかもしれない。
帰国後、どんなところに住みたいか
特にここのところ考えるのは、帰ってきて東京に住む意味はあんまりないなあということである。東京が好きと言っていたくせに住まないのかと言われるかもしれないが、実家があるので東京にはいつでも帰って来られるのだ。自分でも少々ずるいなぁとは思う。
高円寺で1年半ほど一人暮らしをしたこともあるけれど、都会の一人暮らしはもういいかなと思っている。都会はコスパが悪い。家賃が高いくせに家が狭い。空気も悪い。人と会えば楽しいし、あらゆる文化にアクセスしやすいのは素晴らしいけれど、どこに行っても混んでいる。喫茶店で落ち着いて本を読みたいだけなのに!
フルリモートワークで丸2年働いてしまったのも大きい。仕事が家でできることがわかってしまったのにどうしてまだこんなに家賃が高い場所に住まねばならないのか。
それよりも、同じ値段ならば、郊外の自然があるところで少し広いお家に住んで、犬を飼って、自転車でカゴに美味しいものを詰めて海に行ってピクニックして犬と遊んで、夕方帰ってくる暮らしがしたい。よく走るかわいい軽自動車でも買って、スイスイいろんな山や海にフットワーク軽く行くような生活。
帰ってきてどんな仕事をするかはわからないし、日本に定住するかもわからないのにこんなことを書いている。
豊かに生きるための住環境
住環境は大事。健康にも直結する。コロナという伝染病が流行って、特にIT業界ではリモートワークが普通になった。いくらコロナが落ち着いてきたからといっても、都会にいる方が伝染病にはかかりやすいだろう(そして今回コロナに罹ってみて思った、あんなものかからない方がいいに決まっている!)。
これからまたどんな恐ろしい病気が流行るかもわからない。アフリカではエボラが流行の兆しを見せていたりするし。まったく!世知辛い世の中だ。
帰国したら、住みたい場所を探して一旦旅をするのも悪くないかもしれない。あたたかいところがいい。寒いとわたしは心が荒んでしまう。
それぞれのライフステージで住みたい場所、住みたい家も変わるんだろうなあという予想は立っている。みんなどうやって未来を想像して家を買ったりしているんだろう?
遠い未来を想像することが苦手なので、なかなか家を買うという気持ちにはならないんだろうなぁと思う。なんせせめて結婚でもしないと、定住する未来が見えない。
家族っていいなぁ
家族というものについても最近よく考える。辻仁成さんのこのエッセイ本をずっと読んでいるからかもしれない。
シングルファザーの辻さんが、パリジャンの息子と向き合う様子のエッセイ。パリを流れる時間が感じられてとても良い。息子への文句、息子に説教されたときの戸惑い、かっちーーんとなる感じ、父親として、時に母の役割をしながら色々なことを判断する苦悩。
家族って、近い。近すぎて、いろんなことが上手くいかなかったりもするのは、わたしも普段から考えているところだ。なんで親というのは、ああなんだろう!
でも、同時に家族っていいなぁと思う。家族に期待できて、自分も期待されていて、家が成り立つ世界はなんて素敵だろう。
住む場所を考えるときに、家族というファクターも必ず作用してきそうだ。辻さんも息子の大学進学を機に棲家をパリからフランスの海が見える片田舎に移したのだという。考えれば至極当たり前だけれど、家族というライフステージが変われば住むのに適した場所も変わってくるのだろう。
私はとりあえず今は、少し広めのお家に、世界中で買ってきた好きなものをたくさん置いて、ときどき人を呼んで美味しいものを食べられたらいいなあ。キッチンが広いといい。海が近いとベター。これはずーっと言っている気がするけれど、自転車で海に行ける距離に住みたい。
あとは小さいパン屋さんと銭湯が近くにあったら言うことはない。ここまでいうと結構贅沢かもしれないけれど、とりあえず、今の気分はそんな感じ。
ここのところのキーワード。「豊か」に生きるために、住環境を最低限ではなくて、整えるくらいの余裕がほしいなぁとは、思うのである。