ふと13年前のこの日を思い出したので
この週末、漫画家や声優の方の訃報が続き、少し寂しい気持ちになっています。そのせいか、学生のときに他界した祖父・祖母とのことを急に思い出したりしています。
今日は「3.11」、ふと思い出したので書いておこうと思いました。
地震のとき
今と変わらず、都内でシステム開発の仕事をしていました。開発も過渡期で、客先ビルで作業していました。
14時46分、同じチームの開発メンバが質問に来ているとき、大きな揺れがありました(震度5強)。しばらく揺れが続き、ビルの8階だったこともあって、机の上のディスプレイがガタガタと揺れて倒れそうになっていました。質問に来ていた人は立っていられず転びそうになっていたので、声掛けして近くの机に掴まってもらいました。
電車が止まっているとわかったので、客先ビル近くのコンビニへ買い出しへ行きました。まだコンビニには商品がいっぱいでしたが、買い過ぎは迷惑と思ったので、
おにぎり2つと、
500mlの水のペットボトル2本。
おにぎり1つと水1本は夕食用で、残りの1セットは当日帰宅できればお土産、帰れなければ翌日朝食用で。
少し買い出しに行った同僚が、お菓子とジュースを買って「家族に車で迎えに来てもらう」と言われて、状況判断ができていない事に驚いたことを思い出しました。しかしこういう人が、皆に助けられて生き残るんだろうなぁとも。
なかなか繋がらなかったのですが、自宅とも携帯連絡が取れて妻も子供も自宅も無事とのこと、みなの無事を離れた実家に連絡も完了して一安心。
福島・埼玉の友達から「大丈夫?」とメールがあって、お互い怪我などないことも確認できました。
引き続き仕事に戻りましたが、やはり電車の運転は大幅遅延となっていたので、お客さんに相談。緊急事態で、トイレも非常用の備蓄もあるので、安全に帰宅できるまで居てくださいとのこと。女性メンバのために、夜間は会議室を貸し出してくれました。
比較的近い一人暮らしの社員が帰宅を試みていましたが、結局歩いて帰ることになったそうです。自分の方は存分に残業して仮眠。「狭い部屋や暗い中で揺れが来るのが怖い」とのことで結局女性メンバも近くの机で突っ伏して休んでいました。
夜が明けて
翌朝始発電車が出発できたのを確認して帰宅、大きな電車遅延がなく自宅近くの駅まで帰れました。早朝のコンビニに寄って、パンと500mlの水を1つ、とカロリーメイト1箱を購入してお土産を追加しました。
普通に帰ってきて「少しだけどパンと飲み物あるから朝食にしよう」と言ったら、家族に驚かれました。電気がついて、水が出て、トイレが流れるなら全く問題ないように思っていたのですが、家族はもう少し危機感を感じていたようでした。テレビをつけると津波の報道が続きました。直前まで屋根の上にいた逃げていた人が、カメラから少し外れて戻ると建物ごとなくなっているものがあって、想像していた以上にひどい状態と認識できました。
交通機関が麻痺していたようだったので週明けしばらく自宅待機することに決めました。人命に関わるようなシステムではなかったので、お客さんと電話相談で全く問題なしでした。お客さんが困っていたのは、こんなときに「頑張っているアピール」で出勤しようとする人が一定数いたようで、お客様側で出勤者が制限されていて対応できないというものでした。
自宅待機していた期間、「システム開発してても、被災された方の直接の力にはなれない」ことが、歯がゆかった。
またしばらくしてから、大学時代の福島の友達にもう少し状況を聞いてみると、本人は職場から帰宅できず、ご自宅はガス・水道・電気が止まっていたとこのと。また「夜、暗闇で揺れるのが怖い」と言いうことで、長く持つランタンが役に立っていたことをしりました。
「明るくなくていいので、長時間もつ明かり」
が重要であると知ったことと、そんな状態で私のことを心配してくれていた友人にありがたい気持ちになりました。
翌日には
また高校時代からの友達からも電話連絡がありました。
「そろそろ家の食材もなくなってるだろうから、こっちで食べ物・飲み物を車に積んで届ける話がいつものメンバででてるんだけどどうだ?」とのこと。「働いているわけでもないので、1日2食最小限で過ごしてるから今の所大丈夫だ!」と答えると、「少しは友達に頼れよ。やばくなったらすぐ言えよ」と言われました。友達の大事さ、有り難さを痛感しました。
数日後
米がなくなるときに地震があったので米がなく。日々の家族の食べ物は、自転車で近所のスーパーやコンビニを巡回して買っていました。
たまたま近所のスーパーに行ったときお米が入荷して、目の前でお米が置かれて、家族3人で数日持てばいいので2kgを買いました。
このときも10kgを2袋持ち、子供に5kgを1袋の米を持たせている親子がいて「絶対そんなにいらないよね?」と疑問に感じたことを思い出しました。
大きな被害はありませんでしたが、非常事態なので良い悪いはないと思いますが、「人の温かい面」「わがままな面」が出やすいと感じました。
1年半後
福島の友達が写真の個展をやるということで福島へ家族で旅行へ行きました。高速道路を走っているとあまり気にならなかったのですが、市街地の信号がなおっておらず、警察の方が誘導しているところもありました。市街地から離れると地震の傷跡が多く残っていて、ぜんぜん復興が進んでいないと感じました。緑のシートがかかった除染廃棄物が家々の間に置かれていて、つらい気持ちにもなりました。
最後に
山歩きを始めてバーナーや保存食、ファーストエイドなど、非常時に使えるものが増えていて、また「長時間使える明かり」も増やして、少し安心が増しています。
今年は年始早々大きな地震があり、全く復興は進んでいないと思います。「何かできること」を意識して、元気で過ごせていることに感謝して過ごしていきたいと、改めて思いました。