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どんなITエンジニアになりたかったか

11何となく家族などのしがらみなく素の自分で、普段思ったことを書き出したい場所がほしいと思って、サービスを眺めていました。有料記事以外に、いまいちはっきりとした特徴がわからなかったのがNoteで、ぼんやりとしたものを書き出してみたかった自分にあってると思ってこちらにしました。

どんなITエンジニアになりたかったか、振り返る機会があったので、さらっと書き出してます。


全く別業種の仕事に就いた

学生のときは卒業研究に追われていて、寝るとき・食べるとき・彼女に会うとき・バイトのとき以外は研究室で過ごすことがほとんどでした。研究室にいるみんなと話をしながら、やりたいことをやり続けている状態だったと思います。
働き始めに感じたのは、
「好きなこと仕事にして休日があってお金をいただける、なんて楽なんだろう。」でした。

新卒で就職した会社ではプログラムを書かないマーケッティングとプロジェクト管理部門のシステムエンジニアでした。
学生のときは、物理系の研究をしていたのですが、同じ研究室のみなを見ていて自分の才能の無さを感じ、「好きなことを楽しめるくらいお金を稼げる仕事につけばいい」と考えていました。しかし就職活動中に、人事の方と話をしていて、「全く別部署だけれど、趣味欄のパソコンで働かないか?」と言われ、何かの縁と感じて快諾しました。※就職氷河期と言われる時代でした

先輩社員や部長も気軽に話しかけてくれるフラットな関係でした。暗号関係のシステムを扱っていたのですが、まだまだ世の中はそこまで追いついてきておらず、1年もすると大幅な人員整理がありました。部署内は人が不足していて既存業務でこなすことで手一杯になり、転職を決意しました。
学生時代は実験のための理論計算でコンピュータを使っていて、処理が遅かったり、ソフトがない部分は情報工学部の研究室の方にお願いして作ってもらっていました。この延長で仕事をしていたように思います。
そしてプログラムを書けないことにコンプレックスを感じていて、プログラムを書く仕事に就こうと考えました。

その時代のプログラマーの職場環境は劣悪だった

いわゆる中小企業に転職しました。客先で仕事をする社員がほとんどで、そのお客先もSIerと言われる会社で、手段としてでなくシステムを作ることを目的としていました。※一般向けのサービスを提供していない
会社間でしっかりとした上下関係、横並びの壁があり、同じシステムを作っていながら、少し競合他社のような牽制のようなものがあって、協調がない環境でした。ちゃんとしたプログラムも書けない自分にも、「無駄ばかりで、いいシステムはできないだろう」と感じていました。
酷い業界だと思いながら本屋さんを散策していると、XPの本がありました。
XPとはエクストリームプログラミングのことで、初期は「すべてを適用する」とあり、希望を感じつつも、現場を見ている限り今は無理と思いました。しかし部分的に適用することはできると感じ、意識して日常業務に就いていました。そのときのプロジェクトの管理者の振る舞いに納得がいかず、プロジェクト管理も合わせて勉強しはじめました。

「偉いプログラマー」になりたかった

いろんな本を読んでいるとアナリシスパターンとかを書いている方が、リファクタリングなどの本も書いていたりします。プログラマが、システムを使う人と話しながら、システムを作っていけば、時間はかかるかもしれないけど無駄はいと感じました。またスピード感を出すためにアジャイルソフトウェア開発など書籍化していて、世界で活躍しているプログラマに憧れました。

自分たちでサービスを提供していてもいいし、困っていることをシステム化する手助けでもよいのだけれど、システムを作るために必要なこと
いろいろに関わりながら、最終的にプログラムを書くのが楽しそうと考えるようになりました。
役割が違うだけで、できるだけ好きなこと・得意なことを中心に仕事する環境がよいと考えるようになりました。その時代の上下関係にうんざりしていて、「偉いプログラマー」になりたいと考えていました。

時代も進んで、今ではそこまで酷い上下関係などは少なくなったように思います。年齢に関わらず得意なことを中心にしながら、これからもリスペクトをもってシステムを作っていきたいと思っています。


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