見出し画像

朝から晩まで人の集まる公園の前に住んで気づいたこと

我が家は区内の端っこに位置する低層マンション。
夫婦2人暮らしである。

マンションのベランダ側、つまりマンションのおもてに面するようにして、そこそこ大きな公園が広がり、それこそ老若男女が朝から夜、時には深夜まで集っている。


朝は体操に来るおじちゃんおばちゃんに始まり、午前中はお揃いのカラー帽をかぶった保育園児、午後は自転車でやって来る小学生、夜はボール片手に自主練に励むティーンエイジャー、夜更けが近づくとダンスを踊る人、ベンチに寄り添って座るカップルなどなど様々な人間模様が見える。人の行き来が多く、つまり無音とは無縁の生活をしているわけである。

昨年、コロナで1回目の緊急事態宣言が出されてからも仕事は意外と減らなかったけど、家でこなす仕事が増えたこともあって、家にいる時間が増えた。家での仕事は私にとってプライベートとの切り替えがなかなか難しく、行き詰まりを感じる時にはベランダに出て公園の自然を眺めたり、子供が奇声をあげて(決して嫌に思っているわけではない)走り回っているのをぼーっと眺めたりしてリセット出来るので割と良い環境だと思っている。

そして話は我が家のマンションに戻るのだけど、駅からは少し離れているものの1DKでウォークインクローゼットがあり、ヨガだって、なんならダンスだって出来るくらいの、2人暮らしには広さも申し分ない、家賃もお手頃の物件だ。にも関わらず、入居時に空き室が多く、案内してくれた担当者に、ここは事故物件ですか??としつこく聞いてしまった経緯がある。

勿論、事故物件でも構造上問題があるわけでもなく、夫婦2人には快適な環境(住めば都とも言うけど)だったわけだが、なんせ住人の入れ替わりが激しい。

その理由を私は、この物件が”子供不可”だからと踏んでいる。

2人暮らしに快適ということは、若い夫婦もしくはカップルに適した物件。つまり子供を持とうと思ったら家を出るということ。そもそも子供不可ってあんまり聞いたことないが、、、ペットじゃあるまいし!

なぜこの物件が子供不可なのか真意は分からないけど、要はうるさくする人お断り、私たちは静かに暮らしたい人たちの集まりですということなんだろうと思う。(にしても今日の公園はいつもに増して賑やか、、、)

確かに子供は静かとは程遠いし、少し前に公園から「ぎゃーーー、助けてーー!!!」とわめき叫ぶ声が聞こえて、刃物を持った人でも出たか!と慌ててベランダに出てみたら、鬼ごっこをしていただけということもあった。

保育園の建設に近所の人が反対運動をしたというニュースも聞くし、電車に子供を連れて乗ったら嫌な顔をされたと聞くこともある。

どんな人にだって、もれなくそんな子供時代があったはずなのになぜそれを拒絶するのか。うちの物件が子供不可というのは本当に些細なことだし、みんなが子供好きである必要もないと思うけど、、、自分に迷惑をかけてくれるな!自分を邪魔をするもの、もしくは違うものは排除だ!という風潮が身近なところにも浸透しているような気がしてちょっと悲しくなった。

そういう世の中になったのが先か、そういう政治が蔓延したのが先か分からないけど、自分達と関わりのある人は大切にして、他は知らぬ存ぜぬ。自分達と意見の違う人は敵と見なすみたいなことがここ数年突出しているように感じるのは気のせいだろうか。議論するということは、双方の意見を聞き、互いに歩み寄ることだと思うけど、そういうの無くなってないか?と政治を見ていても思う。


前首相が街頭の応援演説に登壇した時に反対派のヤジに対して、その人たちを指差し「こんな人たちに負けるわけにはいかないんですよ!!」と大声をあげたというニュースもあったっけ。
そういうのを聞くと、日本だけでも1億人以上の人が生活していて、考え方だって同じ数だけあって、それを正解と不正解、白と黒に分けることなんて出来ないんだから、お互い歩み寄ればいいじゃんか〜と思っている。

よく生きづらい世の中だって言われるけど、互いに許し合ったり、いろんな人のなかで共に生きるっていうことが少しずつ、本当に少しずつ、まずは自分の周りから実践出来たら、少しは生きやすい世の中になっていくのかな、なんて思う。ありきたりな言葉だけど、いろんな人がいるから楽しいんだよ!なんて今日も公園に集まる人たちを見ながら思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?