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七夕の夜。それで、孤独は回避できたのか問題

このnoteを始めてちょうど一年ほどになる。始めたきっかけは毎年幼馴染みと行く横浜中華街にある占い館の占い師の先生に、
「孤立しやすい人生を送りがちだから、何かクリエイティブなことを発信することで回避しましょ!あ、文章書けるでしょ?それがいいわ!」
という一言にあった。

それからわたしはnoteにつれづれと投稿するようになった。

占いの先生が適当なことを言っているとは思わないけれど、noteはわたしも同じ軽さで始めたコンテンツであるし、note自体、拡散を目的にしていないプラットフォームだからか性に合っているようで続けられている。


そう、そんなふうにはじめたnoteは一年後の時を経てわたしに何をもたらしたのか。
孤独は回避できたのか。
どんな成果があらわれたのか。




結婚相手が見つかった。




昨年の2月にリアルで知り合い、それからその人との交流は続き、わたしがnoteで発信する内容に興味を示してくれ、仲はじわじわと深まり交際に至り婚約した。
今夏に籍を入れる。


ものの一年である意味、究極とも呼べる孤独の回避方法を実践してしまったような気がしている。



***
知り合ったばかりのときから、この人はいったい、どういうひとを愛するのか、どんなふうに愛するのだろうかと思った。
この人から愛されているひとのことを想像すると、どうしてか少し寂しい気持ちになった。
彼の精神世界の中心に据えられている存在を、どこかで羨ましく感じていた。


紙一重の人ではある。
でもこの人の側にいると、かつて身を置いていた澄んだ現実に立ち戻るような感覚があった。
夏の暑い日差しの中も、冬の繁華街の雑踏も、普段のわたしなら怠いと思う状況が驚くほど自然にうつくしく楽しいものに変わった。

わたしはそれまで男性とデートして、世界をうつくしく感じたことはあったのだろうか。
もちろん、楽しかったりとても親切にして貰って良い思い出は沢山あるけれど、その先の人生を2人でいること、それをずっと続ける。ということは想像もすることができなかった(それはきっとお相手もそう思っていての破局である)。




***
夫になるその人は、よくオレンジ色の猫の声色で鳴いたり喋ったりしている。
わたしのことはなぜか度々「よしえさん」と呼ぶ。
年収はわからない。
でもわたしをとてもとても愛していることはわかる。
わたしもとてもとても愛していることが自分でよくわかっている。
問題ない。


占いの先生にはまだ報告出来ずにいる。

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