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“想像を超えた”最高な体験がしたい
いつものようにYouTubeを開く。
何やら気になるタイトル。
私がよく見ている園芸YouTuberカーメン君の動画内でお馴染みの“修(おさむ)さん”。
修さんは御年76歳、後期高齢者二年生ながら「ジョークのない会話は犯罪ですよ」が口癖のユーモア溢れる素敵な大先輩です。
いつも楽しく元気とは言え、
『修さんから皆様にご報告があります』。。
何かあったのかな…とちょっぴり不安になりつつ再生ボタンポチり。
すると、
『修さんがブログを始めます!!』との報告でした♪
note:おさむと庭
カーメン君:「スマホで書けるんですか?」
修さん:「今は音声で書けるでしょ」
とさらり。
ヤバいね!
グレートエイジ層の方々の元気さとテクノロジーが合わされば、若い人とは違う元気さのバイブスが波及すると思う。
修さんのブログ開始の一報を受けて、固定観念の殻がまた一つ破れた、というか。
つまり、修さんがブログで伝える行為は“老い”の枠を取っ払ったことのように思う。
そんなことを直感して、
「あぁ、(前後の)時間の概念が本当になくなりつつあるな」としみじみ思った。
テクノロジーと共に生きるってすごいなと。
一昔前まで、『タイムトラベル』『時空を超える』『不死』
そういった概念は夢物語として語られてきたけど、ある点から見ると既に実現されていることだと思う。
私の外側に私が記憶されることで、私の魂の一部は死なないし、可視化されて引き継がれる。
こうやって文章を綴ることもそう。
そもそも外側内側、見える見えないには境目がないのかもしれない。
差がない、差を取る≒悟り
とよく言われるけど、悟りとは高尚なことではなくて自然に戻ることだと思う。
そしてテクノロジーが深化することで、『悟り』がオートマティックにどんどん進む時代が否応なく来る。
そこを拒まずに受け入れていけば、自分の中に溜め込んでおく必要がなくなる。
だから、過去のことを心配する必要がどんどんなくなっていく。
※過去を切り離すのではなく、受け入れて流すという感覚に近いと思う。
つまり、過去の心配をしなくて良いということは、未来の選択肢が(ある程度)良いものに絞られるということだと思う。
無限に続く未来へのルート。
この無限の中から、ズレた・質の落ちるルートが自然と消えていくということ。
楽しみしかない。
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そして私は、
自分の想像以上の場所に行きたい。
想像以上に良い人生を送りたい。
そして、未来のルートを想像以上まで広げるためには、現在想像できる“キワ”を実現することが必要なように思う。
(実現までいかなくとも自分が“納得”すればオッケーかな)
だから、現在想像し得る最高のことに手を伸ばして、早くその先を知りたい。
今の私が考える最高な物事。
例えば、
・一泊5万円以上の宿に泊まる
・高級感のあるSUV車に乗る(中古車でもオッケー)
・高級な場所でたまにお茶や食事をする(ディナーで1人1万7千円程度の価格帯)
・自立した人たちと付き合う
・自然あふれる場所で過ごす(ただし快適な住環境込みで。キャンプなどはNG)
・良質な生地の(自分が本当に気に入った)着物を買う
・頭痛、凝りから解放された軽やかな身体で過ごす
・リズムに乗った何か(ダンスやピアノ)をする
よくよく考えたけど、私が考える最高ってこの程度のことしか出てこない。
(あんまり突拍子もない『最高』は、実現してもしっくりこないようにも思う)
そして、この中の幾つかは既に達成しつつある。
こうして書き出してみると、私は無理して“所有したい”気持ちはあんまりなく、ただただ一回“経験したい”が強いなと思う。
今想像し得る“最高”の先に、(あらゆる意味で)別の最高があることにも勘づいている。
(他の人たちを見ていると、私の体験していない最高を感じているなぁと)
せっかくこの時代にこの肉体を持って地球であれやこれやしてるんだから、なるべく想像以上の最高に辿り着きたい。
修さんの新たなチャレンジの話題から、こんなところまでピンっと繋がってしまいました。
でも、それほどに行動を始めるって素晴らしいなと。そんなことをしみじみ思いました。
おしまい。