ICY

ハイライトメドレーを聴いた時に、もしかしたら"I see"とかかっているのかもと思った。あんなに想ってたのに、いざ付き合ってみたら束縛や愛情の重さにうんざりして「そういう女だったんだな」と、相手に対して「もう分かった」と突き放す。何それ最高。道端のごみを見るような冷めた目で見下しながら歌ってほしい、そんな妄想をしながらJO1初のクズ男曲に期待を膨らませていた。

蓋を開けたら全然違った。ほんとに、CDケースの蓋開けてフルで聴いたら、180°意味が違う曲だった。

I See の矢印

自分の弱さに対する"I See"だった。
しかもそれが「僕は君のヒーローになれない、君を悲しませるかもしれない」って、一見自分を主語にしながら実際は「君が僕に求めるものが間違っている」と、相手に責任の所在を追いやりたい思惑がプンプン伝わってくる。全く別種のクズだった。しかも厄介度が妄想してたクズとはケタ違いである。


なのにどうして毎回私はCメロで泣いている。
1番2番と、センスがイマイチだの、連れが気に食わないだの散々罵倒され、本来なら「勝手に冷めておきながらふざけんじゃねえ!!!」とブチギレたいところなのに、それができない。

ここを金城・佐藤の掛け合いにした人は誰なのか。深い。あまりに罪深い。ここのせいでどうしても怒れない。


Cメロ

ここのパートは「鏡合わせ」だと思う。今にも泣きだしそうな碧海の独白は鏡のこちら側。それを鏡の向こう側にいる景瑚がそのまま返す。当然鏡だから、はね返ってくる言葉に温度はない。自分のどうしようもない情けなさに対する慰めなどなく、そのままの事実として反射し突き刺さる。
その通り、お前が悪いんだと。


(金城と佐藤の声はどちらも「みずタイプ」だと思っている。ただ生息地が違って、金城は浅瀬、佐藤は深海のイメージ。同じ海だけど深度が違う。
前者は太陽の光の反射や風で水面が揺れるくらいの浅い場所で、後者はもう音も光も全く届かない、温度も感じない深さ。色でいうと碧色と藍色。)


だからここのパートは悲しい。心の表層で壊れそうになっている自分を、深層の自分が俯瞰している。自分の救いようのなさを、自分が一番分かっている。自分で自分を諫めるのは究極の自己防衛だ。ズルいのだ。だからこそ、もうこれ以上この男を責められない。そのズルさは、誰しもが自分にも感じたことのある弱さだから。


ただ待て。
その後の「君が僕の手をとって 僕も君の手を握って 二人出会ったあの場所へ Take me back again」、いやちょっと待て。
直前であんなに自己嫌悪してたやん、反省っぽいことしてたやん、なのにもう完全に諦めてる。あの頃に戻りたいと思ってるのに、それにはもう君が変わってくれるしか方法がないらしい。僕が心を入れ替えて、君の手をとるからあの時に戻ろうじゃないのだ。この男、想像以上に救いようがないかもしれない。蓮くんと奨くんの根明ボイスで「何かいい感じに前向きなこと言うてるな」と思わされがちだけど、危うく騙されるところだった。案外やばいことを言っている。感情がジェットコースターすぎる。


ところで

ICYの融点=碧海くんの声だと思う。何というか、この氷に唯一ヒビを入れられる部分があるとすれば、それは碧海くんパートなんだと思う。
夜空ノムコウの歌詞で言う「ぼくの心のやわらかい場所」に直で触れてくるのが碧海くんの声だ。触れるというか、その声の弱さと自分の弱さが共鳴して、心が揺さぶられるみたいな。
彼のパートは、一気に聴き手をこの曲の当事者に変える力がある。その声の弱さは、聴き手が知っている弱さだから。


おわり

というわけで私はICYがむちゃくちゃ好きだ。なぜなら私がドクズだからだ。この自分勝手極まりなくて弱くてどうしようもない曲を否定すれば、自分を全否定することになる。自分を保つためには、この曲を愛おしいと思わざるを得ない。深い。どこまでも業が深い曲である。
最後に一点、2番サビ「Turned to Zero」は誰ですか。何ですかこれは。虜にされたまま誰か分からんままもう5日も経っている。助けてくれ。はやくパフォを見せてくれ。はやく息の根を止めてくれ。以上








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