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【Podcast更新】84席目「#ゆるラクゴ」のつくりかた
どうも、ゆるラクゴプロデューサーのイエモトです。
毎週、落研出身の二人がゆるい落語みたいなショートストーリーを作って遊ぶPodcast番組を配信しています。
本日、土曜日なので最新話が配信されました!どうぞ、心置きなくお聴きください!
今回はリスナー代表のひえんさんがゲストとして再登場。
【参考】ひえんさん初登場回
ひえんさんのモヤモヤ「日常をお笑いに浸食される」を元にゆるラクゴをつくりました。
確かに、ハマっているものがあると何をしていてもそれを連想してしまうことってありますよね。特にお笑いは日常に関連するネタが多いので、沼に引きづり込まれやすそうです。私も中高生あたりにラーメンズにハマって何かしら生活に支障が出ていたような。その一端として、勉強せずにコントを書いてみたりしていたような。それも深夜ラジオを聴きながら。きっと親としては「うちの子、遅くまで勉強頑張っているのね」なんて思っていたに違いないでしょう。今更だけど母ちゃんごめん違うんだ。オイラはどこに出すわけでもないコントの台本を書いていただけなんだ。朝眠そうにしてるのも徹夜でコントを書いていたからなんだ。あの頃、いつも母親が入れてくれるコーヒーやら夜食やらの味が全くしなかったことを思い出しました。
さらに思い出しました。
高校の頃、よくズル休みをしていました。当時、片道30分くらいの距離をチャリ通していました。親が仕事で家にいない日を見計らって、朝だけ普通に出発はするのですが、通学路の途中のTSUTAYAに寄ってお笑いのDVDを借りて親がもういない時間まで待って帰ってくるというようなことを頻繁に繰り返していました。たまに体調不良を訴えて休むムーブを散りばめ、成績表に異様に欠席が多い部分を誤魔化していたつもりではいましたが、今思えばそれにしてもヤケに多過ぎるのでバレていた気もします。おまけにその後浪人しますからね。さらにその後東京の私大に行き、留年もしますからね。あ、ヤバい、なんか親に申し訳なさ過ぎて心臓が痛くなってきました。ごめんなさい、本気で親孝行します。
そんなムーブをかましていたのを、お笑いのせいにするわけではないのですが、相当の時間をお笑いに費やしていたのは間違いありません。浪人時代なんか、ほぼ毎日ズル休みした日みたいな生活リズムでしたからね。そういえば、伊集院光に憧れてカセットテープに一人喋りのラジオみたいなのを吹き込んでみたりもしていました。酷過ぎて数回で辞めましたが。あぁ、書いているとどんどん封印していたことを思い出してきますね。
高校の頃、魔法のiらんど?forestページ?みたいなケータイポータルがあって、当時のハンドボール部のメンバーで遊びでホームページみたいなのを作っていました。「キリ番」とか「相リン」とか「前略プロフ」みたいなのが流行っていた時代です。mixiもあった気がしますが、我々の中ではそっちのホームページの方が盛り上がっていました。
我々のホームページの目玉コンテンツは「おもしろ動画」と「メンバーごとのブログ」でした。
「おもしろ動画」は、当時の荒いケータイ画質で、今でいうTikTokのさらにショートバージョンみたいなのをアップしていました。メンバー持ち回りで撮っていましたが「でんぐり返しシリーズ」と題した「いろんなところででんぐり返ししちゃう奴」みたいなシリーズは、私の代表作でした。プリクラ機からでんぐり返しで出てきたり、エレベーターからでんぐり返しで出てきたり、雪道をでんぐり返しで近づいてきたり。はい、あの時代に拡散という文化が無くて本当に良かったと思っています。だからこそ、現代で炎上している面々のことを素直に非難したり笑いものにしたりできないでいます。
「メンバーごとのブログ」は、それぞれがブログにタイトルをつけ、各々自由に更新していました。私のブログタイトルは、当時、腰のあたりの大きなホクロを除去する手術をして数日部活を休んだことから付けられた「ほくろ」というあだ名にちなんで「hokuro style」としていました。その頃の芸風が窺えますね。
「hokuro style」は毎日更新していて、学校であったことや日々のモヤモヤ、コント台本とまではいかないまでもネタになりそうなことなどを書いていました。同級生からは評判も良く、話したことのなかった同級生から「ブログ読んでるよ!」なんて声を掛けられたりしたこともありました。悦に入っていたのでしょうが、勝手に読者を抱えているつもりでいて、最早そのブログのネタを探すために生きているというくらいになってしまっている時期もありました。その延長が、前述の夜通しコントの台本を書くという行為に繋がっています。
あの頃の私も、よくよく考えてみたら、まさに「日常をお笑いに浸食されていた」と言っても過言ではないです。ひえんさんとはまたちょっと違った角度ですが。
で、ここまで書いて気がつくのです。やっていることは今とそんなに変わらないと。いや、あの頃にやりたかったことを改めて今やっていると言った方が正確かもしれません。もちろん、さすがに仕事をズル休みしてお笑いのDVDを観ることはありませんが、コントを書くとか、ラジオを収録するとか、毎日ブログを書くとかの行為は、Podcast番組【「#ゆるラクゴ」のつくりかた】を介して今も尚やっています。今後、宣伝という意味でショート動画も出そうとしています。ちなみに、これはどうでもいいですが、未だに一番使うgmailのアドレスにも「hokuro」という文言が入っています。あの頃から使っているgmailということですね。付き合いが長い。
20年経っても人間の本質は変わらないということで、良いのやら悪いのやらといった感情が芽生えますが、とはいえ、今は全く「日常を浸食している」という感覚はありません。そういった意味では成長しているのでしょう。分別が付いたり、要領が良くなったり、他にも大事なものが出来たり、良い意味でいい加減になったり。そういうことなのかもしれません。
あ、今ふとケータイ料金がパケ放題じゃないのに使い過ぎて数万円の請求が来た話も思い出しましたが、心がもたないのでそれはまたいつかの機会に。
では、また。
そんな私が、相方のミノケンと一緒に毎週配信しているPodcast番組【「#ゆるラクゴ」のつくりかた】は、下記から聴けます。
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