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マークは香港映画の項羽 / 「男たちの挽歌」

呉宇森(ジョン・ウー)監督の1986年の映画「男たちの挽歌」は、クエンティン・タランティーノをはじめ世界のアクション映画の制作者たちに大きな影響を与えた。実は、本作は日本の任侠映画、特に深作欣二監督の作品からインスパイアされたものだが、しかし「男たちの挽歌」の知名度には遠く及ばない。その大きな理由は、主演の周潤發(チョウ・ユンファ)にある。
この映画で周潤發が演じたマーク(馬克)という人物は、冒頭に掲げた写真のように偽札に火を付けてタバコを吸ったり、サングラスをかけて拳銃を片手で撃つギャングでありながら、笑顔の絶えないキャラクターだった。ここが「なんじゃコルァ」しかセリフがないかのような任侠映画との違いである。ヤクザがヤクザらしく振る舞っていても、その人物の魅力に関心は持てない。周潤發はギャングらしくなく、しかし香港の小市民にも見えず、まさに"映画スター"という雰囲気そのものだ。この作品が周潤發の出世作に当たるのだから、生まれつきの魅力としか言いようがない。
マークはやがて台湾のマフィアとの取引で裏切った者を部下もろとも皆殺しにする。このシーンはまさに深作欣二監督へのオマージュのようだった。しかし同時に、呉宇森監督の代名詞ともいえるスローモーションも多用されている。マークは撃ち合いの最中に右足に被弾してしまい、その後はびっこを引くことになる。ギャングのなかで失脚したマークは丁稚のような仕事をやらされ、笑顔が消える。そして狄龍(ティ・ロン)演じる旧友のホー(豪)に、"復讐しよう"と何度も持ちかけるものの、ホーは警察官をしている弟のキット(杰)のためにも更生したいと言う。ここも任侠映画との差がある。つまり、ギャングと警察がとにかく対立するのではなく、血縁も含めて関係が近いのだ。本作でも台湾の警察幹部がホーに接触してきたり、ホーは弟キットを通して警察にギャングの動きを伝えている。ちなみに、台湾の警察幹部を演じていたのは呉宇森監督、キット(杰)を演じたのは張國榮(レスリー・チャン)である。
こうしたギャングと警察の絡みあう関係は、2002年の香港映画「インファナル・アフェア」にも繋がっている。この作品のハリウッドでのリメイクが、マーティン・スコセッシ監督の2006年の映画「ディパーテッド」である。
さて、マークは復讐を果たそうとするなかで撃たれてしまう。この最期は、序盤の栄華と笑顔があるからこそ、栄枯盛衰として完結したものだ。まさしく項羽の生涯である。覇王と呼ばれる項羽は中華圏では英雄そのものであり、本作の原題は「英雄本色」だ。英雄本色とは、直訳すれば「英雄の本来の姿」である。土台にしている古い同名の映画はあるものの、本作はマークという項羽を周潤發が演じたからこそ大ヒットした。もちろん、狄龍(ティ・ロン)演じるホーがギャングをやめて弟のために更生する姿もまた"英雄"であることは言うまでもない。
任侠映画に欠けていたものは、周潤發の笑顔である。いつも歯痛のような表情で「なんじゃコルァ」と怒鳴って銃を乱射する登場人物を見ても、ああ残念な知能ですね、としか思えない。映画は、魅力ある者の人生を描いてほしい。何を魅力と感じるか、それこそが個性であり、類は友を呼ぶと同義だろう。

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