運がある
2004年にこんな記事を書いた。
運・不運
不憫という言葉はこの国ではとうに絶滅してしまったが
不運という言葉も最近耳にしない
私は普通じゃない職場にいるので、運・不運、紙一重といいたくなることによく出会う
”人事を尽くして天命を待つ”の変法として
”やれるだけのことはしました、後はこの仔の運と生命力次第”というしかないということがマ々あるし
逆に殺虫剤の誤飲で、普通なら絶対助からないところだが、偶然にも無害な種類の殺虫剤だったというようなこともある
また、人のすることの限界を超えているために、ある部分切り捨てることで最善をつくす、後での批判無用、運・不運とするしかない。ということもある
お医者さんだと例えば下記のようなものがあると思う
http://www.onh.go.jp/seisaku/disaster/triage.html
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/iryoseibi/fujimi/dmta.triage.htm
動物の場合は例えば、飼い主さんの考え方や経済的理由よって、治療より安楽死を選ばれる場合もある
ちなみに”可哀相”という言葉は、愛情表現としてではなく、自分の後ろめたさをごまかす場合に連発されることが多い。
ps.
東郷平八郎が上官を降格させてまで元帥となった理由が秀才でも胆力があることでもなく、
”彼は運がいい”ということだったということはすごいことだ
岡田氏は運がいいのだろうか、そして民主党は岡田氏の運以外の武運について万全の体制をとっているのだろうか
地方区は民主党を応援するが、比例区はとてもそう思えないので、みどりの会議に票を入れることにしている
社民党ではなく中村氏が第3極を主張するところに、社民党の凋落ぶりが伺えるが
今の2大政党の状態では、共産党ではない第3極は必要だと思う
引用ここまで
動物医療の現場に立つと、運不運をおぼえる事は多い。今は疫病で医療問題が前面に出ている時代なので、普通の人の目にも少なからず見えていることだろうと思う。
拙のことでいえば、
日本に住む、それも家庭事情で地方都市から風がよく吹く田舎に移住済み、しかも市政区域内なので生活インフラは整う。収入は減っても失業はしていない。これだけでもどれだけ健康な生活をおくれる幸運を持っていることか。
ただ、運というものは、人智を尽くす先にあって、いつでも拾えるものじゃない。そこも肝に銘じておこう
ps.民主党は解散し、立憲民主党になったが、何かよくなったんだろうか。
ps2.大谷翔平という人をみると、運を持っている人だと思うことが侭在る。それは無論人並み外れた訓練の賜なので、賞賛しながら云っている。東郷元帥の”運”も同じく、本人と上官部下全ての努力の先にあった運だと思う。
ps3.最近、幸運を持った患者にあう。当院は、少し情報が古いとはいえ、気管虚脱の内科的療法については、日本のトップの下で経験を積んだ人間が診療している。