20歳、死ねない私 #20230524
小学生の頃の私。
あの頃、私は自分のことをちゃんと大切にしていた。
小さい頃から頭がいいほうだった。
ピアノが弾けて、計算が早くて、少しだけ足が速かった。
恵まれたものを妬まれて陰口を言われることもあったけれど、
それを一緒に嫌だと思って怒ってくれる大好きな友達もいた。
そんな自分が好きだったんだと思う。
それなのに。
いつからだろう
自分を殺そうとし始めたのは
あの頃の自分に教えてやりたい
人生は楽しいモノだとばかり信じてた自分に
自分はこの先も幸せに生きていけるのだと信じ込んでいた自分に。
私はあなたが思っているより、強い人間じゃなかった。
心も、頭も、身体も、全然強くなかった。
人生楽しいなんて思えない毎日を過ごすようになった、と。
小さい頃は明るくて真っ直ぐだったのに、
私はいつの間にか暗い人間になっていた。
外の明るさと真っ直ぐさはそのまま、からだの中で暗さを育て続けて、
暗さが明るさを超えて、それを明るさで隠すのが大変になってしまった。
他人からの一言ひとことに敏感になって、自分の一言ひとことにも敏感になって、上手く話せなくなってしまった。
空気とか意識とかの波長が目に見えて、怖くなってしまった。
そのくせに明るい人のふりをするのはずっと得意だった。
中学の通知表には「天真爛漫」と書かれ
高校の通知表には「明朗快活」と書かれ
明るいひとという仮面を強制的に押し付けられた。
いつも必要以上ににこにこ楽しそうにしながら、心の悲鳴を押し殺して過ごす毎日。
高校を卒業して、浪人することになった。浪人期は、成績だけに縛られる毎日で苦しくてしょうがなくて何度も死にたくなった。何度も死のうとしたけど、勇気のない私は死ねなかった。
こんな苦しい思いまでして大学になんて入りたくなかった。
ただ浪人期は、こんなわたしにとってやすらぎの時間でもあった。
キラキラせず、好きなことだけを見て、ひとりでイヤホンの中の音楽の世界に潜り込んだ。
暗いひとのままでいても許される世界だった。
暗さが肯定される世界だった。
大学に入ったらまた明るい世界に戻らなければいけない。
そう思ったらなかなか勉強に手がつけられなくなって、体調も悪くなって、予備校にもいけなくなった。
わたしはこんな弱い人間
それに気付かない親
弱いことを認めてくれない親
苦しくて辛くて、早く死にたかった。
死ねない自分がたまらなく嫌いで許せなかった。
私は自分の容姿が世界で一番大嫌いだ。
写真が嫌いなのは、周りの人と比べて落ち込んでしまうから。
鏡を置かないのは、自分の醜さに傷つきたくないから。
家族や親戚、友人からの容姿に対する褒め言葉は、私にとっては言葉のナイフだった。
私が綺麗なはずがない。どんなに着飾ったって、可愛くなるはずがない。脚が短くて、頭は大きくて、顔のパーツは醜くて、目のやりどころなんてどこにもない。
褒められるたびに本気でそう思う。
なんでこの人はこんなに私のことを褒めてくるの?じゃあ私が持っているものって何?この醜い姿に、一体どんな魅力を見つけているの?
ああそうか
どうしようもなく醜いから、どこか落とし所を探しているんだ
とりあえず上辺だけで褒めていればいいと思ってるんだ。
相手がそんな人なわけないってわかっているはずなのに、
自分への褒め言葉は私を嫌な人に変えてしまう。
成人式の前撮りなんて地獄だった。
可愛くないとわかっているのに、お世辞の「可愛い」が降りかかってくる。
カメラの視線が刺さって、シャッターの音が痛くて、カメラマンさんの「笑って!」という言葉が怖かった。
刺さってくる言葉のナイフの痛みに耐えながら、必死に口角を上げて笑った風にして、でも心は全然笑えていなかった。
それよりももっと辛かったのは、写真を選ぶ時だった。
画面いっぱいに並ぶ醜い自分の姿に吐きそうになる。
母は私に聞く。
「これとこれ、どっちがいいと思う?」
どっちでもいい。というか、どっちだろうと変わらない。醜い私が写っている写真。どっちがいいなんてあるはずがない。だってどっちも私だから。醜い私の写真だから。
選べなんて言わないでほしかった。
どれも選びたくなんかなかった。
全部データを消して、まとめて自分のことも消してやりたかった。
自分の姿をまじまじと親や写真館のスタッフに見られているのが怖くて、
せっかくメイクをしてもらっても醜い自分が気持ち悪くて、
でもそんなこと母には言えなかった。とにかく早く終わって欲しかった。
「メイクすると顔バッキバキになってつらぁ〜い笑」なんて笑って誤魔化しながら、家に帰ってすぐ力一杯メイクを擦った。
落ちたマスカラが目に入って充血して、真っ赤になって綺麗だった。
そんなことを考える自分が嫌で泣いた。
つい最近、実家から現像した振袖の写真が送られてきた。
袋に入った写真を摘まんで取り出す。
手動のシュレッダーでゆっくり刻んでいく。
祖母から来た「いい写真だね」というLINEを横目に見ながら、ゆっくりと刻んでいく。
ばらばらになった写真への安堵に、こんなことをしている自分に、親や祖母への申し訳なさに、誰もこの気持ちをわかってくれないやるせなさに、消えたさに、涙で視界が滲んだ。
こんなことしか考えられない自分が嫌で泣いた。
私の20歳の記念は、こんなふうに私らしく終わった。
それでも私は死ねなかった
人より可愛くない自分に、
人より頭の悪い自分に、
人より心の弱い自分に
何度も何度も消えてほしいと叫びながらここまで生きてきた。
20歳の私は、今まで生きてきた中で一番停滞した時期を過ごした。
それなのに私はまだ生きている
私はもう、人生設計になかった21歳を迎える。
自分が無能だったおかげで、今年になってようやく希望していた大学に入学した。遅れてやってきた大学1年生。
実家を離れて、一人暮らしを始めた。
大好きなスポーツの部活にマネージャーとして入った。
大好きな人のことをわかりたくて、韓国語の勉強を本格的に始めた。
大好きなことに囲まれて、
ストレスの原因から少しずつ離れながら
21歳の誕生日を私は、死ねない私ではなく、死にたくない私として迎えることになった。
相変わらず自分のことは嫌いだ
ここまでこんな面倒な人間にお金をかけて育ててくれた親には本当に感謝している。
けれど、「生んでくれてありがとう」と親に言えるようになる日は、きっとまだしばらくやってこないだろう。
やっぱり可愛くないし、頭は良くないし、心も強くない。人が当たり前にできることができない。
日常を普通に過ごしているだけでも人以上にストレスがかかって、生きづらい人間なのはきっとこの先もそういうものなのだろうなと思う。
それでも私は死ねない。
死ぬ理由は生きたくない理由に変わり、体調不良の理由に変わり、怠惰の理由に変わり、
いつの間にか、ただの言い訳になっていた。
今この死にたくない気持ちを大切にできるといい
そんな21歳の幕開け