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個人事業主日記 2025年2月1日
もう金曜だ、もう1月も終わりだ、てなことばっかり言ってるとあっという間に1年も10年も終わって気がつけば「もう臨終だ」とか言ってそうでやだな。
やだな、と言ってみたけどこれは現時点での感覚であって、実はそれくらいのほうが充実感のある幸せな臨終なのかもしれない。こればっかりはそのときになってみないとわからない。
おれはたぶん臨終までに、読みたいもののすべては読めないだろうし、書きたいもののすべては書けないだろう。「できない」というよりは「仮にできても、しない」だろうな自分は、という感じがする。そこまで強く執着し続けていられなそうというか、その日その日、目の前の心地よいほうに流されているうち、残り時間より先に欲のほうが尽きそうだ。
「減衰、消滅する欲」というイメージはなんだか希望がないが、「変化する欲」ととらえてみてはどうか。読みたいものも、書きたいものも、ずっと不変なことはない。中途半端なまんまで次へ、次へと向かって構わない。大きな達成感は得られないのかもしれないが、大きな達成感が幸福につながるのかどうか長い目で見れば怪しいもんだとも思う。その先にもしも何もしたくなくなったら、何もしないことをしたくなったのだと考える。
武士を気取るつもりはなくても人がいつ死ぬかわからないのは本当なので、臨終の時点でおれの欲がどう変化してどこらへんにあるのかは現時点ではまったく予測できない。せめて、自分の欲の変化を素直に感じられるように、その感覚だけは維持していたいものである。
ところで、今年の1月はそこまで「もう終わりかよ」と感じなかった。それなりにいろんなことをやり、それなりに休んだ、充実の1ヶ月。時間の感じ方のキモは「変化と休息」にある気がしているが、さて、どうだろう。
「早く感じたか遅く感じたかはどうでもいいけど、なんかいろいろやりたいことやったわ!」みたいな実感を今年の年末や今際の際に得られるように、引き続きがんばっていこう。今月もよろしくどうぞ。
【おしらせ】
TCCリレーコラム
これも、1月にやった「いろんなこと」のひとつ。東京コピーライターズクラブのウェブサイト内コンテンツ「リレーコラム」。1年半ぶり3回目のバトンが回ってきましたので書きました。よければどうぞ。