見出し画像

お題頂戴エッセイ大喜利⑥ 「美意識」

わたしが思う「美意識」とは「かっこわるいことをしないこと」。

かっこいいことをするのはさほど難しくないし、意識もとりたてて必要としない。

かっこいいことは万人受けするものだし、

受けなければかっこいいと思ってもらえない。

だから、かっこいいことはポピュラーだ。その形を踏襲すればいい。

いっぽう、かっこわるいことをしないためには、まず我慢しなければならない。

かっこわるいことというのは、たいてい、我慢のなさから生まれる。

人は、ほうっておいたらかっこわるくなるものだ。

無精髭みたいに。

しかたない、といいたくなるところを、しかたなくない、とふんばる。

それが美意識だともいえる。

いわゆる二枚目。

二枚目って、わたしにとってはハンサムな人ではなくて、

かっこわるいことをしないようにこらえている人。

その人は美意識を持っている。

文章を書くときに、わたしが意識するのは、違和感を排除することだ。

それも徹底的に。

これが書きたい、という気持ちは一割でよくて、

あとの九割のエネルギーは、違和感をなくすることに使う。

違和感の排除は、読んでいる人の意識にはおそらく上らない。

あくまでも、わたしにとっての違和感なのだけれども、

徹底して排除することによって、つまりアクが抜ける。

その結果が引っかりの少ない文章ということになるのだと思う。

人においても、自分自身の美意識にもとづいて、

違和感を取り除くことを努力している人は、すっきり見えるだろう。

人の場合はアク抜けより垢抜け、か。

かっこいいね、といわれるまでには、

どれほどのかっこわるさを我慢してきたことか。

かっこわるさを隠さないことがかっこいい、

という考えかたもあるだろうけれども、

わたしは、甘えてるな、と感じる。

美意識とは、持ったら人生ハードになるもの。

それでも手放さないからかっこいいのである。