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お題頂戴エッセイ大喜利⑧ 神様の恩寵や計らいの不思議について

21歳のとき、わたしは立川談志師匠にファンレターを書いた。

すぐにお返事をくださり、末広亭の楽屋でお目にかかることに。

それからずっとかわいがってくださった。

 

母は、わたしが赤ん坊のとき、

大井町のグランドキャバレーで社交ダンサーとして働いていた。

あるとき、そのキャバレーに人気の二つ目・柳家小ゑん、

後の談志師匠が漫談を聴かせにきた。

トイレから出てきた小ゑんちゃんに母がおしぼりを差し出すと、

彼は照れて「俺にはそんなことしなくていいんだよ」といったそうだ。

数年前、ある大学病院のレストランに母と入ったときのこと。

師匠が亡くなった話をして母は泣いた。

わたしが先に立ってレジで会計をした。

後からきた母は

「いま隣にいたご婦人が『談志さんが好きなのね。大丈夫。

 あの人はすぐに生き返ってくるから』といってくれたの」

とまた泣いていた。

ご婦人とは、粋筋の方とおぼしき年配の女性だった。

いまわたしの部屋には、師匠からいただいたハガキと

師匠の高座の写真が飾ってある。

その写真が喋ること喋ること。

いつもわたしを励ましてくださる。

生き返ってくるというご婦人の言葉はほんとうだった。

そもそもあの方は、神の御使いだったのかも知れない。

わたしが手紙一本で師匠に会えたのは、

母からの縁を考えると、発端ではなくて、第二章の始まり。

いま娘があのときのわたしの年齢になった。

師匠は二人で暮らすこの部屋にもいてくださる。

物語は終わることがない。

初めて会いにいったとき、

師匠はタキシードの上着を脱いでドレスシャツ姿だった。

母とキャバレーのトイレの前で話したときと

同じスタイルだったのではないだろうか。

それを思うとまた涙があふれる。

神の恩寵は限りなく、計らいは人智を超える。

談志師匠の存在がわたしにそれを証している。

こんなに大きいのに、これはまだ一部なのだ。

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