お題頂戴エッセイ① 「だから夢中なの、韓国宮廷ドラマ!」
(註:このお題は「だから夢中なの、◯◯!」で頂きました。当時連日見続けていた「韓国宮廷ドラマ」を代入して、このタイトルとなった次第)
25年間のビデオレンタル歴のなかで、わたしが一度も手をつけたことがないジャンル。
それは韓流だった。
ところがこの夏、わたしは韓国宮廷ドラマに釘付けになっている。
きっかけはある方とのチャットだった。
ヨーロッパの修道院の話から韓国の宮廷女官の世界に飛んだ。
ぴんとくるものを感じ、すぐにAmazonプライムにつないで最初に出てきたのが
「チャングムの誓い」。
これかな、と見始めてから二週間。
「チャングムの誓い」が終わって、韓流ドラマの先輩に薦められた「トンイ」に移行。
チャングム54話の後のトンイ60話という長丁場。現在の残り23話。
修道院と宮廷女官の世界の共通点は、イエスまたは王という、
絶対的な男性存在と疑似婚姻関係を結んで、女性だけの集団に暮らすことにある。
そういう構図に女性の底意地を見るのは、女子校育ちのわたしには新鮮だ。
女子校には女の世界はない。
人気者の男子がいないからだ。
イエスも王もある意味人気者の男子。
その人のいるところ、必ずや女子同士の競い合いや争いが起こる。
さらには陰謀が渦巻く。
この二つのドラマは陰謀につぐ陰謀で息つく暇もない。
次の回、また次の回、と夢中になっているうちに、わかってきたことがある。
ある女官は「家の名誉を守るため」に陰謀をめぐらす。
ある側室は陰謀によってその座を得ながら、
王の愛が他の女性に移ったときに衝撃を受ける。
女官は、自分こそが家の名誉を汚していることに気づかず、
側室は自分が王に愛される心根を失っていることを知らない。
陰謀は自滅への一本道。
といって、正しい道をゆくヒロインが素晴らしいのでもない。
陰謀あってこその正義だからだ。
個人においては、陰謀と正義は自我の二つの顔ともいえるだろう。
そのどちらでもない花のような心を自分としたい。
ここまでの韓国宮廷生活で得たわたしの気づきである。