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我思ふ Pt.64

人は繋がりを求めがちだ。
それが悪い事だとその繋がりからの解をなぜか後追いで求めたがる。
私が骨折して痛い思いをしている時、この不幸に関しての繋がりを追っていた。

「あの時のアレはこの予兆だったのか?」

「あの時のアレはこういう事か?」

「アレがこうしてなっていたから?」

こうして後追いしている時なぜか恐ろしく頭が冴える。
もの凄いスピードで追跡、解析してしまうのだ。
不幸に繋がるものを関連付けながら、頭の中に無理矢理、力づくで特性要因図を作り上げて悦に入る。
そして自分で答えを得て自分で絶望し、自分で後悔する。

ばーか丸出しだぜ。

この世に残る予言が当たった?

そりゃそうさ。
不幸な事や世界規模の厄災なんかどうとでも関連付けられるって。
個人でこんだけ関連付けられるんだ。
世界規模の厄災なんざ簡単だと思うぜ。

ところが不思議と人間って幸せな事に関して関連付けが苦手なんだよな。
私なんか幸せな事になると元々遅い頭の回転が更にその速度が落ちる。

幸せな人間って幸せな事も不幸な事も同じスピードで関連付けられるんだろうな。

そしてこれが私には…というかほとんどこれができないが為に自分から不幸、厄災へとクラウチングスタートを切る。

不幸から学び、行動する
幸せを実感し、更に学ぶ

これができれば幸せになれるのだと私は思う。
これができればどんな状況でも幸せオーラをまき散らせる事ができるのだと思う。
そしてそんな幸せオーラをまき散らす人の元には人が集まり、仕事が集まり、金が集まり、運が集まる。

言葉にすりゃ簡単だけどこの習慣を身に付けるって中々できないよな。
幸せを理論建てて、理解し、追求するよりもドーパミンで気持ちよくなった方が手っ取り早いし。
気持ちよさのレベルだって脳内麻薬の方が気持ちいいに決まってる。
気持ちよくなれるものが多過ぎる現代日本において自分から不幸の泥沼に沈んでいくヤツが多い。
選択肢は与えられているのにね。
平等じゃないけど幸せになれる権利は誰にでもあるのにね。

そんな事を考えながらも俺は焼酎を飲む。
脳内麻薬さいくぅー♪

2022年 6月3日

我思ふ

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