風雷の門と氷炎の扉20
フウマは回想した。
暴虐の巨人と化す前のヒョウエと会話した事を回想した。
ウリュはヒョウエの拳を腹に受け、意識を失っている。
ウリュが倒れている場所から少し離れた小高くなった地面にフウマとヒョウエは横並びで腰かけている場面だ。
『ヒョウエよ、お前いつの間に邪文を?』
『ウリュ様がフウマ様…あなたの胸で泣きじゃくっている時ですよ。まったく…フウマ様はウリュ様しか視界に無いのですね…。』
ヒョウエはゆっくりと目を閉じた。
『止めて…ほしかったのか?』
『フウマ様。ハッハッ…』
ヒョウエは目を開き横になっているウリュへ目を向け、そのままため息をついた。
『嫉妬です。ハハハ…』
『何?嫉妬?』
質問の答えになっていないヒョウエの言葉にフウマは目を丸くした。
『フウマ様しか知らないウリュ様の姿、フウマ様しか知らないウリュ様の表情、フウマ様にしか向けられないウリュ様の感情…ウリュ様の全てを知った気になっていた私にとって…』
ヒョウエは言葉を詰まらせた。
『何だ。ヒョウエよ。私は回りくどいのは…』
『屈辱でしたよ、フウマ様。』
『屈辱…』
『そうです。』
『…。』
『変ですよね。親だって自分の子どもの全てを知る訳ではないのに、私が…親でもない私が…ただの従者である…私が…。』
『ヒョウエ、お前は嫉妬で命を捨てるほど愚かではあるまい。』
フウマの言葉にヒョウエはフンと鼻で笑い反応した。
『わかりませんよ?フウマ様の知らない私の表情があるかもしれません。』
ヒョウエは悪戯な笑顔を浮かべた。
『馬鹿を言うな、ヒョウエよ。ハッハッハ!あ〜あ…ヒョウエよ。』
『はい?』
『愛していたのだろう、ウリュを。』
モゾモゾしていたヒョウエの動きがピタリと停止した。
数秒の間を置き、ヒョウエは唇をギュッとへの字に結ぶ。
『愛する者の為なら命を捨てる事ができる。否、うぅん…少し違うか…。人が命を喜び勇んで捨てる事ができるのは愛する者の為だけだ。そうではないか?ヒョウエよ。』
ヒョウエはへの字に結んだ唇をゆっくりととき解いた。
『えぇ。そうです。その通りです、フウマ様。』
『ハッハッハ、いやに素直だな。お前の事だ、また回りくどく屁理屈を言うかと思ったら…』
『私は…』
『ん?何だ?ヒョウエ。屁理屈か?ん?フフフ。』
フウマはヒョウエの顔を覗き込んだ。
そして、フンと呆れたように鼻で笑った。
ヒョウエは深い悲しみと覚悟が入り混じった表情で言葉を吐き出した。
『私は…私達は…私とウリュ様は…か、家族…家族ですから…』
・・・
「うぉおお!!」
邪文、ヴィレントが発動したヒョウエは、サンに溶かされた右足のつけ根に左手を突っ込んだ。
そしてニチャニチャと音を立てて右足のつけ根を弄ると、その奥で何かを掴んだ。
「うぅ……アアアアア!!!!」
ヒョウエは絶叫と共に右足のつけ根から左手を抜くと、左手に掴まれた新しい右足がズボォという湿り気を帯びた音を立てて出てきたのだ。
ヒョウエはサンに取りつかれながらもその新しい右足ですぐに立ち上がり、周囲のサンを両手両足を使い粉砕していく。
「か、身体が真っ黒だ…もう一つの邪文が発動したようだな…。確か…ヴィレント…か…。もはやアレはヒョウエじゃない…」
フウマはヒョウエから事前に聞かされていた内容を復唱するかのように呟いた。
「ヒョウエ…」
ウリュはフウマの「もはやアレはヒョウエじゃない」という言葉に絶望の表情を浮かべた。
しかし、絶望に浸っている場合ではない。
すぐにフウマがウリュを現実に引きずり出した。
「いいかウリュよ、よく聞くんだ。アレはもうヒョウエじゃない。ただの暴れ回るケモノだ。だからもっと距離を取っていかなくてはならない。そうすると必然的に我々もサンの襲撃を受ける事になる。」
フウマは囁くような小さな声だが矢継ぎ早に言葉を吐き出した。
時間が無いのだ。
フウマはウリュの顔を改めてしっかりと見つめた。
「戦えるか?ウリュよ。」
「はい。戦います。私が望んだ事の為だから…。」
「よし。今この時から自分の事だけ考えるんだ。いいか?」
「はい。」
ウリュは腰に挿した刃を手に取ると、フウマと共にゆっくりと歩き始めた。
『私の判断と行動だけで、色々な人を巻き込んでしまった…』
ウリュの心に迷いが生じている。
その迷いは表情からも見て取れるほどのものだ。
『私はあの時なぜ、あの赤く染まった…あの地へ行ってしまったのだろう…。あの赤い空は何だったんだろう…空…空って…ソラって何?なぜ急に…ソラ…』
この閉ざされたいつも薄暗い世界に空というものは存在しない。
当然「空」という言葉も存在しない。
それなのに思考に急に浮かんだ「空」という言葉にウリュは困惑した。
『来て…こっちに来てって…その声を聞いたら…居ても立っても居られなくなったんだよなぁ…。』
「ウリュ!!サンだ!!構えろ!!」
フウマの声にウリュはすぐに頭を切り替えて、刃を縦と横に振った。
赤い龍こそ出てこなかったが、ぼんやりと赤く光る刃はサンを2体を見事に切り裂いた。
「見事だ。ボサッとするな、ウリュよ。」
「はい。」
「ウグああああああああ!!!ヴォおおお!!」
追撃を加えるように狂戦士と化したヒョウエの巨拳が地面ごとサンを砕いた。
ヒョウエは何もわからない狂戦士と化したとウリュもフウマも思っていた。
だが、巨拳を振り抜いたヒョウエはそのまま後ろのウリュとフウマに向けて、眼球の無いその顔で笑ったのだ。
邪文ヴィレントの発動でヒョウエの面影も薄くなっていたが、あの笑い方だったのだ。
ニカッというヒョウエの笑顔だったのだ。
「ヒョウエエエエエ!!!!ありがとう!!今まで…今まで…ありがとう!!最期まで…最期まで優しくしてくれて!!!!ありがとう!!もう…もう大丈夫!!大丈夫よ!!ありがとう!!私戦う!!ありがとう!!ヒョウエ!!私は戦って次の世界に行く!!ヒョウエ!!」
ウリュは堪らず大声でヒョウエに叫んだ。
それに反応したサンが一斉にウリュとフウマの方を向き、カクカクと小走りで襲いかかってきた。
ウリュはすぐに体勢を立て直すし、手に持つ刃にブツブツと何語かを呟くと刃がそれに応えるように禍々しい赤色に輝いた。
「うぐぁ!!!!」
気合とともに刃を縦に振り下ろすと同時にウリュの刃から数匹の赤い龍が現れた。
そして縦横無尽に動き回り、サンを一蹴していく。
「もう、…もう大丈夫よ…ヒョウエ。」
「あぉおおおお!!!」
ヒョウエはウリュの呟きに対し返事をするように叫び声を上げると、一気に門へと距離を詰めた。
そして門の手前でヒョウエは円盤投げのような体勢取った。
ググッと筋肉が軋む音がウリュの耳に入り込む。
その間にもサンはヒョウエに取り付き、ヒョウエの身体を溶かしている。
ヒョウエが再生させた右足が再び溶け落ちようかというその時、ヒョウエは一気に身体を旋回し、拳を門のかんぬきへと叩き込んだ。
ズドォ!!
バキバキバキィ!!
「アアアアア!!ぐああ!!」
砂塵で視界が悪い中で、ヒョウエの叫びが響き渡る。
ウリュはヒョウエが砂塵の中で暴れ回っている、その影へと近付いていく。
「ヒョウエ…」
ウリュのその呼びかけに反応するように、暴れ回るヒョウエの影の動きが止まる。
砂塵の中でゆっくりとヒョウエの影がウリュの方へ顔を向けたように見えた。
砂塵は重たいものから地にパラパラと音を立てて落ちて行く。
視界はまだ悪い。
しかし、ウリュの目には見えたのだ。
大きく裂けた口がニチャリと開く音が鈍く響き、そしてその口の両端が上がった黒い三日月が砂塵の中でぼんやりと浮かび上がった。
ヒョウエのあの笑顔だ。
「ありがとうヒョウエ…ヒョウエ…ありがとう…」