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ポジティブな言葉が生むプレッシャー
ポジティブな言葉が生むプレッシャー
「お前ならできる!」
「君に期待しているよ!」
「やればできるよ!」
これらの言葉を耳にしたことはありませんか?励ましや応援としてのポジティブな言葉。多くの人にとっては力を与える言葉ですが、一方で、これが逆に重く感じられる瞬間もあります。
実を言うと、僕自身もその「プレッシャー」に押しつぶされそうになった経験があります。
ポジティブな言葉がプレッシャーになる瞬間
前向きな言葉が、どうしてこんなにも重たく感じられるのでしょうか?
それは、その言葉が「期待」や「責任」を無言のうちに押し付けてくる場合があるからです。
例えば、仕事やスポーツの場面で「君なら絶対できる!」と言われたとき。応援されていると感じる一方で、心の中にこんな思いが芽生えます。
「もし失敗したらどうしよう?」
「期待に応えられなかったら?」
ポジティブな言葉には確かに人を前に進ませる力があります。しかし、その一方で、受け取る側の状況や心の状態によっては、それがプレッシャーや重荷になることもあるのです。
ポジティブ万能主義がもたらす危うさ
最近、僕が特に感じているのは、「ポジティブでいなければならない」という思い込みが自分自身を縛りつけていることです。
現在、事業は決して順調とは言えない状況にあります。改善するために動くしかないと無我夢中で走り続けています。何か一つでも状況を好転させたいと願い、日々前進するためのエネルギーを「きっとなんとかなる」「前を向けば道は開ける」というポジティブな思考から得ています。
でも、そのポジティブさが、僕にとって逆に足かせになっているのではないかと思う瞬間があります。
冷静さを失う危険性
「一旦立ち止まって、状況を整理するべきだ」と頭では分かっています。
「もっと周りを見て、他の可能性を探る時間を作らないと」とも思っています。
しかし、ポジティブな言葉で自分を奮い立たせ続けることで、「止まることはダメだ」「とにかく動き続けないと」という思いに囚われ、冷静さを失うことがあるのです。結果として、必要な判断ができなかったり、効率的な方法を見逃してしまうこともあります。
ポジティブな言葉の功罪
ポジティブな姿勢は間違いなく大切です。行動を続ける力を与え、困難を乗り越える原動力になります。
しかし、「ポジティブであること」が目的化してしまうと、本来の課題や状況を正確に把握することが難しくなります。
僕自身、その矛盾を感じています。ポジティブさに頼りすぎることで、「何が本当に必要なのか」を見失いかけているのです。
立ち止まる勇気とネガティブの価値
僕が今学びつつあるのは、「ポジティブでいること」と「立ち止まること」を両立させる重要性です。立ち止まり、自分の感情や状況を整理することで、次の一歩をより確実に進める準備が整います。
また、ネガティブな感情も決して悪いものではありません。
「失敗してもいいんだよ」
「できなくても大丈夫」
こうした言葉が、人の心を軽くし、必要以上のプレッシャーから解放してくれることもあります。
ネガティブな感情に寄り添い、それを受け入れること。それは、自分自身をより深く知るための重要なプロセスだと感じています。
皆さんは、ポジティブでいようとするあまり、自分を追い込んでしまった経験はありませんか?
また、立ち止まり、自分と向き合うことで得た気づきがあれば教えてください。それがまた、僕自身が前に進むためのヒントになるかもしれません。