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出自のこと


RICOH GR IIIx , 絞り優先AE f2.8 , 1/40sec , -0.3EV , ISO320(オート)

12月の終わりで、とても華やかな街の裏通り。きらびやかに飾られた営業中のショーウィンドウが工事用のフェンスとネットに覆われていました。

着飾った人たちが買い物をする店内と、無骨な工事用部材で覆われたショーウィンドウの対照的な感じがとても印象的だったので撮影した1枚です。何かが檻に囲まれ、その中で架空の華やかな空間が演出されているような錯覚に陥りました。

2024年は自分にとって大きな転換点になりました。それは、自分の出自に関してカミングアウトしたことです。長い間、特に口にする必要性を感じなかったということもあるし、運動から距離を置いていたのもあって、30年ほど前、パートナーとなる人に自分が知っていること、それについての自分の考えを話した以外、1つの社会問題としての問題意識を発言することはあれど、自らの問題として話すことはありませんでした。

カミングアウトしたきっかけは、非常に下らないことでした。自分は、実社会でもSNSでも社会問題について発言する機会が多いのですが、ある時、「あたなはマジョリティなのだから、本当に苦しんでいる人の気持ちなど分からない。うわべだけで、何かものを申したいだけなのだろう」と言われたこと。

瞬間的に「怒り」のスイッチが入りました。だったら自分の出自をカミングアウトしてやる、マジョリティである環境に甘えて生きてきたわけじゃない。さらけ出してやる。それなら文句あるまい、という子どもじみたきっかけで、使命感に燃えたわけでも、その社会問題に強くコミットして解決に導こうなどと考えたわけでもありません。

自分は幼い頃とても貧乏をしていて、ボウフラの湧く三軒長屋の端っこで暮らしていました。両親とも満足に義務教育さえ受けておらず、学校に提出する通知表などの通信欄から、欠席届をはじめとする様々な公的な書類も、全て自分で書いていました。なので、誰から教えてもらうこともなく、中学校に入るころには「大人の字」と「子どもの字」、「大人の文体」と「子どもの文体」を書き分けることができました。子どもの浅知恵ですから、「である調」と「ですます調」を書き分けたり、新聞から難しそうに見える熟語を拾ってきて交ぜるぐらいではありましたが。

西日本から、満州を経由して流れ着いた親戚一同の中で、高校以上の教育を受けた人間は自分が初めてでした。卒業単位って何?選択科目ってなんのこと?そもそも入試ってなんだうか、というレベル。でも、回りから陰口を叩かれ、わざわざ道を避けて通られるような環境から家族揃って抜け出し、階級移動をするためには勉強をするしかないと決めました。グレる暇も、グレているフリをして周りに合わせて遊ぶ余裕もありませんでしたし、「真面目だ」と冷やかされても、休憩したり遠回りするようなこともできませんでした。

そんな環境から社会問題に興味を持ち、日本国憲法を勉強する機会を得て、少しだけ社会運動に関わる機会をもちました。

誰しも、公言していない(公言できていない)辛さを背負って生きているはずなのです。そこへの想像力を働かせることなく、マイノリティ合戦に加わるつもりはありません。オレの方がもっと大変なんだ、などと私怨をまき散らすことも、敵を見つけて小さく纏まることも、寄り添い競争をすることも、詮無いことだと思うのです。

2025年も、個人的な環境から属性を勝手に背負って、大きすぎることを語ることなく、ルサンチマンを剥き出しにせず、何かの対立構造の「ハブ」になれるように、対話のきっかけを作れるように努力していきたいと思います。

テレビの報道番組の定点観測を趣味とする写真好き。酢豚にもピザにもパイナップルを許容します。
何かのハブになりたい。

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