文章を書くこと
文章を書くのはもともと好きな方で、子供の頃はよく作文で学校の代表に選ばれたり、市や区の読書感想文コンクールに入賞することもしばしばあった。文学部に入ったのはたまたまで、特段受験生の私が志望していたわけではなかった。でもやはり、ふと日常の中で文章に書き起こして心に留めておきたくなる瞬間や感情が芽生えることもあって、ただ簡易的にTwitterやメモに書き留めることはあった。文章を書くなら自分の字で書きたいといういささか強いこだわりが自分の中であり、 ちまちまと書き連ねた長い文章をわざわざスマホやパソコンでデータとして残すことにあまり魅力を感じなかったというのもある。
しかしそんなこだわりを蔑ろにしてでも文章を書くことに意味を見出すべきだと自分の中である意味妥協できた気がしたのでnoteをはじめてみる。日記的にでも、大学生のうちに考えたこと、感じたことをできるだけたくさん残しておきたいからだ。
今の私は教習所とアルバイトを行き来する毎日で、本格的に就活から目を逸らそうとしてしまっている。何度もパソコンに向かおうとするが、どうしても気持ちが乗らない。学校が3日後に始まるのでそろそろ気持ちを切り替えなければ。
今日は午前と午後に教習があり、午後は100分教習を受けた。秋の花粉で目が完全にやられてしまい、早く終われと内心まくしたてるような気持ちで運転した。最後の方で教官に、正面の大きな虹を指さして声をかけられた。住宅街の建物の隙間から見えたのは全体の右端部分だけだったが、本当に大きな虹で感動してしまった。
「雨上がりに虹が出る」とはなんと素敵な自然の摂理だろう。まるで仕組まれたかのように人間の思考や感性に寄り添っていると思う。昔の先人たちはきっと雨上がりの虹を見て神様からのプレゼントだと思ったに違いない。こんなに素敵な瞬間を見ることができたならば、神様はいるなんて容易に信じられてしまうなあと思った。