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「なんとかなる」の原点
ずっと昔の写真がでてきた。2006年2月、私が小学6年生の頃の写真だ。
私は「ゆとり世代」のど真ん中。詰め込み教育なんてやめてしまって、土曜の登校もやめてしまって、「総合的学習の時間」とやらで子供の自主学習を促そうだなんてとても牧歌的な教育政策の恩恵を受けた世代だ
「総合的学習の時間」では、何か社会的活動をしようというそんなテーマだったような気がして、どういう流れだったかはだいぶ昔なので忘れてしまったが、2004年末に日本の「もったいない」を「MOTTAINAI」として広げる環境活動家としてノーベル平和賞受賞したワンガリ・マータイさんをテーマにみんなで校内新聞を作って、学校の生徒だけで自主的な「もったいない活動」を行っていた。
大昔すぎて覚えていないが、どんな流れだったんだろうか。。。
ただ、なぜかそのワンガリ・マータイさん本人が我々の新松戸南小学校に来たのは覚えているし、なぜか隣で給食を食べたし、なぜかわりと隣で立っている写真が実家に残っている
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ただ、一つだけ覚えているのは誰かが「手紙を出してみようよ」と言ったこと。それをきっかけにクラスでマータイさんに手紙を書いて、そしたらなぜかマータイさんは来た。
「なんだかんだやってみたらなんとかなる」という発想の原点はここだったような気がする。すごく遠くに思えるような、偉い人も同じ人間で、こちらがアプローチしてみようと思えば届くのだと、そう思えるようになったのはこの経験からだったかもしれないと今では思う。
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その後の人生でもそういえば、大学の部活のコーチはFacebookメッセンジャーで突撃して見つけてきたし、
その後の起業の時も、味を占めていろんな大人に図々しくもFacebookメッセンジャーで突撃したり、出待ちしたり、手紙だしたり、この時の原体験のおかげで色んなつながりにつながった。
いまでもそう、政治家の先生も私が「政治家になりたいのでなり方を教えてください」と言ったら時間を割いてくださる。ありがたい限り。
受けた恩は他の人に同じように返していきたいと思う。
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松戸の当時の広報誌みると、そういえばリーダー蕪木だったな。彼女どうしてるんだろう。そういえば、クラスで英語話せたのが私だけだったのでこのポジショニングで写真映りなんだよな。
英語しゃべれるってずるいよな。ごめん。