誰かって誰?
延々と動いていた。
誰かに止めてほしかった。
働いているときは社会を憎み。
家庭にいるときは孤独になる。
おわらない家事。
答えのわからない育児。
誰かに教えてほしかった。
なんのために生きるのか。
休んでゆっくりしたいけど。
どうしたら止められるのか。
誰かに止めてほしかった。
誰かって誰?
わたしは左膝が悪い。
あまりに疲労が貯まると、膝が傷んで動けなくなる。
それでも、無理に動いていた。
今日も予定があるから。
今日もしないといけないことがあるから。
したくないこともしたいこともわからない。
全部、しなければならないことだった。
しなければ愛されない。
しなければ生きる価値がない。
その内、膝も治るからと、ごまかしては毎日街の中を。
足を引きずって歩き続ける。
その内、ほんとにだんだん治る。
でも疲労が溜まってまた悪化する。
自分の膝が憎らしかった。
することがあるのに邪魔をするから。
早く治したかった。目が覚めたら治ってるといいのにな〜と思っていた。
助けてくれようとする手を。
愛想笑いで断りながら。
自分にはそんな価値はないと思っていた。
でも、この繰り返しでは、あまりにも先か見えなかった。
このまま生きていけるとは到底思えなかった。
自分の身体が嫌いで。
未来を拒絶して。
年を重ねた家族にも、出会いたいとは思えなかった。
解放されたい。
楽になりたい。
でも自分ではやり方がわからない。
誰かに決めてほしい。
誰かって誰?
このままではいけないと、変わる決意をしたのは、何かキッカケがあったんだろうか。
あるとしたら、これまでの全てかもしれない。
陰が極まり、反転したのかもしれない。
だから一度決意すると、戻らなかった。
誰かに止めてほしいと思っていた。
そして気づいた。
止めてくれていたのは、左膝だったと。
文字通り動けなくしてくれた。
休む理由をつけてくれて。
周りにわたしはこんなに傷んでいると、アピールする機会までくれて。
あんなに憎まれていても。
わたしの身体はわたしを愛していた。
とても健気でありがたかった。
痛みは心の叫びだった。
わたしの内なる世界の現れだった。
自分を最も愛せるのは自分しかない。
そのことに気づいて、それを始めたとき。
現実が現れた。
わたしは、しなければならない幻想に囚われいたけど。
そんなものはどこにもなかった。
わたしを愛していない旦那も。
自分勝手なこどもたちも。
私の作り出したお芝居の中だけ。
すべてを一旦止めて。
ただ身体を休めていくと、わかった。
わたしはもう、誰かに命を握られていない。
その人の要望に答えなければ生きていけない存在じゃない。
一個の自立した大人であり、自由なんだと。
むしろそうやって、他人のせいにして、周囲からの想いを拒んでいたんだと。
周りの人たちは、愛してくれていたのだと。
彼らは、その想いを拒まれて、どんな気持ちでいただろう。
愛し合うことが現実だとわかったとき。
未来が見えた気がした。
だから、今、しなければならないことに縛られている人は。
勇気を持って止まってみて下さい。
私を止められるのは私だけなので。
そして、ただ大切に、大切に生きてほしいと思います。
自分を本当は愛しているのだと、気づくまで。
文責:たまねぎP