「ビバラバ」感想にかこつけてサンリオキャラの「らしさ」を考える
サンリオキャラの「らしさ」についてぐだぐだと考えてます。
サンリオ×劇団ノーミーツの舞台「ビバラバ」とは
閉園後のピューロランドには何回か居合わせている。というのも、アイドルや声優を呼んで行うイベントの夜の部はしばしば終演が営業終了後になる。客は自分たち以外が捌けた園内、メインストリートであるピューロビレッジを通って退場してくわけだ。元来が屋内で薄暗いピューロビレッジは、ひとけがなくなると途端に雰囲気が変わる。ぽっかりと開いた通路の奥で「何か」が起こっていそうな、そんな想像をかきたてられる。
「ビバラバ」――「ビバ・ラ・バレンタイン」はまさにその閉園後のピューロを舞台にした演劇だ。
ジャンルは「お仕事物」だろか。バレンタインの新作劇開演前夜。スポンサーであるバイアス製菓の古池からは「とにかくサンリオらしく可愛くありさえすれば」「バレンタインは女の子が主役」といった要望が飛んでいた。それが演出担当ディアダニエルの願いと食い違ってしまう。彼は「もっと自分らしさを出したい」「女の子が男の子にチョコをあげるだけじゃなくその逆があってもいい」「自分からキティにプレゼントしたい」と思っていた。
スポンサーの要望と自分たちのやりたいこと。ダニエルを始めとするキャラクターや茂木の部下でサンリオファンの小室らは両者の板挟みになり、葛藤する。
「ビバラバ」の特徴
この作品の特徴は「ワンカット」の「生配信」だ。映像を編集しないことにより、まるで生で舞台を観ているかのような臨場感を味わえ、キャラクターが私たちと同じ時間を生きているように感じさせる。そういう狙いだろう。劇中劇という題材も、普段ダニエルたちが実際にスポットライトを浴びているピューロが舞台なのも、そこに帰結する。
キャラクターは生きている。だから時には自分のしたいことに悩み葛藤もする。こうした自分らしさとか多様性ってのはサンリオの普遍的なテーマだ。人気演目「kawaii歌舞伎」でも、「桃太郎」の鬼が「みんなに怖がられる悪役」というパブリックイメージに悩んでいる。「ビバラバ」スタッフはこの劇に感銘を受けたという。
サンリオキャラの「らしさ」を考える難しさ
じゃあサンリオキャラそれぞれの「らしさ」って何なのか。これは劇中ではダニエルら自身が結論を出してるものの、ユーザー側が一言で言い表すのは難しい。彼らにはアニメとか漫画とかゲームとか、そういった「物語」の形をとった明確な原作が存在しないからだ。ピューロの劇はそれに近いけど、全ての大本でもない。あるキャラを理解するに当たっての「原作読め」がサンリオには通用しない。
キティちゃんはそんなことしない
劇中、スポンサーの要望でキティがクロミ相手に勧善懲悪のキッズアニメみたいなことをやらされる場面。キティオタの小室ちゃんは憤慨する。
「なにこのダッサイ魔法みたいやつ。キティちゃんはクロミちゃんやっつけたりしないし!」
これを観た時思わず喝采を送ってしまった。やっつけるかはともかく、彼女たちがしばしば(本人のキャラ性とは無関係に)分かりやすいキッズアニメ要素と結びつけられてきたのを知ってるからだ。「おねがいマイメロディ」の「メロディタクト」なんかいい例だろう。「おねメロ」以前の彼女にそんな要素はなかった。はず。
そういう背景を踏まえて、小室ちゃんはいいこと言った。……でも、本当にそうだろか? あの場には当のキティはいなかったので、肯定も否定もしてない。youtubeの配信で彼女が「仕事を選ばないんじゃなくて全部選んでる」と言い放ったのはちょっとした話題になった。
「○○はそんなことしない」は、一面には〇〇の新たな挑戦をオタクのワガママで阻んでるだけじゃないのか……?(だからって、従来のサンリオのイメージにそぐわないことをやってこそサンリオっていう面白がり方は好きではないのだけど)
ミラギフで筆者が観たもの
話は変わって。ピューロランドといえばやっぱりミラクルギフトパレードだよね。オタクは口を揃えてそう言う。キティちゃん始めサンリオの人気キャラが歌い踊りドラマを展開するパレードは、確かに一見の価値がある。現在は休止中だけど。
私自身はというと、キャラクターたちが登場時に乗っている車(フロートというらしい)にでかでかと描かれたスポンサーロゴ、あれがやたら印象に残っている。サンリオのファンシーな世界に日常生活で馴染み深い大企業ロゴが紛れ込んでるギャップがすごい。こんなところでもお金って大切なんだなーと勝手に世知辛くなってしまった。
でもこれは的外れな言い草かもしれない。サンリオの歴史を紐解いてみると、「商品パッケージに可愛いイラストをつければ売れ行きが伸びる」ことを創業者が知ったのが全ての始まりだった。サンリオは販促用の絵を……キャラクターを多数生み出し、他社に貸し出すことで成長していく。キティちゃんもキキララもマイメロも昔からずっとスポンサーの販促のために仕事してきた。
サンリオとスポンサー
創作を取り扱ったフィクションではスポンサーは悪役にされがちだ。商業主義が「純粋」な創作、クリエイターの「らしさ」やそれを愛する人達の邪魔をする。
じゃあサンリオ作品では? 同社の理念「ソーシャル・コミュニケーション」にはスポンサーも含まれる。スポンサーは仕事相手であると同時に「お友達」でもある。彼らやコラボ相手との付き合いで垣間見えたキャラクターの新たな側面は一つ一つ積み重なって、少し違ってもキティやダニエルの「らしさ」を形作っていく。たとえそれが従来のイメージと多少違ってもだ。
ラストシーンでお土産を買って帰っていく吉池ちゃんを観てると、彼も今後はそうした「らしさ」に貢献する一人になるはずだと思った。
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