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稀代のライトノベル冒険家・石川博品 デビュー10周年万歳万歳万々歳

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 あっという間にネルリ10周年イヤーだなんて、年を取るのはイヤー!(耳だけに)

いきなりこんなギャグを飛ばすラノベ作家がいたとして、あなたはその著作を面白いと判断できるだろうか。私は「そういうのは間に合ってますんで……」と及び腰になってしまいそうだ。しかし、そんなあらすじでもって世に出たのが我らが石川博品だった。

僕はレイチ。元モグラ(詩的表現、元気いっぱいに!)。 今年から第八高等学校に入学する将来のモテメン(希望込み)。っていうか適当に平和にやりつつ、好きな植物でも愛でて妄想の中で暮らしていきたかったのに、クラスメイトは異文化流モラルハザードなヤツばっか! 僕はインモラル以外食さねーっつってんだろ! とくに何なの? この幼女? ネルリ? 耳刈? せっかくの高校生活、痛いのはイヤ―!(耳だけに) 第10回えんため大賞優秀賞受賞作品!

だから、第一印象はそれほどよくなかった。しかし全三巻を読み終わってみると、すっかり作品世界に夢中になっていた。

「耳刈ネルリ」シリーズは二〇〇九年一月三十日に発売された、石川のデビュー作である。全体主義的国家のエリートばかりが集まる「八高」で、レイチは野蛮な王国民のネルリと出会う。好きな言葉は「支配」「蹂躙」「凌辱」だと臆面もなく言い放ち、国での風習から野ションもはばからないとんでもない王女様に彼は恋してしまい、彼女や奇天烈な仲間たちと共に三年間を過ごす。

大枠だけ取り出したならばよくある青春小説である本作には、作者の分厚い教養と無軌道なネットスラングと恋のエモさが無造作にぶちこまれている。その食い合わせなどまるで気にしないようなカオスっぷりに、一部の好事家からはきわめて高い評価を得た。だが高評価とは裏腹にこのシリーズは三巻で打ち切られている(ただし最終巻はこの上なくきれいにまとまっている)。

「君と僕とは立場も考え方もまるで違う――でも、いっしょにいたい。五年後、十年後もいっしょにいたい。ずっといっしょにいたい。そのために何をすればいいのか、僕はいま考えている」
「私もいっしょにいたい」

次の作品までは二年近く間が空く。

長いことライトノベルを読んできて、デビューしてから二、三年で消えてしまう作家をたくさん見てきた。一作で消えてしかもそれが世評が高かったりすると、伝説の作家としてかえって箔がついたりもする。

しかし石川は新作『クズがみるみるそれなりになる「カマタリさん式」モテ入門』を携えて、なんとか戻ってきた。そして今に至るまで、打ち切り続きであっても、毎年何かしらの作品を発表し続けている。

ありきたりな表現ではあるが、言うほど簡単なことではなかっただろう。彼は一部の人から評価は高いが売れない作家として、長らく認知されてきた。

本人は、ただ愚直に書く・没・打ち切りを続けてきたわけではない。

たとえば彼は商業小説と平行して同人活動も行っている。「ネルリ」のボツ原稿を集めた『耳刈ネルリ拾遺』が、石川名義の初めての個人誌だった。

あれは二月、都心に大雪が降った翌日。足元を滑らせないよう気をつけてたどり着いた、池袋サンシャインクリエイションの会場でのこと。迂闊にも「『後宮楽園球場』(前年末に発売されたアラビア風ハーレム野球小説)の続き楽しみにしてます!」と口に出してしまい、本人から「あれは打ち切られちゃいまして……」と申し訳なさそうに言われたことは、私のラノベ読み人生のなかでも一、二を争う苦い思い出である。あの時ほど自分の対人対処能力の低さを呪ったことはない。

剃毛百合小説『四人制姉妹百合物帳』は夏コミで頒布され、その年の冬には星海社から商業版が発売されるという、思わず仕込みを疑ってしまう推移の早さだった(同人版と商業版ではイラストレーターが異なる点から見ても、わざわざそんな手間を売れない作家にかけないだろうとは思うが)。

パンクなアイドル小説『メロディ・リリック・アイドル・マジック』では、同人誌制作の経験を活かして、自身でイラストレーターの選定やその他諸々を行っている。

『先生とそのお布団』は、売れないライトベル作家の小説への情熱と生活の悲哀を描いた半自伝的小説だ。これは元はKADOKAWAのweb小説サイト、カクヨムで発表されたものたが、小学館に拾われてガガガ文庫から刊行された。

商業の没原稿が同人誌に化けたり、それが元でファンが増えたり、同人誌やweb小説が出版社に拾われたり。石川の活動が実を結んでないということはない。

「このライトノベルがすごい!」でも石川作品は何回もランクインしている。しかしそれが売り上げに結びついてるとは言い難いようだ。先述した「後宮楽園球場」は

1巻打ち切り
 ↓
このラノにランクインしたので増刷&2巻発売
 ↓
再度打ち切り

という憂き目に合っている。私なら確実に心が折れていた。

それでも石川は書くのをやめない。

十年が経った。『ネルリ』作中で言うなら、レイチとネルリが出会って、再会したのが七年後。さらにその先の世界だ。

石川を突き動かしているものはなんだろうか。それは『先生とそのお布団』を読めば少しは分かる(ただしあくまでフィクションであることを忘れずに)。でもそこは必ずしも私が理解する必要はない気もする。

読者の私達は十年経ってどうなっただろうか。売れないのは何が悪いのか。編集者か。世間か。流行か。……そういったことを言う時期は、『先生とそのお布団』を経た今では、とうに過ぎたように思う。少なくとも私はそうだ。

今はただ読み続けたい。そして琴線に触れるものがあったら感想を綴りたい。

報われるか分からないけどずっと書き続けてほしい。これは全くもって読者の我儘だろう。それでも、石川博品が筆を折らず書き続けてくれるなら、その我儘を通して、ただ粛々と読み続けたい。応援してるから? 面白いから。私にとって面白いものを書いてくれる作家だからだ。十年経って出発点に戻ってきた感がある。これは当たり前のようで、一度持った愛着や慣性に流されるまま趣味を続ける私には珍しいことだったりする。

何が面白いかは、これまでもブログで書いてたけど、また別の機会に改めて書きます。できるだけ近い内に。なんせ十周年なんで。

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