NHK産ASMR「365日の献立日記」の話をします
春頃からNHKの5分番組「365日の献立日記」を欠かさず観ている。コロナ禍で気持ちが落ち着かない中、自分の【観る精神安定剤】の位置にすっぽり収まってしまった。
これは料理番組だけど、プロがレシピを披露する実践的なものじゃない。タレントが食レポするバラエティでもない。ただ、料理をしている風景を、その手元を5分間流す。……環境映像といったほうが近いだろうか。
まず何より音がいい。とんとんとんとん……とまな板にのった長ネギをみじん切りにしている時の一定のリズムを聞いていると「今日も朝ごはんしっかり食べてがんばろう」ってなるし、焼き魚の脂がジュワジュワと滴る様は焦らされているよう。蓋をした鍋がコトコト音を立て始めると「そろそろできあがったかな?」と匂いを嗅ぎたくなる。
とにかく料理している時の色んな音が臨場感たっぷりで耳が気持ちよく、【NHK産ASMR】というにふさわしい。ドラマ「孤独のグルメ」も音にはこだわってたけど、こちらは作る時のそれに特化してる。
番組の主旨としては昭和の名女優・沢村貞子の献立日記のメニューを再現するというもの。
ただしこの日記はその日家庭で作ったものの名前が羅列してあるだけで、レシピどころか材料すら判然としないことも。だから再現というのも厳密には正しくないかも。
番組は沢村の他のエッセイから料理に関する引用などを挟みつつ、彼女だったらこうしたかもしれないという想像にちょこちょこアレンジを加え、調理を進めていく。……
一つ前の文章で主語を「番組」と書いたのは、ここでは料理をする主体がはっきりしないから。
それらしきナレーションは女優の鈴木保奈美が担当している。貞子さんの日記にお伺いを立て毎回の献立に「これでいきましょう」とゴーサインを出すのが彼女の役目だ。そして映像の中で実際に料理をしているのはフードスタイリストの飯島奈美。飯島はあくまで喋らず、顔も映らず、手元だけがクローズアップされる。
ではこの「手」と「ナレーション」が設定上同じ人なのかというと……どうも曖昧なところがある。
沢村さんのエッセーからの引用部分を読むときは、ちょっとトーンを控えめにしています。沢村さんは、私のイメージではキリッとした女優さんという感じがあるので、いい意味での堅さを出しているつもりです。ほかの部分は…実は、アドリブはほぼないんです(笑)。
作り手である飯島さんが料理をしながらひとり言を言っているような感じと、映像を見ている私の気持ちが入っている…という、どちらかに偏りすぎないようにやっています。
料理をしている「手」は喋らないし顔出ししない。毎日の献立に悩むナレーションは語りだけを聴かせ、貞子さんは既に亡くなっていて生前の動く場面が出てくるでもない。エッセイの文面などから彼女のパーソナリティーは伝わってくるけれど、それはあくまで私達の想像上のものだ。
この番組には三人の女性が登場するが、誰一人として明瞭な姿を見せず、料理をする主体が誰なのかぼんやりしている。さらにはナレーションは貞子さんのエッセイも読み上げるので、ますます誰が誰やら分からなくなる。
でも、それがいい。誰かが顔出し出演でもしたら、あの空間の心地よさは途端に失われてしまう……もっと言うと萎えちゃうだろう。顔のない誰かが食事を作る美味しそうな音が聞こえてくる。そんな空間だからこそ、自分が――自ら料理をするにしても出来上がるのを待ってるだけにしても――そこにいてもよいという余地があり、安心して身を委ねたくなる。そうした魔力を番組に与えている。
youtubeで公開されているASMR動画なんかでも多くは製作者が顔出ししないようにしてるけど、あれは身バレを防ぐ意味以上に自分が動画に必要な要素ではないと分かっているからかもしれない。
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