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粟餅

男は困惑していた。
宿場町の茶店にいて、目の前に粟餅が置いてある。
見覚えのある店だった。
男が子どものころ、奉公していた旅籠屋の近くの茶店だった。
腰の曲がった婆さまが働いている。
男が九つのとき、亡くなったはずだ。
茶店の前を通るたび、粟餅を蒸すにおいにひかれて、何度、立ち寄りたいと思ったことか。
奉公人で、子どもだった男には粟餅を買う金を持っていない。
いや、一度だけ、茶店で粟餅を頼んだことがあった。
お使いに出た先で、思わぬ小遣いをもらい、帰りに寄り道をした。
粟餅を蒸している間に、居眠りをしてしまった。
婆さまも声をかけてくれればいいのに、放っておいた。
日が暮れてしまい、泣きながら奉公先に帰ったあと、ひどい折檻を受けたのではなかったか。
あのとき、粟餅は食べたのかどうか、よく思い出せない。

男が奉公する旅籠屋は傷のある店だった。
ときどき盗賊をかくまっていた。
人相の悪い客が出入りしていた。
旅籠屋の主人も盗賊団の仲間だったのかもしれない。
気づいてはいたが、奉公を続けた。
他に生きる道がなかった。
男が二十歳になったある日、旅籠屋の物置の地面が盛り上がっているのに気付いた。
掘り起こしてみると、ひとかかえもある甕(かめ)の中に小判が詰まっていた。
男はそれを抱えて逃げた。
その金を元手に上方で商売をして財をなした。
大通りに店を構え、たくさんの奉公人を使った。
さんざん放蕩もしたし、妾を何人も囲った。
「粟餅はこのあたりの名物だからね」
遠い昔に死んだ婆さまがにこにこして言った。
「食べたら、早く奉公先に戻らないと、叱られてしまうよ。さあ、はやくおあがり」

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