あんもちは、ひいばあちゃんの味
ウィン、ウィンとうなりながら回転を始めると、あっと言う間に米粒が消えて大きな塊になっていく。
蒸して、つくまで全自動。こうして機械でもちをつくるようになって、どのくらい経つのだろう。随分と楽になった。時間も半日とかからない。そして、とても静かだ。誰も走り回っていないし、つまみ食いをしてはしゃく子どももいない。いまは両親と、この日のために実家に帰った僕たち夫婦だけの、小さな家族行事だ。
移ろい続ける「そういう感じ」
小さなころは、四世代総出の大イベントだった。
両親、姉、じいさん、ばあさん、そしてひいばあちゃん。庭では朝早くからもち米を蒸す湯気が立ち上っていた。薪をくべて火の勢いを調節するのはじいさんの仕事だ。
畳の上に長細い机を置き、敷いた新聞の上は片栗粉で真っ白だった。そこに、つき上がったばかりの熱いもちがどぼりと持ち込まれる。ちぎる人、丸める人、あんもち専門の人、木箱に並べる人。連携作業で丸もちがどんどんできていく。そのすべての「製作総指揮」を執っていたのは、ひいばあちゃんだった。
小学生の低学年くらいまでは同世代のいとこ家族も帰省していたので、10人以上での「もちつき大会」だった。僕はというと、ただその祭りのような空気感に興奮して走り回ったり、あんもちをつまみ食いしたりしていた。年の瀬の高揚感に包まれて、誰もがみんな笑顔だった。年末とは「そういう感じ」のものだと思っていた。「そういう感じ」が毎年、当り前に続いていくのだと。
それが、いつから変わってしまったのだろうか?はっきりとは思い出せない。
まず、ひいばあちゃんが脱けた。認知症が悪化したのが理由だった。認知症になっても、しばらくは指揮を執っていたと思う。そういう昔ながらの作業はこなせていた。けれど、妄想的な言動が増えていき、ある日徘徊中に歩き疲れ、腰掛けようとして道路沿いの縁石に手をついた際に骨折。それをきっかけに寝たきりとなってしまった。
それ以降、総指揮はじいさんが執るようになった。けれどいとこ家族がこなくなり、そのうちじいさんも、ばあさんも老衰のため入院。そのころから両親は機械を使い始めた。姉も僕も家を出ていたので、両親だけで行うには物理的にそうぜざるを得なかったのだろう。
二人だけでのもちつき。
それはどんな空気感だったのか。賑やかさも、高揚感もなかったはずだ。おそらく、その1年を振り返るテレビ番組の音声だけが鳴り響く中で、黙々ともちを丸め続けていたのだろう。恒例の家族行事の灯を絶やさないこと。それだけを目的にしていたのかもしれない。
「縦の結び」のひと縒(よ)り
人生のしまい方、命のしまい方。自分も含めて、どう「結ぶ」のか。そこを考えていく時期にきています。
もちを丸めながら、この秋にインタビューしたある医師の言葉がよみがえってきた。家族に看取られながら穏やかな最期を迎えられるようにと、過疎化が進む瀬戸内海の島で「思いやりの医療」を続けている「おげんきクリニック」の岡原先生だ。
先生がクリニックを構える周防大島町では、少子高齢化が原因で地域の祭りがなくなりつつある。先生が特に気にしているのは、かつては集落ごとに行われていた「盆祭り」の消滅だ。
その背景には、人口減少という目に見える事象だけでなく、「縦の結び」の希薄化という目に見えない事象も影響していると先生は言っていた。「縦の結び」とは、両親、祖父母、そして祖先との絆のことだ。
なぜ「縦の結び」は弱くなってしまったのか?その理由について、先生はこう説明してくれた。
生活から「生と死」が分離されてしまったからではないでしょうか。かつては自宅で生まれ、自宅で看取られるのが当り前でした。誕生も看取りも病院で行われるようになったことは、日本人の死生観に大きな影響を与えていると思います。
そうかもしれない。
確かに、僕のひいばあちゃんも、じいさんも、ばあさんも、病院で亡くなった。そのことによって僕は自分の死生観にどんな影響を受けてきたのだろうか?……考えたことはない。
ただ、「人はあんなふうに死んでいってはいけない」とは、よく思う。ベッドの上で、身体や喉にいろんな管を付けられて、デジタル表示の数値が点滅する中で、延命措置の果てに、物が壊れるように死んでいってはいけない。そんな終わり方は、命の最期の扱い方としてどこかが、何かが決定的に間違っている、と。
人生の最期が家族との楽しい思い出で満たされるなら、本人も遺される方も幸せなはず。そういう想いで活動を続けています。 (岡原先生)
僕たち夫婦がもちつきの手伝いに帰るようになったのは、2,3年前からだ。毎年、担当する作業量がじわじわと増えていく。どうやら両親は、近いうちに僕たちにバトンタッチしたいようだ。
二人から、四人へ。この状態が何年先まで続くのかまったく分からないけれど、「そのとき」までは楽しい思い出にしていきたいと思う。といっても、何か特別なことをするわけじゃないけど。ただもちをつき、手のひらや服を真っ白にして、できたてのもちをみんなで食べる。それだけだ。
でも、そんな何気ないひとつひとつがきっと、最も身近な「縦の結び」のひと縒りとなっていくのだろう。
できたてのあんもちを焼いた。
四人でつくった不格好なもちの、ざらりとした食感、あんの淡い香り、そしていい塩梅の甘さ……。ひいばあちゃんがいたころから変わらないあんもちが、まだそこにはあった。