「わたし」という腐葉土
「わたし」という腐葉土
人生は、腐葉土のようなもの。
固有の体験という有機物が、長い年月をかけて分解され、発酵し、豊かな土に変わっていく。
有機物のひとつ、ひとつは、決して楽しいことばかりではない。
辛いこと、苦しいこと、悔しいこと、情けないこと、どうしようもないこと、忘れてしまいたいこと……
そんな痛みを伴う記憶や感情もすべて、わたしという豊かな土をつくる大切な有機物。
消毒したり、除菌したりするなら、わたしの土の豊かさは死んでしまうだろう。
よそから立派な土を取り込むなら、わたしという土は失われてしまうだろう。
意識しても、しなくても、わたしのなかで分解と発酵は続いている。いま、この瞬間にも。
その腐葉土は、いつかわたし自身に豊かさをもたらすかもしれないし、そう感じられることはないのかもしれない。
けれど、もし豊かさを感じられないままだったとしても、それは大地そのものの豊かさの一部になっている、なっていく。
「わたし」の消えた、より大きな世界で、より精緻な世界で。
誰に気づかれることもないとしても。
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