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「空しい」からこそ、生きる価値がある

「明日どうなるかわからなければ、今日を生きることに意味はないのか。コヘレトは『そうではない』という。明日どうなるかわからない。だからこそ、今日を生きる意味があるんだと」

―空の空、空の空、一切は空である。
太陽の下、なされるあらゆる労苦は、
人に何の益をもたらすのか。

旧約聖書のなかで「異端の書」と呼ばれる「コヘレトの言葉」。

「空しさ」「失う」「絶望」……といった、一見するとネガティブな言葉で綴られた文章のなかに、批評家・若松英輔さんと、神学者・小友聡さんは「危機の時代を生きる叡智」や「コロナ禍の現在にも通じるメッセージ」を読み取っていきます。

「コヘレトは、自分で自分の人生に納得することを戒めているのだと思います。自分で納得するような小さな世界で自分の人生を決めてはならない。人は自分の意志だけで生きているのではなく、生かされてもいる。聖書の世界観でいえば、圧倒的な力で生かされている。そうであれば、生きることの是非を人間が自分だけの考えで決めることはできない」

「最近、『自己肯定』という言葉を聞くようになりました。確かに、私たちはあえて『自己否定』する必要はありません。しかし、私たちは否定的だと思われた経験や出来事にも、とても大事なものを見出すことができる。私は、これがコヘレトの叡智だと思うんです。私たちは、否定的なものをないものにして生きることがある。しかし、そうしたときにこそ、人は人生の道に迷ってしまうのです」

「人生には、苦しみという扉を通じてでなければ、たどり着くことができない場所がある。その苦しみの扉がなくなってしまうと、永遠に垣間見ることができない人生の真実がある。コヘレトは、そのことをとても冷静に眺めています。もし、苦しみが私たちの人生からなくなってしまえば、私たちの世界から喜びもまた消えてしまうことを教えてくれているのではないかと思います」

3000年近く前に蒔かれた種が、二人の丁寧な言葉によって自分の胸に届き、静かに芽吹きはじめている。読み終えて、そんな感覚に包まれています。

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「大切なのは、苦しみや悲しみの出来事を避けるのではなく、深めてみることです。コヘレトは、そのことを教えてくれているのではないでしょうか」

苦難のなかにあるとき、人はそこから一刻も早く抜けだしたいと思うもの。でも一方で、その苦しみ、悲しみは、自分の生き方や人生観、人間観を深めるためのきっかけにもなり得ます。

僕自身、新聞記者を辞めてフリーになり、思うようにいかない日々が長く続きました(いまも継続中ですが……)。独立したてのころはコーチングを学び、人に対して提供もしていましたが、2年が過ぎた頃に一切のセッションを停止しました。

「人は、何かを成し遂げるために生きているわけじゃない」
「コーチングや心理学的なセオリーで汲み尽くせるほど、人生は浅くない」
「そもそも、人はそれぞれ、まったく違うオリジナルな道を歩んでいる。それがどんな道なのか、どこに辿りつくのかは、本人にしか分からないし、本人でさえ、歩んでいる最中には分からない」

……コーチングで数百人のクライアントさんと接するうちに、こうした想いが芽生え、どんどん確かになっていきました。そして何より、それは自分自身に対しても深く実感することだったのです。

そう感じ始めると「あなたが人生で本当にやりたいことはなんですか?」「可能性は無限です」「チャレンジして、自分を成長させていきましょう」……などといったことを謳って集客し続けるコーチングのあり方そのものが、とても浅いものに思えてきたのです。

人生は、自分が考えるよりももっと大きくて深い流れであり、その流れを感じる、体験するために、人はそれぞれの時間を生きている。……それは、それで完全なんだと思うようになっていきました。

「私たちは情報を知り、知識を得る。しかし知恵は違う。私たちが知恵と出逢うのは、真の意味での人生の経験をするときです。避けがたい苦しみや悲しみ、あるいは嘆きやうめきが私たちを知恵に導いてくれるのです」(若松英輔)

ごまかすことなく、ほかの誰かが提供する安易な答えに飛びつくこともなく、淡々と現実を見つめながら終わりなき日常を生き続けていく。コロナ禍のなか、虚飾を捨て、自分への洞察を深めながら日々生き抜いている人にとって、この本は大切な滋養となると感じています。

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