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【短編ホラー小説】短夜怪談「当たり屋」

ある駅の人混みの中で、スーツ姿の中年の男がトートバッグを持つ若い女性にわざとぶつかるのを見た。当たり屋の実物を見たのは初めてだ。だけど、彼女のトートバッグから、真っ黒な長い髪を振り乱す女が飛び出して、ニヤニヤ笑っている男に飛びついた。凄い形相で、全然関係ないこちらがゾッとする。途端に男は怯えて暴れ狂った。若い女性は含み笑いでその様子を見ながら、男から距離を取る。
「ありがとうございます、当たってくれて」
何故か、離れた距離にいるはずの彼女がそう言ったのが、はっきり聞こえた。中年の男は最早そんな言葉は聞こえていないようで、女をひっつけたまま半狂乱で駆け出して行く。
周囲の人間には女が見えていないらしい。男を白い目で見ている者が多く、若い女性への同情の眼差しがほとんど。いろんな意味で嫌なものを見た。彼女たちに背を向けた途端、男が駆け出して行った方の階段から断末魔のような叫び声と、「救急車!」という怒号が聞こえる。だが、振り向くことはしなかった。

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