仮面(マスク)
人は誰しも仮面を被っている。
好かれたい、嫌われたくない、こう思われたい……自然体が好きな人は知らず自然体という仮面を被っている。
見えない仮面は、そのままその人の性格として受け入れられ、年月と共にそれが本当の姿として張り付いてくる。
こうありたいと思う気持ちと、自分はそうじゃないと思う気持ちが強すぎると病気になったりする。出来たら今の自分を肯定してあるがままに生きたいものだ。
あるがままに生きことが出来るのは、才能かもしれない。人のことが気にならず、弱い自分も受け入れること。
自分は何者かというのは一生のテーマだけれど、自分が何者であるかを隠しつつ、自分の気持ちを認識するために、人類は「マスク」を被る祭りやパーティーを考案した。
仮面を被ると人は強くなる。
ジム・キャリーの「マスク」はその真実をデフォルメ化して映画になっていると思うのだが、弱気で人のいいだけの主人公が、マスクを被った途端にバリバリ熱血ヒーローになって美女を救う。
この時の美女、キャメロン・ディアスの美しさ、かっこよさは絶品だった。彼女は確かこの映画でデビューしたんですよね。
「スマスマ」でキャメロン・ディアスが出た時は興奮したけど食べるのが好きな人らしく、「マスク」の時のナイスボディは少しふくよかになっていたっけ。
最近ネトフリで見た韓国ドラマ「マスクガール」の主人公女性は、スタイルも踊りも抜群でアイドル志望だったが顔がコンプレックスで、マスクをつけてSNSデビューし有名になるが、仮面の下の顔がバレた時から不幸の坂道を転がり落ちていく。仮面の下顔を好きになってくれた男にも容赦はないところが面白い。
自分を変えるために整形しちゃう韓国ドラマはすごく多く、見てくれ勝負の考え方が浸透しているんだろうなと思う。
変身モノも、もれなく「マスク」案件だと思う。
あれは別物になってしまうし、つまり身体も変わっちゃうけども。変身願望を満たしてくれる。
見てくれによって、それを自分がどう受け取るかで人は変わる。外見に価値を見出さない人も勿論いて、その人たちにとってのマスクはまた別のものになるのだろう。
仮面舞踏会では、仮面をつけたまま出会って一夜を過ごすこともあるだろう。
相手が誰だかわからないのはスリリング!
声と身のこなし、体つき、マスクからのぞく目の光で判断するしかない。
少し本題から逸れるが、昔は、お見合いで顔がわからず結婚を決める人たちが少なからずいた。釣り書きが一番大切で、顔はほとんど関係なかった事だろう。
チャット結婚した友達もいるが、内面から入ったので、顔はほとんど関係なかったと言っていた。
それと真反対なのは婚活アプリで、大体顔で決めるよね、皆さん。
とても綺麗に写真撮れた子が、婚活アプリで次から次へと会いましょうコールが来て、会った瞬間、男の目から光がなくなり「写真と違いますね」という態度になって傷ついたという話を聞いた。彼女は、唯一ニコニコしてくれた男子と結婚し、今幸せに暮らしている。
時々自分でない何かに変わりたい時、マスクをかぶる。そこで発散したら元に戻るというのは、なかなか良い循環かもしれない。
心の仮面も時には必要で、外せる相手があれば心は健やかないられるかもしれない。
ネットはこういう背景もあり、ありのままで交流したい人、あるいは全然違う人としての仮面状態で交流する人など上手く使って発達したけれど、まあ、ネットはどう発達しても疑似体験ではないだろうか。
人を視覚と聴覚だけで判断するのは難しい。心が覗けると思うのはまやかしに近い。生で仮面を被っていた方がまだわかる。
見えない仮面を沢山持って、対峙する人ごとに取り替える。みんなやってる事だけれど、意識的にわかってやる人は少ないかもしれない。
いい人を演じている人が、裏でとんでもないことをしているのは当たり前だ。知らないところでモラルを無くして謳歌する。勿論そうじゃない人もいる。見分けるのは難しい。
昔はだからそれをよくわかっている為政者が、祭りでそれをやった。仮面を被るか、あるいは真っ暗な中で。一気にエネルギーを出し切って、人々は静かな生活に戻れるのだ。悪い人も良い人も。
今。
やっと行事としての祭は戻ってきたけど、仮面の効能を考える世の中になったかもしれない。
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