黒留袖を着る時
12月10日、息子が結婚式を挙げた。
昨年11月末に入籍を済ませているので、結婚1年後の式である。
世間ではこの4年間、感染症の影響で葬式や結婚式など式典が大幅に減って、私も4年前に亡くなった父の一周忌と三回忌をやっていない。だから昨年、息子が「式はしない」と言うのに対し、「いいんじゃない?」と答えたのだ。
元々そういったものに対して「やりたい人がやればいい」と思っていた。
ところが息子夫婦が結婚して1年経って、この12月に結婚式をやることになった。
彼女の姉が今春 教会で式を挙げ、家族親族一同、いたく感動したという。
普段は絶対涙を見せない父親が泣き、涙脆い祖父に至っては号泣して、それを見た親戚友人がもらい泣きし、感動の連鎖で盛り上がったらしい。
その姉の結婚式を体験したことで、自分も父やおじいちゃん孝行したいと強く思ったらしい。
本人たちがやりたいなら依存はない。元々向こうのご両親は娘の結婚式をやりたいという強い気持ちを持っているのもわかって、それも良かった。
挙式場所について、彼女は姉のように教会で挙げたいと言い、息子は神社が良いと対立した。こういう場合は女性の意見を立てた方が良いのではないか、と息子に伝えたが、いつも柔らかな息子が意外と折れず驚いた。
彼女の描く結婚式のイメージは、姉のように教会でウエディングドレスの自分と父親が腕を組んでバージンロードを歩むシーンに集約されていた。
一方息子は、昔から洋より和が好きな人である。
神社の併設幼稚園園に通い、(この地に引っ越した時、4歳だった息子がいくつかの候補の中から、ここに通いたいと自分で選んだ幼稚園である)七五三もその神社でやり、小学校時代から大学生に至るまで、ずっと散歩道の一部に組み込まれていた近しい神さまの神社である。
息子曰く、結婚式の間際だけ、にわかクリスチャンになるのに抵抗があるという。
尤も、彼の祖母(私の義母)はクリスチャンで葬式は教会だったし(義父は仏教で墓は別々)全然問題ないのではと思ったが、彼はそれだけは譲れないようだった。
結局、神社の式もウエディングドレスで行えることや、神社と提携の披露宴会場は吹き抜け天井のステキなフレンチの名店で、その空間の中で父親と腕を組んで「バージンロード」をすることになって彼女も納得した。
さて、そのあと両親の服装のことで、お父様はモーニングを着てほしいと希望が来た。こうなれば当然母親は黒留袖だろう。
式が決まった時から、私はボンヤリと亡き母の黒留袖を着ようかと思っていたのだが、実は七五三以来着物を着たことがない。どんなパーティーもドレス。成人式、大学の卒業式も、自分の結婚式もドレス。
パーティーでは大抵ピアノを弾くことになるのも大きかった。
初めての着物!
ハードルが高い。しかも着物の中でも格式の高い黒留袖である。どれだけ紐でぐるぐる巻きにされるのかと、トイレに行けるのかなど不安が日々渦巻いて、参列するだけなのに心拍数が上がる。
亡き母は着物をたくさんもっていて、私の結婚式も兄の結婚式も自前の黒留袖を着た。源氏物語の一シーンのような、銀糸の模様が美しい着物だった。ヒノキの箪笥より高価だと聞いた気がする。
しかし結局、私は母の黒留袖ではなく貸衣装で借りた。花嫁の衣装、両親の衣装のレンタルの店であつらえることになった。
結婚式の両家の衣装は、バランスを考えて同じくらいの金額のもので揃えるのが良いというネット情報を得て、私の夫も向こうのお父様と同じモーニングでネクタイだけ違うものに。
向こうは裕福な家庭であり、レンタルでも私の母の持っているものより良いかも知れず、その辺は全くわからないので、とにかく向こうのお母様と同じくらいの金額の黒留袖を選び、セットで草履からバッグ、全てレンタルした。
それらの衣装は当日会場に送られ、着付け師が全部やってくれる。帰りは脱いで渡すだけ。
便利である。
結婚式が近づいて、息子に親戚の住所を聞かれ、披露宴でスクリーンに映すと言って幼い頃の写真を物色して持って行った。
そんなこんなもありながら、気がつくと当日。
12月とは思えぬ暖かさである。晴天。
夫と早朝披露宴会場に赴いて着付けをしてもらった。ここで向こうのご両親も、息子夫婦も順番で着付けをしてもらい、そこで式前の顔合わせ。 そこから神社までタクシーで式場に運んでもらい、式後は親族たちも込みでタクシーで披露宴会場に運んでもらえる段取りになっていた。
ここで黒留袖を着付けてもらったわけだが、下着以外に中に着るものが2枚、そして留袖が1枚の計3枚のものを身に纏うために、何回も何回もぐるぐるとヒモに巻かれ、締め付けられながら帯にも巻かれた。しかし思ったより苦しくはない。
背筋が伸びて、身が引き締まり、肝が据わった。
なるほどなるほど、着物ってこんいうものかと思った。ついでに着付け師の方に、トイレに行く時の注意事項を聞いた。3枚纏っているので、外側から一枚ずつ剥がせば大丈夫と分かり、早速トイレに行って確かめてみる。
よしよし!大丈夫だぞ。
神社の結婚式は厳かで、雅楽も生で流れると気持ちが引き締まり、玉串の奉納、巫女による浦安の舞、三々九度と見ていて非常に面白い。
思っていたよりすごく良かった。
その後の披露宴も、スピーチは息子と両家の父のみ、演奏は息子夫婦と新婦の姉夫婦の4人のバンドで一曲、息子夫婦で1曲のみ。
息子夫婦はミュージシャンなので、披露宴会場にいる友人知人の九割はミュージシャンだが、友人の余興は一つも無し。
フレンチの美味しい店で、厨房にライトが当たりシェフたちが挨拶するシーンはあって面白かった。食事は美味しく、黒留袖を着ていたが完食出来た。
宴の最後に、新郎新婦の両脇にそれぞれの両親が並び、花束と手紙を受け取った。
黒留袖はこの時、品のある母の顔をするのに役立った。ありがたいことに息子夫婦は手紙をその場で読み上げるようなことはせず、封筒を受け取っただけでほっとした。
泣かずにすみそうだぞ!
笑ってお開きだ!
その時、司会者から
「花嫁がご両親以外にどうしても花束を渡したい方がいらっしゃいます。お祖父様です」というアナウンスの後、花嫁が祖父の元に駆け寄り、
「おじいちゃん、ありがとう」
と花を渡し、おじいちゃんが泣き崩れたのである。
それと共に私の涙腺は決壊して、あとは涙ダダ漏れとなった。泣くと顔が腫れるタチなので我慢するのだが泣ける。
お祖父ちゃんと私の涙を見て親族はもらい泣きをする。あーもう仕方ない。涙が流れるに任せた。
このようにして結婚式の一日は終わり、招待客が帰った後に更衣室で黒留袖を脱ぎながら、私は、黒留袖を着て良かったと心から思った。
これは「お母さん卒業」の式服なのだな。
神様や親戚の前で息子夫婦の門出を祝うだけでなく、「子供のお母さん」の自分に決別し、自分も未来に向かうための出発の式服だなと。
結婚式をするとかしないとか黒留袖を着るとか着ないとか、そういうのはどうでも良いと思っているけど、今回自分が着ることになって、私にとっては良い機会をもらったと思っている。
実家のヒノキの箪笥にしまわれた着物も着てみようかな、という楽しみもも湧いてきた。
母の黒留袖も着て、写真を撮ってみよう。