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伴奏ピアニスト

昨日一度このタイトルで出したのですが、素直ではなかった気がするので書き直しました。面白くしようとしてしまっていたので。前の読んでおもしろいと思ってくださった方、ごめんなさい。

伴奏者は共鳴する。

ソリストと、合唱団と、アンサンブルの仲間と。

伴奏ピアニストは譜面を見て良い事になっている。譜面を見て弾けるから楽だと思う人がいるかもしれない。でも見るのは楽譜だけではない。指揮者がいれば指揮を見るし、ソリストの呼吸を見てアイコンタクト。観客の動きも目に入る。たまに指揮している人がいて乱されるんです。やめてくださいね。

演奏直前になると、それまでの練習と違う事を注文するソリストたちは沢山います。本番近くになって気分ナーバス。高揚する人もいれば、落ち込む人も。テンポの注文「メトロノーム120きっちりでやってください。121だとダメなんです」と前日の夜10時頃電話がかかってきた事もあります。舞台にのってから「中音域は最弱で」の耳打ちとかならOK。でも舞台袖の曲の変更、さらには変更曲の「この曲半音低く弾いてね」と言う人もいた。え?知らねーよ、と言いたいが、もう舞台にのってるから、「はい」と返事。でも元調で楽譜通りに弾く。確かに初見で半音下げて弾ける人もいる。でも私は出来ないし、第一貴方は半音下げなくたってちゃんと声出るから!

コンサート後、あのピアニストうまいね、伴奏良かったけどソリストがイマイチなんて言われようものなら伴奏ピアニストは失格です。私も最初、の頃、仕事だし「うまく弾こう」という意識があった。自分中心になってしまうのだ。そうではなく、アンサンブルなんだから、相手の良さを引き出して、それが自分の良さとつながらないとね。下手に目立つよりは、え?ピアニストいたっけ?くらいな方が良い。

学生時代は声楽科三人とサキソフォンの伴奏をしていた。自分のピアノのレッスンのほか、四人のレッスン、学校以外のホームレッスンも入ってきて付き添い、いつも膨大な曲を抱え込んでいた。サキソフォンの試験課題曲の伴奏は譜読みだけで数日が終わるし、声楽の先生は次から次へと曲を寄越すので必死に譜読み。すると声楽科の友人は、待ってる間に「今日はこれ歌わないことにする。こっち」と新しい楽譜をよこしたりして、初見きかないといったのに。私は声楽の外人教師に「ピアニスト!練習してない」と怒られる事もあった。それは今の栄養になっているから感謝だけど当時は腹たったなあ。

卒業して伴奏の仕事が舞い込むようになり、ソリストとセットで行くと、「伴奏」は添え物扱いのことが多い。ソリストが若くビジュアルが美しいと更に差は付く。プログラムには写真なし名前だけならまだしも、打ち上げで……

まあ、世の中はそう言うもので、バンドのボーカルは知っていてもキーボードとかベース誰やってるか気にしないひとが大半なのです。同じ。ちゃんといい音楽をやればいいわけで。修行が足りないピアニストの恨み節。

まあいっか、と思えた方が良い。評価してくれる人の意見を大事に、これからの勉強の糧にすればよい。

伴奏は好き。色んなひとに逢えるから。本番の過剰な緊張感で頭が変になるソリスト、超ワガママなソリスト。だけど本番では一つになる。愛し合うと言ってもいいと思う。

音楽は国境を超え、性別を超え、年齢も超えて、心にダイレクトに入ってくる。音楽を仕事にしているけど、私の中で音楽は仕事じゃないんだよね。多分やりたい仕事はギャラと関係なくやっている。でも、もらわないとプロと言えないから貰います。

最近はプログラムに「伴奏」と書きません。「ピアニスト」と書きます。




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