10/14 角野隼斗【第18回ショパン国際ピアノコンクール3次予選と結果発表】

14日の夜、正しくは15日の午前1時。三次予選初日のイブニングセッション2人目の演奏者として角野隼斗がステージ袖に現れた。

控室から出てきた角野は適度な緊張感を持ちつつも落ち着いた表情で身なりを整えその時を待つ。時折、指パッチンをしたり、ハンカチのありかを確認したりしながら、スタッフの声掛けに柔らかく微笑んでスタンバイ。

階段下で佇む表情がショパンを思わせる。すっかりなりきっている。茶化す意図はない。このなりきりの生む心理状態はとても大切と思う。

拍手の中、角野がステージに上がると、姿が見えたあたりで拍手のボリュームとスピードがあがった。あたたかい客席に向かって一礼し、角野はピアノと向かい合う。

【Mazurkas, Op. 24】

4つのマズルカからなる作品24。はじめのふたつは予備予選でも弾いた曲。詩を詠むような落ち着いたセピア調の24-1からミルキーなキャンディーカラーの24-2へと続く。このときの高音が丸くてかわいい。24-3はもう少し彩度が上がった音色。雨あがりの空に虹を見つけたときのような、ちょっとだけ良いことがありそうな気持ちになった。メロがすごくキャッチーで、ギターで弾き語りしたくなる。弾けないけど。24-4は透明度が上がった。凛とした意思の強い語り口調で綴られる。最後のあたりの演歌になりがちな半音階のところがポーランド語だった。私にはマズルカのなんたるかはわからないが、ポーランド語で詠えていたらそれはきっとマズルカなんじゃないかと思っている。というかショパンの曲にはポーランド語のような音の形がよく出てくるなと思う

曲に合わせて使う色彩のパレットが変わって、4曲の色調が段階を経て色づき、鮮やかに、クリアになっていく。この構成力が角野隼斗だ。加えて、ラテンやジャズも乗りこなすリズム感、イントネーションの勘の良さが抜群なのがマズルカやワルツ、ポロネーズに効いていると思う。絶対音感ならぬ絶対リズム感……。

【Polonaise-Fantasy in A flat major, Op. 61】

続いて幻想ポロネーズ。マズルカのときより更に、物語性を持たない、映画音楽のような味を感じた。あくまでも音に徹する、そういう意図を感じたというか。なんとも純粋な音オンリーな世界。人によっては味気なく感じるだろうとも思った。だけどこのピアノ(スタインウェイ300)がね、詠うんだ。
歌う、じゃなく詠う。シンプルに。

角野の持ち味に似合うスッキリとした響きのピアノだなと思っていた。選べるスタインウェイ製のもう一方の479は、角野のパッションが最高潮になるffなどは抑えて弾くことになるかもしれないと、他の奏者が弾くのを観て感じもしていた。とにかく角野は弦を鳴らすので、「トランペット」と表現される479では大音量すぎてしまうような気が。「チェロ」と言われる300なら、セーブしないで力を込めてもちょうどよい音幅が保てる、そんな感じがした。

その大音量すぎない300、最弱音もかなり小さいようだった。この曲にも小さな高音を出すところがあって、ある意味チキンレース。二次予選での小林愛実の同曲が素晴らしすぎたが、彼女も弱音が本当に美しくて(彼女の使用ピアノは479)、この曲の個人的な聴きどころが弱音になっていたところに推しの弱音。音になるかならないかの限界ぎりぎりの打鍵。ピアノは鳴ってくれるか、ホールは受け止めて響かせてくれるか、観客は耳をすまして聴いてくれるか、2階にいる審査員の耳には届くか……全てを信じていなければ出せない音。

静寂の中に微かに響く妖精の足音。角野の生音をホールで二度聴いたことがある。自分が知っているピアノの音ではなかった。透明で、柔らかくて、乱反射する玉虫色を揺らめかせるビードロの風鈴が揺れる……こう書いても全然表現できている気がしないが。金属ともガラスともいえない硬質な、だけど決して硬いだけではない柔らかく透き通る音がホール全体にほのかに甘く漂い降り注ぐ……。あの音の虜になったファンは私だけではないと思う。

その音が、今、ワルシャワで響いている……考えるだけで泣きそうになった。左手の轟音の余韻の中で響く小さな音が、暗闇に差し込む一筋の光になった。

【Sonata in B flat minor, Op. 35】

渡航の前日に行われた浜離宮のオールショパンコンサートで衝撃だったソナタ2番。第3楽章の「葬送行進曲」が有名な曲。(そのときの感想)

その第3楽章。今回は浜離宮の衝撃を上回った。その時に感じたのは「無」「空虚」「無音」などで、有名な主題より、中間部の優しいフレーズで無音の空間に取り残されたような得体のしれない怖さをみた。だけど今回はそれとは違う「無」だった。

角野隼斗が消えた。そう感じた。角野がショパンを真面目に弾くとき、たいていは似た状態になる。自己主張をせずにショパンの音楽を提供しようとするから。だけどこの曲はそんな控えめなものじゃなく、人としての存在が消えた。まるでショパンがいた時代と現時点との間にある別の空間に迷い込んだような、不思議な感覚。

後のインタビューで角野も同じような感覚に陥っていたことを知る。

「弾いているのは自分だけど、ショパンの音楽を聴いているような感覚」(のような感じのことを言っていた)

続く第4楽章も見事だった。角野の指が鍵盤の上をサラサラと撫でるように、しかし薄気味悪く蠢く。ところどころでメロディを浮かび上がらせるのも効果的だった。この部分に限らないが、低音のクレッシェンドのさせかたがすごく好き。

この曲はもっと深い音色で感情を込めて弾く演奏が多いように思うが、私はそれらより淡々としたこの怖さのほうが「死」だと感じる。26歳の青年がドラマティックな死の演出なしに死を表現したことが驚きで、どうしてこの解釈に行き着いたのかを訊いてみたい。

【Scherzo in C sharp minor, Op. 39】

最後の曲はスケルツォ3番。終演後のインタビューで、前日までソナタで終わるつもりだったが、現地でのサロンコンサートでこの曲の評判が良かったのでアンコールのような気持ちで最後に持ってきた、と話していた。

角野がニヤリと不敵な笑みを浮かべて生き生きと弾き始めた。だいたい、こういう顔をするときはゾーンに入っている……。やはりソナタのあたりから別次元に行ってしまったようだ。堂々たる旋律と、きらきら輝くフレーズが代わる代わるにやってくる曲。この高音も実際に聴くとものすごく柔らかくてつかみどころのない不思議な輝きなのだ。ムーンストーンのような光を放ちつつ、猫を撫でているような温もりと肌触りがある。絶対に伝わっていないと思う……。

そしてコーダというのかな、最後の激しくなる手前の華やかな前触れ。好き。

曲の終わり、ペダルを切るか切らないかのところでもう待ちきれないという感じの拍手とブラボーが起きた。「ヒュー!」とかも言われてた。私もPCの前で拍手した。

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これを書いているのは三次の審査結果を待っている17日の早朝。審査は難航しているようで、予定の時刻より二時間くらい遅れているようです。どうか角野隼斗のコンチェルトが聴けますようにと祈りながら書いています。

優勝優勝言ってるけど、他の参加者も素晴らしい(お気に入りの人が20人いる状態です)ので、もう誰が通過してもだれがここで止まってもなんの不思議もないと思ってます。

始まった! 心臓が跳ねまくります……。BGMは角野隼斗のスケルツォ3番です。どうか、どうか……。

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結果発表がありました。

Ms Leonora Armellini, Italy
Mr J J Jun Li Bui, Canada
Mr Alexander Gadjiev, Italy/Slovenia
Mr Martin Garcia Garcia, Spain
Ms Eva Gevorgyan, Russia/Armeni
Ms Aimi Kobayashi, Japan
Mr Jakub Kuszlik, Poland
Mr Hyuk Lee, South Korea
Mr Bruce (Xiaoyu) Liu, Canada
Mr Kamil Pacholec, Poland
Mr Hao Rao, China
Mr Kyohei Sorita, Japan

12名と聞いて角野隼斗の名前が呼ばれるのを待ちましたが、呼ばれることはありませんでした……。残念です、すごく、すごく。それはもう、ファンなので!

だけど、二次予選の感想でも書いたとおり、結果よりも、彼を知らない世界の人に角野隼斗という、ジャンルやフィールドにとらわれないでクラシックの裾野を広げるピアニストがいるということをここまで広められたことが本当に素晴らしく尊いことだと思います。

これからもChopin instituteと角野隼斗が良い関係であり続けられますようにと願います。

ファイナルに進んだのは本当にお気に入りの人ばかりだし。反田さん愛実さんいるし、ガジェヴとガルシアも……いや全員なのでもうね。

このあとは日本人初の優勝者が出るか、歌う優勝者なるか……最後まで楽しみたいと思います!

※20221029追記:ショパコン共通リンク追加
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一次予選
二次予選
三次予選(当ページ)
コンチェルト

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