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【静岡公演レポ】角野隼斗全国ツアー2022 "Chopin, Gershwin and... "

行ってきました静岡公演! 2022年1月29日、会場は沼津市民文化センター。
(画像は撮影と公開許可のあった当日の1枚です)

控えめに言って最高でした!!!!!

もともと毎秒進化する成長期というくらい、過去を更新してくるピアニストですが、過去イチのハイクオリティな演奏を聴かせてくれました。
ファンの贔屓目(耳)もあるかもしれません。でもお金を払って来場した客を満足させることができて、また聴きたい、何度でも足を運びたいって思わせる、これ本当にすごいことです。

座席は2列目! フタ(屋根)の目の前!
ピアノの中に座席があるみたいな音を浴びてきました!
緊張や重圧から解き放たれたみたいな音が自由でハッピー過ぎて祝福のシャワー!!!

備忘録的に感想を書いていこうと思うのですが、このあと今回と同じプログラム予定の札幌公演があるので、ネタバレしたくない方は本編については読まない選択をオススメします

あと、今回いつにも増して感動しすぎて記憶が飛んでいるため、断片的だったり、曲によってムラがあったりしてます。行かれた方のレポを参考に記憶を掘り起こして整理してみましたが限界ある……。とにかくそれぐらい本当にすごかったので、いろいろ違っていたりしたらごめんなさい。

では!

【本編1部】

CHOPIN : WALTZ IN E FLAT MAJOR, Op.18
「華麗なる大円舞曲」
(参考:2nd round)

1音目、迷いのない凛とした伸びやかな音。この音だけで角野の成長、進化が伺い知れた。華やかで、花やか。この日のピアノの音は金色だった。

この公演が最高のものになると秒で確信した。浜離宮もショパコンも素晴らしかったが、気品と風格が増して、自分の道とそれを信じる全ての人たちを統べる責任感と包容力のような余裕も乗っているような音だった。ショパンコンクールの緊張や重圧からの開放感も感じた。

去年の2月に桐生で聴いた『歌曲 : エフゲニー・オネーギンのポロネーズ』を思い出した。桐生は初めて生の角野隼斗(ラフ2)を聴いた公演で、この曲は自分的2021年の幕開けとも言える曲。ポロネーズとワルツという違いもあるが、始まりにふさわしい祝祭感ある舞曲という共通イメージが繋がった。何が言いたいかというと、ソロコンサートでありながら、このワルツで角野は初っ端からオーケストラを連れてきた

このツアー自体が2021年(2020年含む)の総まとめ的なものだという認識でいたため、1曲目が自分的2021年の幕開けと繋がったことが本当に嬉しかった。

角野の弾く姿はあまり見えない席だったが、フタのあたり(音がする方向)しか見ない自分にとっては最高の席。フタ裏に内部の構造が鏡のように映っていて、整列した黒いダンバーの華麗な舞踏会を見つめながら音に聴き入った。しかも、ピアノの位置が客席に近い。ステージ上に見えないオーケストラと指揮者がいるかのような客席ギリギリの配置だった。

HAYATO SUMINO : BIG CAT WALTZ
大猫のワルツ
(参考:かてぃんチャンネル)

寝ていた猫が起きてあくびをしたような即興イントロにときめいた。曲の中にいる猫や設えに高級感が漂って、写真や動画でおなじみの角野家の猫ではなく城住まいの長毛種が浮かんだ。(なお長毛種は本気で大猫です)この曲はさまざまな機会に演奏されていて、定点観測拠点にもしやすく、どんどん洗練されていると感じた。

HAYATO SUMINO/ CHOPIN : MOVEMENT
胎動
(参考:かてぃんチャンネル)

ショパン作曲の10-1を元にして優しく語りかけるようなメロディ。照明を落とした中で響く金色のアルベジオが、体の奥深くまで浸透した。前にCateen's Piano Liveで演奏した『アヴェ・マリアMIX』のような印象も。感想記事まで書いたくらい、あのMIXが気に入っていたので嬉しすぎた。

タイトルの『胎動』もいい。かつて『奏鳴』を聴いたときに感じた胎児が生まれ出るような感覚にも近くて、まさに胎動。命の躍動。跳ね回るような躍動感ではなく、春を待つ植物の種が地中で力を溜めているような高密度のエネルギー。子宮に宿った命の力強さを感じた

角野隼斗は何度も生まれるのだなとも思った。火の鳥のように死と誕生を重ねるのか、蝶のように蛹化と羽化し、それを繰り返すのか……。蛹化と羽化といえば、こんなことを書いたのも思い出した。

英語表記では『MOVEMENT』。音楽用語では楽章を表す言葉でもあるらしい。胎動に限定するとfetal movementとGoogle先生が教えてくれた。
なので2021年(と以前をおそらく含む)は『角野隼斗の第1楽章 胎動』なのかと理解してみることにする。

そしてなにより思ったのは音。演奏、曲調。優しくて、温かくて、胎動というより子宮や母体を感じる音だった。

角野は、もしかしたら自分の胎動を現しただけではなく、音楽家として鼓動を始めたばかりの自分を守る、即ち子宮のような存在である周囲への感謝を込めているのかもしれないと感じた。
子宮を蹴って生まれようとする叫びのような奏鳴との違いは、そういうところかもしれない。

※思い出し追記: 『清新の風(ござ作曲)』や、『旅立ちの日に(合唱曲)』のような、船出の音がしていた、ように思う。曲が似ているという意味ではなく、漕ぎ出すようなコードを感じたという意味で。角野の音楽家としての胎動が、新たな誕生に向かい動き出しているという意味もあるのかもしれない。

CHOPIN : MAZURKAS IN C MAJOR, Op.24 No.2
マズルカ24-2(参考:3rd round)
CHOPIN : ETUDES IN A MINOR, Op.25 No.11
「木枯らし」(参考:かてぃんチャンネル)

マズルカも木枯らしも、完全に自分の手足のように奏でていた。木枯らしに至っては、早い曲なのにゆったりとしてさえ聴こえた。慣れるというレベルの曲ではないはずなのに、寝起きでも弾けそうなくらいの心地よい余裕。この曲に限らず、角野の余裕と開放感に、聴いているほうもリラックスしてワクワクできた。どちらも、いままで聴いた角野の同じ曲よりも美しかった。大猫同様、やはりどんどん洗練されてきていると感じた。

HAYATO SUMINO/ CHOPIN : RECOLLECTION
追憶(参考:2nd round)

『蠍火』のような重さの中に、ショパンのバラード2番(38-1)を宝物のように散りばめた珠玉の1曲。ミニマルミュージック的に繰り返されるバラ2のモチーフが徐々に膨張し、飲み込まれ、ワルシャワに夢中になった夏秋を回想し、嗚咽が漏れそうになるのを堪えた。

この曲を聴いて安堵した。実は、この日の音色があまりにも開放感に満ちあふれていたので、角野にとってショパコンに参加したことは本当は重圧ばかりだったのではないかと少し考えてしまっていた。予選直前の浜離宮で聴いた緊迫したショパンと、この日の解き放たれたショパンがあまりにも違っていたから。

しかしそれだけではなかったことが伝わってきた。確かに、重圧、苦悩や不安もたくさん聴こえたし、終わりのほうで絶望のような、拒絶のような深い断絶があって「今のはきっとあの瞬間だ……」と強く胸が締め付けられた。

それでも角野にとって、ショパンと真剣に向き合った日々はこんなにも煌めきに満ちて、零れるほどの愛に溢れていたのだということも伝わってきたから。

大切な思い出をそっと胸の奥に終う……高い空に昇るレクイエムのような、大きな翼に抱かれるような温かい響きが、今も耳に残り続けている。

CHOPIN : MAZURKAS IN C SHARP MINOR, Op.63 No.3
マズルカ63-3
(参考:Lucas Jussen)

角野の演奏としては初めて聴いた(と思う)後期のマズルカ。
『追憶』のあとに続いたことで角野流の意味を持ったように感じた。マズルカではあるが、酒場でシャンソン歌手が過ぎ去った遠い日々を歌うような物憂げな雰囲気。角野は翳のある曲も似合う。

角野のマズルカはいい。ぜひ時間を作ってショパンのマズルカ集を出して欲しい。

CHOPIN : SONATA IN B FLAT MINOR, Op.35
ピアノソナタ2番
(参考:3rd round)

マズルカと間をおかずソナタに入ったのが良かった。『追憶』からずっと続いたレクイエムが『葬送行進曲』で幕を閉じるような。
ショパコンの頃の演奏は、角野の我を消して消してショパンが全てという演奏に感じていたが、今回の演奏からは角野本人の推進力、意思の強さを感じた。
「それでも、生きていく、前に進むんだ」というような前向きさ。ここでも、進化した角野の幹が太くなったのをしっかりと感じた。

今回のピアノはソナタ2番とよく合っていたように思う。金色の音色と表現した少し金属質な色彩が、数百年あり続けている教会の鐘を鳴らしたように聴こえた。

【本編2部】

GERSHWIN : I GOT RHYTHM
アイ・ガット・リズム(参考:かてぃんチャンネル)
GERSHWIN : 3 PRELUDES
3つの前奏曲(参考:アンドレ・ワッツ/Spotify)

休憩中の調律は、ほぼ20分丸々に渡って端から端まで調整していた。ステージに戻ってきた角野が、ショパンとはノリが変わる曲を演奏するピアノに向かって「いけるね?」と合図するように優しいタッチで軽いアドリブを入れて曲が始まった。

トムジェリーショウ的なリズムが次々に飛び出し、体が動いてしまいそうになった。角野のコンサートの勝手がまだわからないが、1部2部と趣向を変えて提供していることを考えれば、2部は少しくらい体を揺らしても良かったのかもしれない。正直、2部は立ち上がって踊りだす人がいても不思議ないくらいのご機嫌リズムが続いた。

H
AYATO SUMINO : TEEN FANTASIA
ティーン・ファンタジア

MCでの曲紹介のあと、角野のオリジナル曲が披露された。私はここでまた、新たな自分を発見することになった。角野曰く、ずっと少年でいたい、子供の冒険のようなイメージの曲らしいのだが、始まった途端、本当に目の前で我が子(動物園児×3)が暴れまわるので驚いた。

まさか角野隼斗を聴きに来て、自分の子供の姿を見るとは思わなかった。しかも、得意のノスタルジック成分含有なせいで、角野のコンサート中なのにホームシック状態に。変拍子なのかコロコロ表情が変わり、しまいにはラテン調(?)のリズムが予測不能な危なっかしいリアルな子供らしさをこれでもかと押し出して、子供たちの下手っぴな歌や、いつもはウザさしかない兄弟ゲンカ、笑い声も泣き声も全てが愛しくなった。ものすごく家に帰りたくて仕方がなかった。

(帰宅したらさぞ愛しく感じるだろうと思ったが、お土産の催促が騒がしくて全然愛しくなかったのはココだけの話。眠りにつく頃、小さな手や子供独特の細い髪がたまらなく愛しかった。)

角野が作る曲はある意味とてもベタだと思う。王道なのである。子供と言ったら子供! というシンプルな訴えかけに、見事にハマった。わかりやすい要素がふんだんに詰め合わせされていて、複雑さ難しさを一切感じさせない。それでいて、トトロとネコバスがやってきそうな冒頭から、いつのまにか『ドラえもん(小曽根真版)』『宝島(和泉宏隆)』を思わせる冒険心を掻き立てる展開になっていったのも見事だった。

作曲家、角野隼斗は間違いなく次世代の劇伴曲を担う最重要人物になる、と震えた。

GERSHWIN : RHAPSODY IN BLUE
ラプソディ・イン・ブルー
(参考:GLOBE-TROTTER)

本編ラスト。子供の曲の後、赤い鍵盤ハーモニカと登場した角野が奏でた音は、大人の時間の音色だった。しかも今までと全く違ってピアノが角野に合わせて激しく唸りだし、度肝を抜かれた。特にカデンツァがすごかったのだが、なんだかもう最初から圧倒されて、どこからどこまでがカデンツァなのかもわからないような嵐が巻き起こっていたような気もする。

鍵盤ハーモニカのアレンジもラフでありながら濃厚で、こなれたブルースハープのように感じるときもあった。

細かい記憶が定かではないが、とにかくこの曲で角野の凄さをまた見せつけられた。

今回の演奏はピアノバージョンなので、参考リンクはグローブ・トロッターを貼ったが、音の厚みや迫力とカデンツァで達した狂気の域はオケバージョン以上だったと思う。

【アンコール】

PADEREWSKI : NOCTURNE IN B FLAT MAJOR, Op.16 No.4
ノクターン16-4
(参考:イグナツィ・パデレフスキ)

初めて聴く曲だと思った。優しくて、甘やかで、夢心地だったのを覚えている。しかしそろそろコンサートが終わりだという感覚にもなり、美しさと切なさを抱えて聴いていた。

CHOPIN : WALTZ IN D FLAT MAJOR, Op.64 No.1
「子犬のワルツ」
(参考:かてぃんチャンネル)

曲を始める前のMCで、角野は撮影許可と静止画のみは公開OKと言い、始めのトリルをかなり長い時間をかけて弾いていた。観客が慌ててスマホの準備をするのを見ながら楽しそうに笑みを浮かべ、いたずらっ子のようだった。この、弾いている時の精悍な青年とのギャップもよい。

この曲も定点観測向きで、今までより一層も二層も上品な子犬がステージをちょこまかと駆け回っていた。

CHOPIN : POLONAISE IN A FLAT MAJOR, Op.53
「英雄ポロネーズ」
(参考:2nd round)

角野の英雄ポロネーズが世界一好きだと胸の中でずっと叫んでいた。浜離宮のサプライズと違って、今回は心の準備ができていたせいかホロリ泣きで留まれたが、とにかく最高に美しいヒーローだった。

半日前にもコンサートをして、今も2時間弾き続けた後とは思えないくらい、凛々しい気品に溢れ、フレッシュで若々しい渾身の演奏だった。角野の想いが溢れる音を聴かせてもらった。

世界中の人に聴いて欲しい。本当にこれに尽きる。角野隼斗の英雄ポロネーズは紛れもない世界の宝だ。ツアーファイナルの国際フォーラムでの世界配信でもぜひとも弾いて欲しい。

満場のスタンディングオベーション。会場に大きな大きな拍手がいつまでも響く中、カーテンコールに姿を見せた角野。少し照れたように手を合わせた後、生声で「ありがとうございました!」と言いながら両手を大きく振って袖に消えていった。


【コ口ナ禍中のコンサート】

はじめのMCで、かてぃんさんが
コ口ナ禍中での開催に当たり、力を尽くしてくれた関係者への感謝を述べていました。

前日の愛知公演が終わった夜、「打ち上げできなくて孤独にホテルで弁当食べたくない気分(意訳)」と、インスタライブで思うように行動できないストレスを吐き出していたのを思い出しました。

公演中、MCの度に客席を見渡して感極まったような表情もしているように見え(泣き出しそうにさえ見える場面もあり)、もしかしたら、ツアー中の間も中止か続行かの決断に迫られ続けているのかも、と感じました。想像するまでもないんですけど。日を追うごとに増え続ける陽性者数、会場は100%客入の完売、あちこちで開催中止の知らせもあったり、開催地へ(爆発地帯の)東京から赴くこと、各都道府県を跨いで移動する観客が少なくないこと、逆にチケットを泣く泣く手放した人がいることも知っているはずで。

また開催続行のつもりでも、関係者の中で陽性反応が出てしまったら当日中止だってあり得るわけで、毎回「今日がツアー最終日になるかもしれない」と思いながらステージに上がる……。戦時中みたいなメンタルでもおかしくないと思います。

そんなこんなで、かてぃんさんの心の中を想像するとともに、自分や来られなかった人たちの状況も相まって公演中ちょっとしたことで何度も泣いてました……。近くにいた方、ハンカチがチラチラ往復してごめんなさい。

【全体の雰囲気】

当日の沼津は晴れ。屋内で過ごす時間を最小限に抑えるため、開演15分前くらいまで会場の外にいましたが、穏やかでほんのり暖かさも感じるくらいでした。同じ考えかギリギリまで屋外で過ごす人も結構いました。

会場は名前から察しがつくとおり、従来型の市民会館。クラシックコンサート専用のホールではないのに、たった1台のピアノだけで本当に華やかな空気が満ち、花満開の楽園に迷い込んだかってくらいの幸福な音楽に包まれました。

ピアノは勿論STEINWAY & SONS。美しかった……。余韻がすごいです。

前日(愛知県芸術劇場)との比較もあってか、音響や音色についてTwitterが賑わっていました。私も少し触れたけど、ちょっと(いやかなり?)弾きこなすのにコツやセンスを要するピアノのようでした。個人的には生比較が去年9月の浜離宮なのですが、あのときのピアノがショパコンでいうところの「479」的な音が噴出するタイプだったとすると、沼津のは「300」方面の詩人タイプに感じました。でもラプソのときの迫力すごかったし、英雄ポロネーズも繰り返しのラストが本当に高らかで最高にかっこいい音が出てました。

ピアノをよく知る方々によると、かてぃんさんや調律師さんにものすごい苦労があったのではと推察する声もあったり。私は細かい技術面はわからないので、ただただ、かてぃんさんの音色だなと思っていました。

専用ホールで感じるような建物からの反響はあまり感じませんでしたが、そのかわり、設計に作り込まれたものではなく、ピアノそのものの、奏者が鳴らした音色のまま、クリアに遠くまでしっかりと届く音色だったと思います。色でいったら金色。ギラギラのキンキラじゃなくて、曲線が柔らかくて上品に煌めくようなゴールド。孔雀色の幻惑も金色がかってました。

浜離宮で感じた、弦が鞭みたいにしなるような感じではなく、女性的か男性的かで言うと女性的、肉食系か草食系かで言ったら草食系、クラスにいる、賑やかじゃなく物静かなのに華があって人気がある子みたいな、不思議な魅力のある音色でした。(変な例えばかり……)

もうちょっと音色について言うと、かてぃんさんがピアノに話しかけながらいつもよりも細かくコントロールしているみたいにも聴こえました。

それでいて、堅苦しさは全然なくて。2021年の緊張や重圧から開放されたような、肩のチカラが抜けたおおらかで広大なスケールを感じました。

MCで2021年の集大成、のようなことを言っていました。もう本当にその通りの演奏、その通りの曲たちが、存分に羽根を広げて飛び回っていました。

会場の音響だけでなく、その場にあるピアノの個性の違いを毎回感じて楽しめるのは、ピアニストのファンならではの特権かもしれないなとも思いました。てかこんなんだから全部聴きに行きたいとかなるんよね……。中毒……。

【おわりに】

コンサートが終わった後、数日が経った今も、体の中を角野隼斗の放った音符たちが血流に乗って駆け巡っています。支配力というのかな。魔法で体の自由を奪われたらこういう感じなんじゃないかってくらい、自分の意思とは別のものが自分の体内を巡って内側から拘束されているような、まさに音の虜、囚われてます。それがなんとも幸せで、この多幸感は何にも例えられないんですよ。初めてサブスクの角野隼斗を聴いたときも『体じゅうの細胞が入れ替わったみたい』になったけど、また更にって感じです。

本当に本当に、最高の音楽をありがとう! すごいHAPPYです!!!!!

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!


最終日は東京国際フォーラムの大ホールから世界に向けて配信もされます! 気になった方はぜひ!





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