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武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(EMC)を選んだ君へ
こんにちは。
武蔵野大学アントレプレナーシップ学部に総合型選抜で入学した1期生の上村です。
明日が総合型選抜の日だと知り、色々思いを馳せる事があったので、明日の選抜を控えた君に届くといいなと思いnoteを書き始めました。
さて、君はいまどんな気持ちですか?
EMCを知って、興味を持って、色々調べて、志望して、エントリーシートを書いて、書類を通過して、自分の生きた意味を考えて、涙した今日までの道のりの集約店が目の前に来ました。
そこから広がる未来への無限の可能性へのワクワクと、未来が開けなかった時の不安、2つの波が交互に押し寄せて、中々精神が安定しない夜を過ごしているのではないでしょうか?
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僕が今日伝えたいのは
「意思を持って生きていれば、いつか繋がる日が来る」
です。
このnoteでは、総合型選考に関する具体的なアドバイスをするつもりはありません。これからここに記すのは、大学進学率5%の総合高校で2年間英語と数学にほぼ触れてこなかった僕がEMCに受かるまでのお話です。
「20代で1000万円稼ぎたいな」
高校1年生の冬に何となく参加した地元の専門学校オープンキャンパスで「どんな企業で働きたい?」と聞かれた時に返した言葉。
その基準に根拠はなく、結婚相談所で年収1000万円以上の人が良いと言うようような感覚で答えていた。
とはいえ何か具体的な行動をする訳でもなく、何となくの日常でアニメとゲームを消費していた。
高校3年生の春、コロナ禍でゲームに向き合える時間が増えた分、ことの他ゲームの調子が順調で、ストリーマー(配信者)やプロゲーマーの道も1000万を目指せるからアリだなと思い始めていた。
しかし親の教育方針上、1回は一人暮らしをさせるというものがあったため、働きながら、勉強をしながらゲームを極めることの難しさを感じていたため、夏休みを開けた8月末に、進路を大学進学に大きく変えた。
と言っても、元々中卒で働こうとしていたため高校の学力レベルは高くなく評定だけは良かっため適当な指定校推薦を受ける事ができる大学に行こうとしていた。
そんな時、
「議会中に議員が熟睡!?」
というニュースが流れてきた。
それを見た時に僕の体に電撃が走りました。
「寝てる議員がいるなら自分もなれるかも!そしたら最年少25歳で年収1000万を超えれる!」
という今思えばとても安直な電撃でした。
しかし、その衝撃は確かに僕の深くに突き刺さりました。
その翌日、職員室に行き
「国会議員になります。なので新潟大学を受けます」
と宣言した。
本気で地域社会で選ばれる人間になるためには、それなりのスキルを大学時代に手に入れなければならないと思ったからです。
というのも、評定平均が4.1くらいあったので、学校推薦の入試枠で総合問題という論理的思考力が試される系のジャンルで戦う事ができるためワンチャンの可能性に賭けました。
それからは志望理由書を書くためにと教頭先生に呼び出され、上村くんは何がしたいんだ?どうして新潟大学なんだ?人生の目的は何で目標は何かというものを問われ続けました。
そして学年主任(商業科の先生)から新聞の切り抜きが渡されて、それについて指定された文字数を書いてディスカッションするという事もやりました。
1年生の時の担任の先生の授業では、話を聞かずに受験対策ばかりやっていたけど、黙認してくれて、たまにフラッときて頑張ってねと言ってくれました。
当時は全くその時間の価値が分かりませんでしたが、上京してきてAO塾の存在を知り、あそこまでのマンツーマン指導は100万円以上の価値があったんだろうなと実感ています😅
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そうしてたくさんの人に支えられて迎えた試験前日、新潟市に前泊して初めての1人宿泊。
ホテルの予約ができてるか心配になりながらのチェックイン。
何かしてないと不安で、今まで書いた紙を見返してみるけど全然頭に入らない。そんな空白の時間でした。
迎えた当日の朝、
若干大学の立地の悪さに戸惑いつつ、受験生の流れを発見して到着。
テストが配られていく中で周りを見つつ、この人たちと4年を過ごすんだ!この人たちはどんな志望理由なのかな?そんなワクワクで胸がいっぱいでした。
「はじめてください。」
合図がなった。
そして、最初の文章から何を言っているのか理解できなかった。すごく硬い文章で頭に入ってこなかったという事だけ覚えている。難しさのあまりもう頭は真っ白。気合いで解答欄を埋めたが、絶対に落ちたと確信しました。
帰り道、ラーメン二郎があり、なんか聞いたことあるなと思って立ち寄った。初めてで予備知識もない状態だったので大盛りを頼んでしまい地獄でした。周りの視線がとにかく痛かったです🥲
「不合格」
12月に結果が来ました。
結果を見るのが怖くて半日開けなかったのですが、意を決して見てみると「不合格」の文字がありました。
しかし、くよくよしている時間はありません。国会議員という強い目標ができた分、指定校推薦の枠で行きたい大学がなく、一般で行きたい大学を受けることにした。自力で国会議員事務所に訪問する選択肢を取りやすい首都圏での進学を希望した。といっても、総合高校で商業コースに通っていた僕は、数学2、3コ英2、3古文漢文という主要科目を履修しておらず、現代文と政治経済で受験できる大学に絞ったため幅は無いですが。
そして1月後半、
受験会場が首都圏で3校の受験だったので、1週間東京のホテル暮らしをしました。
1日空いた日はホテルで勉強に取り組むも、たまにくる不安から何回も涙を流しました。
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受験が終わってすぐ、
絶対に受からないことを確信した。
問題が応用すぎて基礎のインプットしかしてこなかった自分には初見の問題が多く、受験に多くの人が時間を割く理由がそこで初めてわかった。
合格が出るまでに次の打ち手を考え始めた。
受験の結果が出るのが2月下旬、その期間に自分ができる最善の選択は何か。無我夢中で選択肢を模索した。具体的には入試方法の検討、スケジュール感、事前課題、合格確率、学べる事と自分で学びに行かなければならないことの比率、大学ごとに合格後どのような未来を描くのか。本当に色々考えて悩みました。最終的には一般入試での受験を辞めて、3月に総合型選抜かつ学力選考が無い東京の大学で、自分で外の環境に学びに行けるくらいの単位取得の難易度の大学が良いと決めて、条件に当てはまる東京の大学をひたすら探しまわりました。
ここのやり方は参考になると思うので調べ方を教えますね。
1、東京の大学一覧を掲載しているWebを見つける
2、一覧掲載のWebだと選考がまだあるのに無いと掲載されているケースがあるので1つ1つHPに飛んで総合型選抜の入試日程を確認します。
3、日程の残っている大学を見つけたらどの学部か見て、それが自分の琴線に触れるかチェックします。
4、一旦そのページのURLを保存する
5、これを全部の大学で繰り返す
です!
そして、諸々を考慮して残ったのが
・武蔵野大学
・開志専門職大学(新潟)
・経営情報イノベーション専門職大学
の3つの大学です!
落ちた時の選択肢は決まったものの、実際に動き出すのは結果が出てからじゃ無いと動く気になれないのは人間のサガですね。
「不合格」
結果はわかっていたけど心がキュッとしました。
時期は2月下旬、そこから徐々に動き始めました。まずは締切の近い開志専門職大学のエントリーシートをしばいた気がします。新潟大学の学校推薦に使用したエントリーシートで確固たる軸は持っていたのでそれほど手こずらなかった気がします。
次に武蔵野大学のエントリーシートや課題を書き始めました。実は最初に志望していた学科は経営学部と法学部政治学科でした。確か、経路学部は本を読んでその内容について作文するものとなっていたため、当時読書文化のなかった自分には読み切るハードルが高く苦労したのを覚えています。本を読んでいたら時間がなくなってしまい、政治学科の方が新潟大学のエントリーシートで棚卸したことに肉付けをすればできそうな内容だったため、政治学科に決めて2000字の作文を書きました。終わりに近づいて来たら、課題と別にエントリーシートを記入するものがあり、そこと整合性を高めたいと思い先にエントリーシートを完成させることにしました。
この時出願締切の2日前の朝くらいだった気がします。
なぜ武蔵野大学なのかに対して、「総合大学」の意義を全面的に押し出そうと思い、他の学科とどう交わったら面白いかを考えていて、他の学科について調べていました。最初は流し見していたアントレプレナーシップ学部ですが、何かふとした時に見覚えのある顔がありました「澤円」さんです。開志専門職大学で客員教員として名前があった澤さんが教授として名前を載せているのを見て、この学部は何かすごいんじゃないか?と感じて僕の琴線に触れました。
この時締切2日前の夕方くらいだった気がします。それからEMCの情報を集めました。
その時の写真が1枚だけ写真ホルダにあったので共有します。
机の状況を見ると、かなり限界感が伝わって来たのではないでしょうか?
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出願締切の前日の夕方から、
僕はEMCへの進路を決断しました。
それと同時に最寄りの郵便締切17時までの約24時間のカウントダウンが始まりました。
締切前日17:00
それから君が書いた紙と同じ紙を書きました。
この紙は一体何なんだと思いながら、考えている時間もなくとにかく書き殴りました。
締切当日12:00
白紙のA4の紙の半分くらいまではシャーペンで下書きが終わっていた。19時間考えてこの文章量。考えてから書くのでは間に合わないと感じたため、ペンでの1発書きで残りは考えながら書くと決めました。
16:30
課題の最後のまとめが思い浮かばず一旦後回しにしてエントリーシートに着手した。本来これも下書きからの清書をするのだが、時間がないから諦めた。こちらも1発書き。
16:50
エントリーシートを書き終えて親が車で待機している。しかし、課題作品のまとめが決まらない。最後は文章の論理構成とかそこまで書いた事を全て関係なく、何かEMCに対する期待や志のようなものを「えいや!」で書いた気がする。
16:55
書類をまとめて車に乗り込む
自分も親もまともな精神状態ではなかった。
そんな時、一枚書類を入れ忘れた事に気づき、300mをダッシュして家に戻り、車をその間にUターンしてもらった。
16:58
車に再度乗り込んだ。
17:00
時間になった。喪失感がドッと来た。
書いたけどダメだった。
最寄りの郵便局は閉じていた。
親が他のところにも行ってみるかと行って別の郵便局に向かった気がする。
17:??
もう記憶がない。
けど、そこに神様はいました。
最終のお客さんが商品の発送に手こずっていて、奇跡的に郵便局が開いていました。
そして僕は、滑り込みで書類を提出することができました。
後日大学から連絡が来ました。
1枚書類が無いから出して欲しいとのことでした。
本来はそれで選考を切られるかもしれないので、この連絡を聞いた時、この大学は絶対に良い大学だと確信しました。
そして書類は難なく通過してオンラインでの面接へ進むことができました。
その報告を先生に行い、
グループワークの対策をしてもらう事にしました。
テーマの準備をして迎えた当日の朝、電話が鳴った。
「今日のグループワークは無しでお願いします」
高校にコロナが上陸したかもしれないとの事で登校しないで欲しいという連絡だった。
対策0で本番を迎える事になったよ
そして僕は今の君と同じ状況に立ちました。
今までのこととこれからのこと。
かける想いは人それぞれですが、君にとって今抱えている想いは人生で最大の大きさではないですか?
少しでも油断したら涙が流れそうなほど、高揚感と不安と緊張が混ざり合って感情が爆発しそうですよね。
今の気持ちを、感じていることを、ちゃんと感じて欲しいです。きっと今日はもう誰かと話すことはないでしょう。
ぜひ人生で2度と経験できない今の心の状態と向き合ってあげてください。
改めて、僕が今日君に伝えたいメッセージは
「意思を持って生きていれば、いつか繋がる日が来る」
です。
僕は大学に落ちた時、毎回絶望していました。
しかし、それでも常に最善の選択を考えて、実行していました。
もし新潟大学に受かっていたら今の僕はいない。
もし他の首都圏の大学に受かっていても今の僕はいない。
どの道が正解だったかわからないけど、落ちたからこそ見えて来た景色もあったし、手に入れられた事もある。
僕の学校推薦が11月とかだったので、
今回の総合型で落ちても受験という門を叩くチャンスは3回はあります。僕より1回多いですね。
そして、僕も外で起業したくてEMCを受けたけど落ちたという子に会ったことがあります。しかし、僕と出会っているということは、その子の人生のどこかでEMCと接点を持つことが必然だったということです。それは意思を持って行動したからこその出会いだと思います。
他の大学で起業している人とも会う事があります。自分の人生でやりたいことを見つけている人もいます。EMCに入ったから全ての道が出来上がるなんてことはありません。結局もがいた人だけが自分の道を進んでいます。
大事なのは「意思」を持ち続ける事です。
きっとこのnoteを読んでいる君は、このnoteから何かを得ようとしている意思があるはずです。
その意思は何なのか。
明日に向けて自分の心の声と向き合ってみてください。
僕の未来と君の未来が交差する日を楽しみにしています。