わたしの考える、サブカル卒業
サブカル卒業、できないと思うんですよね。
どうも、サブカルお姉さんのめぐるです。
私がデザイナーを務める「サブカル卒業した人」なのですが、サブカルを卒業するとはなんぞや?という自分論を語ろうと思います。
私、そもそも実はサブカル卒業していないんです。
ただ、一瞬だけ卒業していました。
社会に出るにあたってどうしても自分を抑えなければいけないシーンってあると思います。
好きなものを忘れて生きなければいけないこともあります。
大人っていろいろあるじゃーん?(詳しくはがっつり省くよ)
まぁ、そうなの。
一瞬だけ卒業した。
でも、やっぱり好きなものは好きって言いたい。
そう思って、再入学…否、進級させていただきました。
だから、好きなものを卒業するのって無理くね!?っていう結論です。
だって好きなんだもん。
その感情を封印する必要なんてこれっぽっちもないからね。
たとえば、牛丼が好きだとして。
いや、普通にわたしの好物なんですけど。
まぁ、たとえばあなたが牛丼好きだとして。
好きなものを無理に封印することってある????
ダイエット中だから食べないとかはあるだろうけど、その人が牛丼好きって思ってるんだから、飽きるまで好きでしょ?
それと一緒だと思うんです。
ところで、卒業の意味って改めて調べたことあります?
辞書的には下記のような意味らしいです。
"卒業(そつぎょう)は、学校の規定の全課程を修了すること。なかには全課程を修了していなくても卒業を授与する大学も一部ある( ⇒ #特別卒業を参照 )。保育園・幼稚園については、卒園(そつえん)ということが多い。対義語は入学である。また、卒業した者を卒業生(既卒者)といい、卒業した学校を母校、出身校などという。"
出典:Wikipedia
卒業って聞くと、寂しさや、終わりを想像させますが必ずしもそうというわけではないんですよね。
一通り学んだ、ということが卒業ということ。
つまり、サブカル卒業=サブカル博士になることと同意義では!?
全課程を修了していなくても卒業できるし、
卒業したあと、もう一度入学することだってできるし。
つまるところ卒業って結構自由なものでは。
個人の自由なんですよね。趣味なんだから、やろうがやらないが。
そういう意味で「サブカルチャー」を教育に例えると義務教育ではなく「高等教育」なんですよね、きっと。
学びたければ学べばいい。
途中で辞めるのも、やり続けるのも自由。
わたしの場合、軸はぶれないですが割と飽き性なので入学卒業を繰り返しております。
サブカル卒業した人は、自分の中の大きな軸で、博士になる予定なので今後もずっと続けます。
だから、結論。
サブカルも、好きなものも、卒業するも入学するも留年するも個人の自由!
好きなときに入学卒業くりかえしなはれ。
▷▷NEXT
順序が絶対逆なのですが、今度は「サブカル卒業した人」の由来でも語りにきます。たぶん。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?