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点から糸へ、糸から織布へ -FAVRICレポート

みなさん、こんばんは。サブロクです。9月29日に幕張メッセで行われたFAVRICに参加してきましたので、レポート記事をお届けします。

時系列順に追っていければと思いますので、現地や生放送をご覧になった方は思い出しながら読んでいただければ幸いです。

【OPアクト】服飾とDJ

MonsterZ MATEの「Up-to-date」から始まり、Vと関係深いボーカロイド文化発の米津玄師やアニメソングのLiSAの楽曲を織り込み、ミライアカリちゃん自身のオリジナル曲まで繋げたDJアクトでイベントがスタート。
個人的にはキツネDJの「i,mpossible」〜ヒメヒナの「ヒトガタ」の流れは完全に「わかってる」
ヤツで、本当に最高すぎて記憶が怪しいです。
Vtuberが織り成した楽曲という織布を自在に組み合わせ1つの作品とする行為は、布に鋏を入れ縫い合わせるという服飾そのものの姿であり、Vとファッションと音楽のイベントのスタートを飾るにはふさわしいアクトでした。

【ランウェイ】そこに奥行きがある。

特筆すべきはやはりランウェイのパネルでしょう。パネルを4×4で繋ぎ合わせた正方形のパネルが6枚、左右にそれぞれ設置されていたので6×2で計12枚のパネル。さらにランウェイの先端の部分には正面1枚、左右に1枚ずつの計3枚。さらにはランウェイの天井部分に6枚のパネルが設置されていました。なんとあわせて21枚!(多分)

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私は舞台向かって右手側、ランウェイの中央あたりに陣取っていましたので、ランウェイの様子を見渡すことができました。普段はブラウザの四角い窓から覗いている彼らが、私たちの目の前を颯爽と歩き抜けていきます。こんな新しい視覚体験に加えて、推しが新しい衣装に身を包んでいるわけですから、押し寄せてくる感情の波がすごい。来てよかったの一言に尽きます。

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この瞬間の感動がすごかった。本当にカッコいい……演出も衣装も……。

ちなみにこのパネルはライブの際にも演出のために明滅していました。もちろん天井部分のパネルもです。特に名演出だと思ったのは花譜ちゃんのアクト中のこの1枚。

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これ、パーティクルが花譜ちゃんを中心に散布されている様子がきちんと奥行きをもって表現されているんですよね。だからこそ、あのランウェイがパネルの寄せ集めではなく1つの空間として見えたのだと思います。

【ライブ】それぞれの縦糸と横糸から成る楽曲

ライブパートは詳細に書いていたらいくら容量があっても足りないので手短に。

昔、恩師にこんなことを言われたことがあります。

「文化とは織布である。その織布を構成するのは、土地という横糸と時間という縦糸である。」

ライブを見ていてふとこの言葉を思いだしました。文化、というまでの大きな話ではないにしろ、それぞれのアクト・楽曲に「何故いまバーチャルという土地に存在するのか、どういうルーツを持ってそこに立つのか」という横糸と「ここに至るまで何をなし得てきたか」という縦糸が存在したように思います。
私の推しであるMZMのアクトの詳細については後日詳しく書きたいと思いますので、気が向いた方はどうぞお読みください。

【花譜とEGOIST】繭と特異点

ライブについてここだけはきちんと書いておきたいと思います。トリ前の花譜からトリのEGOISTというこの流れは本当に素晴らしいとしかいいようがないです。これに関しては異論は認めません。何故なら最高だからです。
まず花譜ちゃん。彼女の衣装を見たとき、蛹とか繭とか、そういうものを連想しました。やわらかな彼女を外界からプロテクトするような、そしてそこで彼女が羽化し花開くのを待つような、そういう強固さのある衣服。
そのやわらかさから生み出されるアクトは、他の出演者と比べてプリミティブでまっすぐで一点突破の、まるで絹糸のようなものだと思います。

そして、花譜ちゃんと同じ年頃に、楪(ゆずりは)いのりというアバターを纏ってデビューをしたEGOIST

すこし個人的な話になりますが、2016年のZepp Tokyoで私は初めて生でEGOISTを見ました。重度のオタクになるきっかけになった、今でも大好きな作曲家・澤野弘之に出逢わせてくれた「ギルティクラウン」(2011)の劇中アーティストが、終わってしまったアニメ作品から飛び出して、舞台上にいました。舞台上を駆け回り、これまた私の大好きなAimerと同じ舞台で肩を並べて歌い、時折水を飲み、そこで生きていました。もちろん、劇中の楪いのりのEGOISTとしてではなく、EGOIST(chelly)ちゃんとしてではあるのですが、まさか彼女と同じ空間に存在できるだなんてという感動がそこにあったのです。

EGOISTの中に楪いのりというキャラクターとchellyというボーカルが同居しているので、ある意味キズナアイちゃんが目指している「分人的存在」なのかもしれない。


今でも、Vtuberのライブに参加するたび、あの日の彼女を思い出すのです。「ああ、彼女(彼)はそこにたしかに存在しているんだ」という確信の原体験はEGOISTなのです。
これは私がVtuberにハマって以降ずっと思っていることなのですが、初音ミクとVtuberの間にはEGOISTがいるのです。VOCALOID音楽に大きな爪痕を残したsupercellのryoが世に送り出したEGOIST。VOCALOIDにルーツを持ち、AR Techによって物語が終わった後も存在し続ける特異点的存在。
彼女は今日、Vtuberの出演者たちを背に歌った最新曲「咲かせや咲かせ」でVtuberたちにたしかなバトンを繋いだように見えました。その背中を見せつけたようにしか思えませんでした。そう考えたら涙が止まりませんでした。ありがとう。

【Rookie’s Runway】その先へ

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そしてアンコールでは期待のルーキー、未来の出演者たちへ。その光景は、客席にいるかもしれない、未来のルーキーたちを魅了するに余りあるほど夢のある、素敵なものでした。EGOISTからVtuberの出演者たちへ。出演者たちから期待のルーキーへ。期待のルーキーから未来のルーキーへ。そんな一本の糸がありました。その糸を使って、これからもVtuberという文化の織布が、バーチャルという場所を横糸にして出来上がっていくに違いありません。

おわりに

本当はもう少し「衣服とは何か? また、バーチャルにおける衣服とは何か?」という部分を掘り下げたかったのですが、設定思想集が手に入りませんでしたので、このテーマについてはしばらく私の中であたためたいと思います。

素晴らしいイベントでしたね。来年もまたあるとのことですから、その際にも絶対現場に行きたいと思います。それではまた。

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2019.09.30 
サブロク

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