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イオンの映画館にいるたった30人にも深い溝がある

以前、映画『ジョーカー』を観に行った時の話。

私は、主人公であるアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)=ジョーカーに、めちゃめちゃ感情移入していた。

ジョーカーは、稼ぎの少ない道化師。緊張すると笑いだしてしまう病気にかかっている。心臓と精神を病んだ母親を看病しながら、コメディアンになりたいという夢を持っている。

しかし、物語はハッピーエンドへと歩まない。

ソーシャルワーカーのカウンセリングと向精神薬の打ち切り。若者に袋叩きにされ、看板の弁償を求められ、職場からは解雇。笑いが収まらないジョーカーをビジネスマンたちは更に袋叩きにし、ジョーカーは彼らを射殺してしまう…。

そこからなんやかんやあり(大胆な省略!)、ジョーカーは市街地で警察に捕まるが、熱狂した市民たちはジョーカーをパトカーから脱出させる。そして、彼を英雄だと称える。

ジョーカーはパトカーのボンネットに立ち上がり、酔いしれる…。あらすじはこんな所だ。

田舎のイオンの映画館で、私は恐怖を抱きながら、ポロポロ泣いていた。

断ち切られる。優しくされない。殴られ、蹴られる。笑われる。バカにされる。笑いが止まらず、気分は高揚し、どんどんおかしくなっていく…。

そんなジョーカーと、自分が、深く重なって見えた。のめりこんで映画を観た。


ただ、最も恐ろしかった場面は、なんと、鑑賞後だった。

若干呆けたような表情で立ち上がる私の横で、こんなカップルの会話が聞こえた。

「いやー、俺、最後のジョーカーが車に登るシーン、ちょっと興奮したわ(笑)」

「え~、何それ~(笑)」

衝撃だった。

いや、否定するつもりはない。価値観は人それぞれ。変えようなんて思わない。でも、いかんせ衝撃的すぎた。

(ま、まじか…。そんな感想、あるんだ)

ジョーカーを観た人なら共感できると思うが、あの映画は非常にダークで、ねちっこく、妖艶だ。そして、断ち切られる側、優しくされない側の人間としては、感情移入の果てに気分がしんどくなる…。そんな映画。

私は思った。

「そうか…。何度も断ち切られ、優しくされない経験をしないと、そういう人の気持ちは理解できないのかもしれない。」「ダイナミックな部分だけが興味をそそり、深い絶望の部分なんて伝わらないのかもしれない。」

例えば電車の中で意味不明な文言を叫ぶ人がいたとして、スマホで動画を撮るような人間がいる。その人間たちは、多分、「知らない」のだと思う。統合失調症という疾患を知らない。何度も断ち切られたことがない。優しくされなかったことがない。だから想像することができない。知らなければ、面白いと、変だと感じてしまう。無知は罪ではないが、限りなく罪に近い時もある。そう思う。

別にあのカップルが動画を撮る側の人間だというわけではない。何一つ知らない赤の他人だし、めちゃめちゃ良い人ってことも全然ありえる。どっちが偉いとかいう話でもない。

ただ、イオンの映画館にいるたった30人の中にも、こんなに深い価値観の溝があるんだなあ…と、衝撃を受けた。というお話でした。

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